はじめに 天正10年(1582)6月2日早暁、歴史を揺るがす大事件が起こりました。明智光秀率いる大軍勢が、京都の本能寺を襲撃し、稀代の英雄・織田信長を殺害したのです。本能寺は猛火に包まれ、信長の遺骸は見つかりませんでした。勢いに乗った光秀軍は、信長の嫡男・信忠が立てこもる二条御所を取り囲み、信忠も自害に追い込みました。これにより、あと一歩のところまで来ていた信長父子の天下統一の夢は潰えました。そして、本能寺の変から12日後、山崎の戦で明智光秀軍を撃破した羽柴秀吉が、その夢を継ぐことになったのです。 明智光秀は、羽柴秀吉と並び信長に最も信頼された家臣の一人だったといわれます。その光秀が、なぜ信長に反逆し、謀反を起こしたのでしょうか。歴史上最大のミステリーの一つとして、数多くの説が発表されています。それらを検証して、本能寺の変の真相に迫ってみたいと思います。まずその前に、本能寺の変直前の信長と