1962年、北京市通州区馬務村の貧しい農家に生まれた呉玉禄は、30年間で63体ものロボットを作り続けてきた。彼が生み出すアナログ的に奇妙なロボットたちは、ViceやCNNなど海外メディアが取り上げたことで、じわじわと話題を集め、やがて呉は2010年の上海万博や、2015年の京都国際現代芸術祭への展示で招待され、今では中国で「最も聡明な農民発明家」とまで呼ばれるまでになった。 呉がロボットの制作を始めた頃、周りの村人達は彼を変人扱いしていた。まともな収入もなく、家事や畑仕事は全部妻任せ、1999年には電圧を間違え自宅を全焼させたこともあった。呉の妻は幼い息子2人を連れて家出し、真剣に離婚も考えたこともあったそうだ。しかし2004年、呉に転機が訪れる。農民発明家コンテストで「呉老五」が優勝、1万元(約15万円)の奨励金を獲得。このお金で村人達にごちそうして以来、周りの村人の目も変わっていったそ