三島由紀夫に関するU-5のブックマーク (3)

  • 三島由紀夫と「天人五衰」

    三島由紀夫と「天人五衰」 三島文学の転生を辿りながら、彼が自決に至るまでの思想の深淵と苦闘をあとづける 1 自決についての政治的評価 三島由紀夫の「豊饒の海」は、昭和四十五年十一月二十五日に書き上がるが、同じ日に三島は自衛隊にクーデターを呼びかけ、「生命尊重以上の価値の所在を見せてやる」と「憲法に体をぶつけて」切腹して果 てた。 三島自決は唐突奇異の感をもって迎えられ、「三島狂せるか」と思わしめた。三島についての政治的評価は全く否定的である。 「三島の行動は民主主義に反する」という新聞の社説的見解が定着し、自決は不毛で無害なものに風化してしまったように思われる。 死後十年の余になって、彼の檄文を読んでみると、彼の行動に対する民主主義的全面 否定は全く無意味の事であり、三島は議会制民主主義の根幹である「日国憲法」に問題を提起しているのである。この点について世間は、「楯の会」会長という彼の仮

    U-5
    U-5 2005/08/20
    彼は公務員をやめたら参議院全国区から立候補して、与党の大物になったかと思う。
  • 1970年11月25日三島由紀夫自殺: 極東ブログ

    11月25日といえば、三島由紀夫が自殺した日だ。そう言ってみて、自分でもふと戸惑うのだが、「自決」とも「割腹」とも言いづらい。確かに思想的に見れば、「自決」だろう。世の中、三島の死に「自決」を冠するのは思想的な意味合いを見ているからに違いない。あの日、佐藤栄作はたしか「気違い」と言っていた(ATOKは「気違い」を変換しないので登録した)。それからしばらくして、そのことを誰だったか、小林秀雄にご注進したやつがいたらしい。その気持ちはわからないでもない。小林ならなんというか聞きたかったのだろう。小林は簡素だが、三島に非礼なき返答したと記憶している。このことは、江藤淳もひかかっていたらしく、のちに対談で小林に問うている(「歴史について」S46.7「諸君」)。 小林 (前略)宣長と徂徠とは見かけはまるで違った仕事をしたのですが、その思想家としての徹底性と純粋性では実によくにた気象をもった人なのだね

    U-5
    U-5 2005/07/19
    なにかが決定的に壊れていく
  • http://www.try-net.or.jp/~cpc/shohyou/japanism.html

    U-5
    U-5 2005/07/18
    日本という世界は、一種の天秤の世界(もしくは竿秤の世界)と考えています。
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