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視点に関するTomosugiのブックマーク (3)

  • うろ覚えの”J”ポップ時評 第2回(from『エクス・ポ』第一期)

    第02回:「愛と生殖と公共圏」 うろ覚えでしかない過去の出来事が、現在の私を公定するための重要な資源として用いられる。そのとき「現在」は、常に過去を総括した「終わり」の瞬間として立ち現れているのではないか、というのが、前回で僕が提示したことでした。 しかしながらその「終わりの感覚」は同時に、それ自体として次の瞬間の「終わり」をもたらすためのリソースになってしまうというジレンマも持っています。「これが私の運命の人!」と盛り上がったのもつかの間、「っていう風に思っていたあの頃の私は……」といった具合に、「終わり」はいつも「過去」へと送られてしまう性質を持っているのでした。 それゆえ、この「終わり」感覚は、端から見るといつまでも同じことを繰り返して、盛り上がったり盛り下がったりしているように見えてしまいます。連載の第一回では、その例としてケータイ小説や湘南乃風などを挙げましたが、こうしたベタな感

    うろ覚えの”J”ポップ時評 第2回(from『エクス・ポ』第一期)
  • 人は何のために生きているのか。

    なんとなくwebをぶらぶらしてたら、以下の記事を見つけた。 人は何のために生きているのか。 - 自省log 小学校だったか、高校だったか、いつからか「何のために生きてるのか」って事をずっと考えてた。 いつ答えがはっきりしたかは忘れたけど、今の自分には自分なりの答えがなんとなくあるので、増田。 以下あくまで個人的な考えです。 「何のために生きてるのか」に対して、いろんな角度から見る事ができると思う。 そんな中で私がよく考えたのは客観的視点。 きっかけになった記事もタイトルが「人は何のために生きているのか。」なので、主観・客観なら、客観的視点よりかと思われる。 客観的視点が強く問われるカテゴリの一つが科学だと思われる。 大学時代、物理を専攻していたのだけれど、その研究対象の中に宇宙がある。 宇宙の大きさは半径約450億光年の球状。(ちなみに地球と太陽の間は9兆4600億kmで、0.000015

    人は何のために生きているのか。
    Tomosugi
    Tomosugi 2014/02/13
    いいんじゃない?素直でさ
  • 差別者は差別を差別とみなされないための理由を必死で探す - 誰かの妄想・はてなブログ版

    産経新聞が排外主義と在日外国人差別を推奨しているのは良く知られている事実ですが、このような差別主義者に限って自らの差別的言動が差別とみなされないための言い訳を必死で考え出します。 普通の人なら差別だと指摘されれば、まず自身の言動を省みて差別と解される部分がなかったかを考えるわけですが*1、頭に血が上っている人、差別と言われることを知ってて差別している人、自身が批判されること自体考えられない自己過信の人などは、差別だという指摘に対して「これは差別じゃない」という回答が先に形成されて、後付で”差別じゃない”と言い張るための根拠を探し始める傾向があります*2。 この差別正当化の根拠に便利な使われ方をされるのが、「法律」*3です。 1.法律上、同じ権利を持っているから差別じゃないという主張 2.既存の法律が差別じゃないと主張している根拠を借用 「1」は、差別の実態に対応できていない法律文面上の虚像

    差別者は差別を差別とみなされないための理由を必死で探す - 誰かの妄想・はてなブログ版
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