意志・想像力は光より速いのではという提案が劣勢なので、そちらの観点から。 まず、物理現象はおそらく宇宙全体で同じ法則になっていると考えられています。 したがって、同じ(条件の閉じた)部分系があれば宇宙のどこでも同じことが起きると考えられます。その意味で私たちは、想像力で見たこともない宇宙の果てのことを時空を超えて(ある範囲で)知っています(あるいはそのつもりです)。 たとえば、ながーい棒が宇宙全体に貫いていて、ある方向に平行に進んでいるとして、 その棒が地球を横切ったときには、 地球を含んだその棒に対して平行な直線上にある場所では たとえ宇宙の果てでも横切っていると想像できます。 つまり、私が或る人に今日手紙をだしたら(おそらく) 明日とどくだろうとか、その返事も近々返ってくるだろうというのと同じです。 世の中のお約束や習慣的な想像力を使えば、知らないところのことだって、 未来だって予測で
- アキレスと亀 - - ゼノンのパラドックスについての相対論的考察 - (Achilles and the tortoise - A relativistic consideration about Zeno's paradox) 村山 章 (Murayama Akira) <index> はじめに 一 アキレスと亀 二 相対性原理に基づく「アキレスと亀」 三 距離の変化と「分割のパラドックス」、「飛ぶ矢のパラドックス」 四 四次元時空の存在 五 時間と空間の差異について 六 速度の連続性について 七 論理は、時間を鳥瞰する 八 ゼノンの思想とアインシュタイン はじめに 本稿では、ゼノンのパラドックスについて考えてみようと思う。 実は、私が四次元時空について真剣に考えるようになった、一つのきっかけが、ゼノンの飛ぶ矢のパラドックスでもあった。これを、弁証法的矛盾の実例のようにしてヘーゲルな
空想と現実は思っている以上に近い、という話を書いたが、しかしそれらを区別できなければ私達人間はまともな生活を送ることはできない。私達の脳はいかにしてそれらを区別しているのだろうか? 自分の中で浮かんで来たイメージと現実の世界を区別する能力をリアリティ・モニタリングとかソース・モニタリングの能力と呼ぶ。ソースとは情報源のこと。プリンストン大学のマーシャ・ジョンソンらはこの問題に関わる一連の研究を行ってきた。 「現実の知覚体験にもとづく外的記憶は、通常は感覚的に鮮明であり、意図的な操作やトップダウン(※)的な処理過程の関与が少ない自動的、非意図的な過程で、時空間的に前後の文脈情報の中に位置づけられるという特徴をもっている。それに対して心的イメージや想像的経験あるいは夢などの内的記憶は、感覚的にそれほど鮮明でなく図式的で、その経験を自発的、意図的に生み出した内的操作過程の痕跡が残されており、前後
ゼノンの詭弁「アキレウスと亀」について、小学生が理解できるような、やさしい具体的な説明を知りたいのです。私の仮説を、一週間後の「いわし掲示板」で追記しますが、論理的に正しいかどうか、確かめたいので、ご協力ください。(さるHPに「アキレウス=A、カメ=B」として公開済み)
アキレスと亀のパラドックスとは小学校5年生のときに出会いました。それ以来、ひたすら考えつづけてきました。この問題の本当の不思議さは、こんな現実離れした問題なのに、誰もが簡単に理解できるところです。
クオリアとは、「赤の赤らしさ」や、「バイオリンの音の質感」、「薔薇の花の香り」、「水の冷たさ」、「ミルクの味」のような、私たちの感覚を構成する独特の質感のことである。「クオリア・マニフェスト」(The Qualia Manifesto)は、クオリアの本質、その起源の解明が、今後の人類にとっての最大の知的チャレンジであることを宣言し、クオリアを中心とした文化運動の開始を呼びかけるミッション・ステイトメント(Mission Statement)である。クオリアの起源の解明に成功すれば、、アンドロメダ星雲に人類を送ることより大きなインパクトを人類に与えるだろう。 私たちの心(mind)の中の様々な「クオリア」(qualia)に対応する物質的過程の性質を明らかにすること 、あるいはこのような「対応関係」のメタファー自体を超えることが本質的である。この作業は、自然科学を従来の客観的視点に立った自然の
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