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ブックマーク / note.com/sasakitoshinao (3)

  • 登山でも散歩でもない、新しい徒歩の旅〜フラット登山という提案①|佐々木俊尚

    登山というと「つらい」「歩くのだるい」「足が痛い」という印象を持つ人が多いようです。そういう意見に対し、山慣れてるしてる登山者の中には「体力つければ大丈夫」「そんなの慣れだよ」とバカにする人もいます。そういうちょいと「上から目線」が、結果的に登山と社会の距離を遠くしてしまってる。 登山というものに対する固定観念もあります。「ヒイヒイ言いながら急な登山道を歩いて、なんとか頂上に到達して達成感を味わう」みたいな固定観念です。しかし当にそれが登山の質なのでしょうか? ここでいったん、すべての固定観念や常識をとりはらって、登山とはいったい何なのか。わたしたちは登山に何を求めているのかを定義しなおしてみようじゃないですか。 登山とは「頂上まで登る」こと?たしかに頂上は気持ちよく、良い眺めを楽しめることも多いでしょう。しかし頂上に行かなくても、気持ちよい場所や眺めの良い場所は無数にあります。 登山

    登山でも散歩でもない、新しい徒歩の旅〜フラット登山という提案①|佐々木俊尚
    Tomosugi
    Tomosugi 2024/05/15
  • 「不快なもの」をなぜ社会から除外してはならないのか 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.683|佐々木俊尚

    特集 「不快なもの」をなぜ社会から除外してはならないのか 〜〜悪影響も好影響もあらゆるものは影響し合っている 社会は、それぞれの人にとって不快なものであふれています。静かな旅行を楽しみたい人は、コロナ禍だというのに新幹線で大騒ぎするウェーイなパーティピープルを不快だと思うし、ウェーイな人は無口で積極的な意思表示をしないオタクな人を「なんだこいつ気持ち悪いな」と不快に思うかもしれません。小生意気な若い女の言動を不快に思う中高年の男性もいれば、「オジサン臭い」と中高年男性を不快に思う若い女性もいる。みんながみんなを不快に思っているのです。 そういう不快が社会にはたくさんある。近代になって都市に人口が集中するようになり、他人を不快に思う機会は農村の時代からくらべればずいぶん増えたのだと思います。さらにはインターネットが普及して、不快なものを「目にしてしまう」機会はずいぶんと増えました。それでも2

    「不快なもの」をなぜ社会から除外してはならないのか 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.683|佐々木俊尚
    Tomosugi
    Tomosugi 2021/12/14
  • 「夜の校舎の窓ガラスを壊してまわった」尾崎豊はアウトサイダーだったのか 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.651|佐々木俊尚

    特集 「夜の校舎の窓ガラスを壊してまわった」尾崎豊はアウトサイダーだったのか 〜〜平凡だから自由に憧れた昭和から、平凡に憧れ自由を恐れる令和へ アウトサイダーという存在の意味が20世紀と今とでは、大きく変化しているということを解きほぐしていきましょう。精神科医のシロクマ先生が、以下のような記事を書かれていました。 高校生が煙草を吸ったり万引きをしたりというヤンキー的な振る舞いは、社会から逸脱したアウトサイダーのように思われていたけれども、それは逸脱ではなく、また別の規範にしたがっているだけだったのではないかというお話です。そして借金玉さんの以下のツイートを紹介されています。 「『ヤンキー的なもの』あれ、全然逸脱じゃなくて単なるロールモデルですよ。逸脱ってのは、公園で一人足元のアリ眺めながら「こうしているときは当に幸せだな」って感じてるキッズのことです」 シロクマ先生の記事を読んで、わたし

    「夜の校舎の窓ガラスを壊してまわった」尾崎豊はアウトサイダーだったのか 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.651|佐々木俊尚
    Tomosugi
    Tomosugi 2021/05/04
    尾崎豊の人物や作品自体ではなくその受容のされ方の方が大事だと思う。しかしラッセンや相田みつを並みに厄介さをはらんでる存在でもある。力のある人の分析を待ちたい
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