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2018年2月23日のブックマーク (5件)

  • 専門業務型裁量労働制について - 表道具

    news.yahoo.co.jp 実態として働かせ放題の温床になっているということには同意するが,記事にどうもミスリードがある。リモートワークについていろいろ調べた関係から「専門業務型裁量労働制」についてはいくつか文書を見てきたのだが,「働かせ放題」の原因はこの記事に書かれていることではないように思う。 私は法の専門家ではない。法律的用語は全て怪しい可能性がある。それでもこの記事を書いたのは,上記記事のような偏った記事を弁護士が書いて,それが情報として流通することが良くないと考えたからだ。来は弁護士が,具体的な裁判の事例に即して書くべき内容である。 上記記事においては 使用者から「これをやれ」と命令がなされる 労働者はそれを遂行する 労働者は仕事の結果を使用者へ渡す と労働を類型化した上で,「裁量」が2にしかないとする。つまり, これは、要するに、業務量については労働者には裁量がないとい

    専門業務型裁量労働制について - 表道具
  • 裁量労働制とはこういう制度

    かつて、これほど裁量労働制が話題になったことがあっただろうか(いや、ない)。 それほど、毎日、裁量労働制の話題で持ちきりです。 というのも、上西充子教授が追及している偽データ問題が発端です。 その件に関しては私が何か付け足すことはありませんので、ぜひ、以下の渾身の記事を読んでもらいたいです。 ・なぜ首相は裁量労働制の労働者の方が一般の労働者より労働時間が短い「かのような」データに言及したのか(その3まであります) ・裁量労働制の方が労働時間は短いかのような安倍首相の答弁は何が問題なのか(予算委員会に向けた論点整理) ・データ比較問題からみた政策決定プロセスのゆがみ:裁量労働制の拡大は撤回を(公述人意見陳述) そもそも裁量労働制って? とはいえ、裁量労働制ってどんななの?という人もいると思いますので、簡単に説明します。 裁量労働制は、現行法にもあります。 現行法では、労働基準法38条の3以下

    裁量労働制とはこういう制度
  • HIP HOPでわかるネットワーク分析

    自己紹介 みなさん、はじめまして。 Aidemy 研修生の 加藤正義 (加藤正義 (@Kato_Justice) | Twitter) です。昔はテレビ東大生として、時々バラエティ番組とかに出ていました。 〈●〉EYE-CATCH〈●〉 フィーチャリング関係で繋がった日語ラッパーのコミュニティをグラフ化すると、以下のような構造をしている。 ノードの色は派閥を表し、媒介中心性が大きいほどノードのサイズが大きい。ラッパーの派閥は フリースタイルダンジョン組 KGDR + RHYMESTER + 愛国ラッパー達 (韻が固い) 独立したその他ユニット という具合で分かれた。 媒介中心性の最も高いラッパーはKEN THE 390だった。 ラッパーは好き嫌いが激しい 突然ですが、僕は日語ラップが好きです。しかし、当のラッパー同士がお互いのことを無条件で好きかというと、どうやらそうではないようです。

    HIP HOPでわかるネットワーク分析
    WALKING43
    WALKING43 2018/02/23
  • 「メンヘラ.jp」の意義と批判まとめ - 落ち着けMONOLOG

    要約: 1.メンヘラ.jpは「メンタルヘルスに問題を抱える当事者」に対して、自己表現、承認、情報提供の場になっているので大事。しかもメンヘラ.jpでしか届かない人に届いてるのでは。 でも、三つ批判がある。 2.「メンヘラ」という「つながり」が悪い方向にいく危険性がある。具体的には当事者間のトラブルと、「メンヘラ」のアイデンティティ化・コンテンツ化の問題がある。メンヘラ.jpはそれぞれに対策してるっぽい。 3.メンヘラ.jpは治療を重視しており、治療文化に則っているので、強制的に治療に向かわせる圧力を生む危険性がある。そうならないように、メンヘラ.jpにはバランス感覚が求められる。治療ばかり強調しない、介入しすぎない、多様性を保つ、など。 4.メンヘラ.jpは支援者として信頼に足るのかどうか。やっちゃいけないことやっちゃってる。クラウドファンディングも騙されそうで怖い。誤ったら謝ろう。複数人

    「メンヘラ.jp」の意義と批判まとめ - 落ち着けMONOLOG
  • ゴールデンボンバーに未来は託せるのか? - ただの風邪。

    gendai.ismedia.jp gendai.ismedia.jp ぼくは特にゴールデンボンバーのリスナーというわけではない。けれども彼らがメディアをにぎわす度にどれどれ、今度はなにをしてくれたのかな、とチェックする程度には気にかけている、中途半端な人間だ。別に悪い印象を抱いていることはない。 しかしこのふたつのインタビューを読んでぼくはいくぶん複雑な気持ちになった。鬼龍院翔という人が繰り出すユニークなチャレンジの数々をインタビュアーは賞賛するけれども、鬼龍院自身の語り口はむしろ、マーケティングに長けた戦略家というよりは、「この時代に音楽を聴いてもらうこと」の意義を考えに考え抜いて全力で表現しようとする、こう言ってはなんだがわりあいに古風なミュージシャンシップの人のように見える。「音楽を売る」ことの虚しさを自覚しながらも、「いい曲がヒットにはなるのは間違いない」とも信じるそのアンビバレ

    ゴールデンボンバーに未来は託せるのか? - ただの風邪。