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Alles Lebenに関するUnimmoのブックマーク (184)

  • 我が家の猫たち | COMPLEX CAT

    他者に対して信じられない優しさを示して、強情で、甘えん坊で、警戒心が強く、多くのものを受け入れてくれて私たちを助けてくれた。

    我が家の猫たち | COMPLEX CAT
  • 【断片から見た世界】アリストテレス『ニコマコス倫理学』 – クリプレ(クリスチャンプレス)

    言わずと知れた古典の中の古典であるアリストテレスの『ニコマコス倫理学』であるが、2024年の現在を生きている私たちは、この著作からはたして何を学ぶことができるのだろうか。ここでは極めて簡略ながら、おおまかなスケッチを試みてみよう。アリストテレスは探求の冒頭のまとめの箇所において、次のように言っている。 アリストテレスの言葉: 「[もしかくのごとくであるとするならば、]『人間というものの善』とは、人間の卓越性(アレテー)に即しての、またもしその卓越性が幾つかあるとき、最も善き最も究極的な卓越性に即しての魂の活動であることとなる。」 『ニコマコス倫理学』(このは他のアリストテレスのと同じように、彼が行った講義の内容をまとめたものであると言われている)の全体を要約するような一説である。ここでは、「人間というものの善」、すなわち幸福は、アレテーに即しての魂の活動を通してこそ実現されるという主張

    【断片から見た世界】アリストテレス『ニコマコス倫理学』 – クリプレ(クリスチャンプレス)
  • 禅語に親しむ

    「自灯明・法灯明」は、釈尊が入滅される前に弟子に示された最後の教えだと いわれる。「他者に頼らず、自己を拠りどころとし、法を拠りどころとして生き なさい」ということである。「自己を拠りどころとし、法を拠りどころとせよ」 とは、釈尊の死が間近であったときに、師が亡くなったら、何に頼ればよいのか と嘆く弟子のアーナンダに対して諭された言葉である。 弟子のアーナンダにとって、常に寄り添い仕えた、釈尊は 教えの導きの師であり心から頼りとする偉大なる師であった。 その師が亡くなってしまったならば、そのあと自分は、 誰から教えを受け、どうやって生きていったらよいのかと、 彼は途方に暮れてしまうのも人間感情としては仕方がない ことである。だがアーナンダの問いに答えて、「私や他者に 頼ってはならない。自己とダルマ(理法)を拠りどころと せよ」と釈尊は説かれた。 ここで「法灯明」ではなく「自灯明」が先に来て

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  • ネタバレあり きづきあきら・サトウナンキ『まんまんちゃん、あん。』の感想・考察 | 法律家の自由帳

    きづきあきら・サトウナンキの『まんまんちゃん、あん。』を読んだ。 現代のお寺を舞台とし、恋愛をテーマにした漫画だ。 主人公のめぐりは、貧乏子沢山な家の子どもの一人。知人の働きかけでお寺の跡取り息子信玄と結婚することになる。ところが新婚早々にめぐりは信玄と死別してしまう。その後、信玄の弟の一円、住職の弟子の恵春、檀家総代が送り込んできた新たな跡取り候補者慈恩との間で、めぐりは寺の関係者を巻き込む愛憎劇を演じることになる。 この漫画は私達に「強いられた恋愛で人は当に幸せになれるのか?」という問題に一つの回答を与えてくれている。この問題は次のようにも言い換えられるだろう。「その人と恋愛する他に選択肢がない恋愛で、人は当にその人のことを愛することができるのか?」 めぐりは、家の貧しさから、嫁ぎ先のお寺しか現実的な居場所がない。そんなめぐりを知っているので、信玄は「めぐりのことは好きだ。しかし、

    ネタバレあり きづきあきら・サトウナンキ『まんまんちゃん、あん。』の感想・考察 | 法律家の自由帳
  • 【断片から見た世界】『告白』を読む 破局のただ中から立ち上がるもの - クリプレ

    「苦しみ抜くこと」の問題:フランクルと、実存の深奥 強制収容所の体験を生き延びたV・E・フランクルが書いた『夜と霧』には、人間が「死に至る病」であるところの「絶望」と向き合ってゆくための重要な手がかりがいくつも残されています。 「苦しむことの意味が明らかになると、わたしたちは収容所生活に横溢していた苦しみを、『抑圧』したり、安手のぎこちない楽観によってごまかすことで軽視し、高をくくることを拒否した。わたしたちにとっては、苦しむことですら課題だったのであって、その意味深さにもはや目を閉じようとは思わなかった……。」 前回の記事では、「〈可能性〉への目覚め」なる契機を通してこのについて考えてみましたが、フランクルとキルケゴールの思考が重なり合う部分はまだ他にもありそうです。今回の記事では、「苦しみ抜くこと」の問題をめぐってフランクルの言葉に耳を傾けてみることにしたいと思います。 「苦しむこと

    【断片から見た世界】『告白』を読む 破局のただ中から立ち上がるもの - クリプレ
  • アリストテレスの「エネルゲイア」と「キーネーシス」の区別に関する一考察

    アリストテレスは『形而上学』Θ巻第6章(以下, Θ6)で様々な行為を「エネルゲイア(活動)」と「キーネーシス(運動)」に区別している.その一方の「ネルゲイア」とは,現在進行と完了が同時に成立する行為であり,「見る」がその典型例である(「見ている」と同時に「見てしまった」といえる).他方「キーネーシス」とは,一定の目的に向かう末完了的な過程を持つ行為であり,現在進行と完了が同時には成立しない.その典型例は「建築」である(「建築している」と同時に「建築してしまった」ということはない).この区別をめぐっては従来,他のテキストとの関連が注目される一方で,このような排他的区別の成立を根的に疑う見解が研究者から示されてきた.とりわけ,アクリルが投げかけた疑問と,それを解消するべくペナーが提起した「二局面構造説」は,区別の成否を検討する上で重要な論点を提示している.稿は,ぺナー説を批判的に検討しつつ

  • 真面目な話をできる場所が無くて寂しい。 私自身は別に真面目というか単に..

    真面目な話をできる場所が無くて寂しい。 私自身は別に真面目というか単に興味のある事について語り合いたいだけなのど、一般的にはマジメで退屈、拗らせてるとか一蹴されてあまり興味を持たれないような話。 美とはなんぞやとか、美味しいメシを定義できるのかとか、世界平和は果たして実現できるのかとか。 古代ギリシャ人が暇すぎて哲学を始めたように、暇な時にふと考えるような素朴な疑問みたいな事について話し合いたい。 日常生活で周りの人間に真面目な顔してそんな事を言い出したら、雑に流されるかキチガイと思われて終わり。 だからネットとかで気楽にやれたらいいなって思う。私に近い内向的な人も多いはずだし。 しかし色んなサイトはあるけれど、どうにも喧嘩腰な人が多い。5chの哲学板は(5ch自体)過疎らしいし。 あと私がやりたいのは別にラップバトルではない。 一面的な正論や、正論ですらないリリックを並べ立てて正論感を競

    真面目な話をできる場所が無くて寂しい。 私自身は別に真面目というか単に..
    Unimmo
    Unimmo 2023/10/21
    とてもよくわかる。この件についてわたしは完全に絶望しすべて諦めている。
  • ペットロスつらすぎワロタwwwww

    いや笑えん。 なんか息がしづらい。心臓の動きが変。 状態異常:涙が止まらなくなった!が間欠的に発生。 何かやるのにすごい時間かかる。朝メシを支度してうとか、着替えを選んで着替えるとか、PCつけて仕事始めるとか、そういうのがなんかすごく下手になってる。ゆっくりやんないとうまくできなくなってるというか、上の空が常になってる感がする。1秒ごとにスリープに切り替わるPCをがんばって稼働させてるみたいな。 別れとかを意味するような特定の言葉を書いたり声に出して読んだりできなくなってる。ペットの名前と紐づけて無理やりやろうとすると状態異常が発生する。 でも状態異常の発生条件はだいぶわかってきた。 生身で地雷原を行くキツさだったけど赤外線センサー起動の警報くらいに緩和されて、しかもセンサーの向きが何となく読めるようになってきたような気がする。 でもなんかずっと息がしづらいし、心臓の動きが変。 昔話とか

    ペットロスつらすぎワロタwwwww
  • 【断片から見た世界】『告白』を読む 存在の歴史と、「遺産」を受け継ぐこと - クリプレ

    「存在の歴史」:哲学の歴史の始まりを探る 私たちは、「存在の歴史」という問題圏のうちに入り込んでいます。そもそも、思索者としてのハイデガーにとっては、「歴史」なる主題はその探求の道のりの初めから終わりに至るまで、一貫して重要なものであり続けていました。 「存在への問いは、今日では忘却されている。私たちの時代が、『形而上学』をふたたび肯定することを進歩とみなしているにもかかわらず、忘却されているのである。それでもひとは、あらたに焚きつけられるべき『真に存在するもの(ウーシア)をめぐる巨人の戦い』に向かう努力をすでに免れたものと思っている。だが、ここに挙げられている問いは、やはりけっして恣意的な問いというわけではない……。」 「忘却されている」ということは、かつて、少なくとも一度は真剣に問われ、問題として光を当てられたこともあるということを意味するのではないか。今回の記事では、ハイデガーの言葉

    【断片から見た世界】『告白』を読む 存在の歴史と、「遺産」を受け継ぐこと - クリプレ
  • 【断片から見た世界】『告白』を読む 『遺産』の内の最たるもの - クリプレ

    人間存在にとって、最も質的な意味における「遺産」とは何か?:「歴史性」の根源を問う 私たちは「哲学の元初」を探ることの必然性について掘り下げるために、「人間存在にとって、『歴史を生きる』とは何を意味するか?」という問いに取り組んでいます。ハイデガーによるならば、「来的な仕方で歴史を生きること」として実現される「決意性」とは、過去の時代から手渡された「遺産」を受け継ぐことによって生起する実存のあり方にほかなりませんでした。 「決意性にあって現存在はじぶん自身へと立ちかえる。その決意性が開示するのは来的に実存することにぞくする、そのときどきの事実的な可能性であり、それをしかも決意性が被投的な決意性として引きうけている遺産にもとづいて開示するのである。[…]すべての『善きもの』は相続財産であり、『善さ』という性格は来的実存を可能とすることのうちに存している。そうであるとすれば、決意性にお

    【断片から見た世界】『告白』を読む 『遺産』の内の最たるもの - クリプレ
  • 【断片から見た世界】『告白』を読む 「遺産」を受け継いで生きること - クリプレ

    人間存在にとって、「歴史を生きる」とは何を意味するのか?:「哲学の元初」へと進んでゆくことの必然性を探る 私たちは、「存在の意味への問い」を問い進めることを通して、「哲学の元初」を探求することの必然性にまで行き着きました。前回の記事でも参照しましたが、ハイデガーはこの「元初」なる出来事について、次のように言っています。 「存在はどうなっているのか?と問うことーこれはわれわれの歴史的–精神的現存在の元初を反復し、それを別の元初へと変身させることにほかならない。このことは可能である。それどころか、これが歴史の決定的形式である。というのは、これは根元の出来事の中にきざすものだからである……。」 しかしながら、哲学の営みにとって、自らの歴史の始まりを問うことは果たして、絶対に必要なことなのだろうか。今回からの記事では、「人間存在にとって、『歴史を生きる』とは何を意味するか?」という問いをめぐって考

    【断片から見た世界】『告白』を読む 「遺産」を受け継いで生きること - クリプレ
  • 【断片から見た世界】『告白』を読む 「実存の本来的歴史性」 - クリプレ

    「命運」とは何か?:「実存の来的歴史性」をめぐる問い 『存在と時間』の議論によるならば、現存在であるところの人間の実存における「来的歴史性」なるものは、過去の先人たちの生きざまを「反復」することを通して実現されるのでした。ハイデガーはまた、人間存在が「反復」のモメントを生きる時には、彼あるいは彼女は「命運」として実存することになると語っています。 「反復を私たちは、じぶんを伝承する決意性の様態としてしるしづける。この様態をつうじて現存在は明示的に命運として実存するのである……。」 「命運 Schicksal」とは、宿命あるいは運命とも言い換えることのできる表現ですが、人間存在が「命運」として実存するとは、いかなることを意味するのでしょうか。今回の記事では、この点をめぐって考えつつ、「歴史性」に関する議論を掘り下げてみることにします。 来的実存は、いかにして「命運」として生起するのか

    【断片から見た世界】『告白』を読む 「実存の本来的歴史性」 - クリプレ
  • ベルギーで「仏教の教え」が支持を得ている理由

    長い道のりを経て、仏教はベルギーで3月末に正式に宗教団体として認定されました。2006年にベルギー仏教連合(UBB)が仏教を無宗派の人生哲学(philosophie non confessionnelle)として認定するよう求めてから17年してようやくここまでたどり着きました。 欧州連合(EU)加盟国で仏教が正式に認められるのはオーストリアに次いで2カ国目。今回の認定により、仏教徒を港や空港、刑務所や軍隊といったところに派遣できるようになるほか、教育機関で仏教のコースを教えることが可能になります。人々が精神的な指導を必要とする場所で、仏教の倫理的価値を活用し、これらの価値観を広めることができるようになるわけです。 仏教の教えを広めることが可能に 今回の認定が示すのは、仏教が小さな現象ではなく、ベルギーの社会の中に溶け込んでいるという事実です。実際にヨーロッパ、特にベルギーでは仏教徒が増えて

    ベルギーで「仏教の教え」が支持を得ている理由
    Unimmo
    Unimmo 2023/05/06
  • 【断片から見た世界】『告白』を読む 「存在の歴史」の始まりに向かって – クリプレ(クリスチャンプレス)

    A post-apocalyptic ruined city. Destroyed buildings, burnt-out vehicles and ruined roads. 3D rendering. 3D Illustration 「存在論的差異」の概念に含まれている「歴史性」のモメント:哲学にとって、歴史とは何を意味するか すでに見たように、ハイデガーの提出した「存在論的差異」の概念は彼にとって、これまで問われることのなかった未曾有の領域へと踏み入ってゆくために必要とされた、ほとんど唯一の可能な手がかりにほかなりませんでした。 「しかし《存在論的差異》(die ontlogische Differenz)という言葉を導入したのは、それによって存在論の問題を解決するためではなく、むしろ、従来は問われることのなかったものとして、すべての《存在論》をーすなわち形而上学をー初めて根にお

    【断片から見た世界】『告白』を読む 「存在の歴史」の始まりに向かって – クリプレ(クリスチャンプレス)
  • 【断片から見た世界】『告白』を読む 読むことの本質 – クリプレ(クリスチャンプレス)

    現代とは、いかなる時代であるか?:「存在の意味への問い」との関連において考える 思索する人間として、「存在の問い」をその生涯にわたって問い続けたハイデガーにとって、「ある」という言葉の重みが忘れられているということは単なる偶然や不注意に基づくものではなく、それ自体が改めて問い直され、究明されるべき根源的な事実にほかなりませんでした。 「存在についてのわれわれの問いがこのような質的な決定性格を持っているとすれば、われわれは何をおいてもまず、この問いに直接的必然性を与えるあのこと、すなわち、われわれにとって存在とは、実際かろうじて一つの語にすぎず、その意味はふわふわした幻にすぎぬという事実と真剣に取り組まねばならない。[…]われわれ自身がこの事実の中に立っているのである。それはわれわれの現存在の一つの状態である……。」 従って、ハイデガーにとって、「存在の意味への問い」を問うことはそのまま、

    【断片から見た世界】『告白』を読む 読むことの本質 – クリプレ(クリスチャンプレス)
  • 【断片から見た世界】『告白』を読む 「究極の襞」 – クリプレ(クリスチャンプレス)

    「ある」ということそのものの意味を問い直す:2023年の現在において、哲学はどこへ向かってゆくべきか 私たちはアウグスティヌスの『告白』を読み進めてゆく中で、「存在する」ということそのものの意味が根底から問われ直されざるをえないような箇所にたどり着いています。 「そこでわたしは、『真理は有限の空間にも無限の空間にもひろがらないから、無であるのではなかろうか』とたずねた。そうすると、あなたははるか彼方から、『わたしは存在するものである』と叫ばれた。わたしはこの声をあたかも心で聞くように、聞いたので、疑いの余地はまったくなくなり、『造られたものによって悟られ、明らかに知られる』真理の存在を疑うよりはむしろ自分が生きていることを疑ったであろう……。」 この箇所において言われていることは2023年の現在において哲学することへと向かっている私たちにとって、どのような意味を持つのだろうか。今回の記事で

    【断片から見た世界】『告白』を読む 「究極の襞」 – クリプレ(クリスチャンプレス)
  • https://twitter.com/philosophy1985/status/1636871138340126721

  • 【断片から見た世界】『告白』を読む 独在性とその「彼方」 – クリプレ(クリスチャンプレス)

    「ミラノの見神」体験は哲学の現在にとって、何を意味するか 『告白』の叙述によるならば、31歳のアウグスティヌスが体験することになった「ミラノの見神」とは、彼が肉眼を通して見ることのできる可視的な光とは異なる、「不変の光」によって照らされる経験にほかなりませんでした。 「わたしは進んでいったとき、わたしの魂の目でそれはなおかすんでいたが、まさしくこの魂の目の上に、わたしの精神の上に、不変の光を見た。それは、どんな肉眼にも見えるような普通の光ではなく、また普通の光と同じ類のものではあるが、それよりは大きく、はるかに強く輝いて、その大きな光力によって万物を照らすというような光でもなかった。わたしが見た光はそういう光ではなく、このような総てとはまったく異なったものであった……。」 2023年の現在時における哲学は、この箇所から何を受け取ることができるのでしょうか。今回の記事ではこの点について掘り下

    【断片から見た世界】『告白』を読む 独在性とその「彼方」 – クリプレ(クリスチャンプレス)
  • https://twitter.com/philosophy1985/status/1623215723601620992