タグ

ブックマーク / wallerstein.hatenadiary.org (64)

  • 「無知を思い込みでカバーし」てる例 - 我が九条

    しばらくunko氏の指摘する「無知を思い込みでカバー」している例を挙げていきたい。 unko氏によれば「疋は貨幣単位。例えば鎌倉時代だと1疋が30文」 ということで、疋を貨幣単位以外に解釈しているのは「無知を思い込みでカバー」している例であるようだ。 疋、馬一-、絹一- (いろは字)1559年(永禄二)、日我 「いろは字」(重要文化財)とそれを執筆した日我については以下のリンクを参照。http://libdspace.biwako.shiga-u.ac.jp/dspace/bitstream/10441/4439/2/SJ02_0022_115Z.pdf 日我が永禄二年に執筆した「いろは字」。現在重要文化財に指定されている室町時代の辞書である。日我はunko氏によれば「無知を思い込みでカバー」している人物なので、unko氏は「正しい答えは出ないぞ」と日我にもいうべきだろう。ちなみに『時代別

    「無知を思い込みでカバーし」てる例 - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2016/12/05
    南京事件、従軍慰安婦、アイヌの話題によく出てきますな。
  • 「干」に「から」の読みはないのにマルハニチロもそう読んでいる。無知なんかな。 - 我が九条

    マルハニチロのサイトより。 サーモンミュージアム(鮭のバーチャル博物館)|マルハニチロ株式会社 無知を思い込みでカバーしようとしているらしい私だが、こんなに簡単に「干鮭」の読みが出てくるとは。自分でも知らなかったよ。とりあえずunko氏はマルハニチロに「干」に「から」の読みはない、というべきだ。そしてマルハニチロのサイトからこの記述を消してからこのブログに文句をいうべきだろう。

    「干」に「から」の読みはないのにマルハニチロもそう読んでいる。無知なんかな。 - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2016/12/04
    それも「無知を自分の思い込みでカバーして」いるんでしょうw
  • 干鮭(カラサケ)の論文を書くことに決めた - 我が九条

    今書いている科研費報告書の論文で近衛政家の日記を見直す必要があってブログに久しぶりにアクセスしたら、次のようなコメントがunko氏によって付されていた。 疋は貨幣単位。例えば鎌倉時代だと1疋が30文。干鮭のことを「カラサケ」などとは言わない。そもそも「干」に「から」などという読みはない。ここは「唐の酒」と読むのが自然。無知を自分の思い込みでカバーしても正しい答えは出ないぞ。 この短い文章にこれだけのツッコミどころを詰め込むのも何かの才能であろうが、このような議論まがいがネット上にあふれているのも事実であって、ネット時代における知性の崩壊状況を如実に示す好例であるのでここで取り上げることとした。 漢和辞典を引けば「疋」と「匹」は互換性があることがわかる。「疋」の用例は貨幣単位だけでないことも分かる。つまりunko氏は漢和辞典を引くことに思いが至らなかったのである。 干鮭の訓みが「カラサケ」で

    干鮭(カラサケ)の論文を書くことに決めた - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2016/12/03
    考えたらそれをできるようになる前に千の風になってる希ガス
  • 引付頭人奉書 - 我が九条

    http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20140303/p1#c1394330265においてせいすいえいこ氏とやりとりをし、氏のサイトを拝読する機会を得たので、氏のサイトに載っている史料の中から、私に論評できる史料の検証を行おうと思う。 題材は『東寺百合文書』ホ函にある二通の引付頭人奉書。 東寺八幡宮雑掌申山城国 久世庄事、申状〈副具書〉如此、早広田 出羽亮五郎相共莅彼所、退濫妨 人、沙汰付下地於雑掌、可執進 請取状、使節緩怠者、可有其咎之 状、依仰執達如件、 正平七年二月廿五日       陸奥守(細川顕氏)(花押) 海部但馬守殿 画像は「http://hyakugo.kyoto.jp/contents/detail.php?id=1827&p=4」 東寺八幡宮雑掌申山城国 久世庄事、申状〈副具書〉如此、早海 部但馬守相共莅彼所、退濫妨 人、沙汰付下地於雑掌、可執進

    引付頭人奉書 - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2014/03/19
    まあ中世においては意外と近いんですがね。↑ラッコは論文になるかも、で少し考えてますw
  • 室町時代におけるラッコ関係史料からわかること - 我が九条

    備忘録的に。 ラッコ関係史料が示すものは、永享年間の特異性であろうかと思う。足利義教による都鄙関係の再編は、大内盛見の死によって大きな転機を迎える。 北方関係で言えば、安藤康季の没落は、反足利義教勢力である斯波義惇と足利持氏による勝利であり、義教が彼らに一定譲歩せざるを得なかったのは、大内盛見の戦死が響いているであろう。九州関係には積極的な義教は、北方関係には消極的な対応を示し、逆に九州には不介入を主張する畠山満家は北方には積極的な介入を主張する。畠山満家と斯波義惇は永享五年に相次いで死去し、義教は新た都鄙関係を構想するようになる。その過程の中で若狭守護を近臣の武田信栄にすることに成功した義教は、北方社会への介入の手がかりを得たが、信栄は肝心の小浜の掌握に失敗し、一色氏と武田氏の対立の中、混迷を深めて行くのではないだろうか。 ラッコの皮の大量導入は、応永から永享という時期のものであり、特に

    室町時代におけるラッコ関係史料からわかること - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2014/02/18
    当たり。ただその論文における関口氏の史料解釈に不満があるだけです。
  • 本当に北方史の史料? - 我が九条

    室町時代の津軽道南地域に関わる史料は少ない。以下に掲げる史料は、数少ない室町時代の津軽地域に関する史料とされている史料である。 政所内評定記録(『室町幕府引付史料集成』) 寛正四年 四月十五日、内談 (中略) 一 武田被官与一色左京兆被官相論舟荷物事 於舟者盗物沽却云々。召上彼訴論人可被遂対決。至荷物者、彼船頭負物在之間押取云々。所詮、舟之荷船頭之計哉否、自余之津湊例相尋之、可依左右。 ー清泉 合ー治河 四月廿六日、内談 (中略) 一 武田○〈被官〉与一色左京兆被官若州小浜住人等売買船相論事 売主有現在者、不日被召上、可有糺決云々。 奉ー清泉 合ー治河 六月二十六日、内談 (中略) 一 武田被官与一色左京兆被官申舟荷物事 十三丸〈大船、〉事者、重格別之上者、於小浜立請人、先被返渡、相論枝舟事者、仰豊前守護、可被召上売主。 ー清泉 合ー治河 寛正四年に室町幕府政所に提訴された訴訟の記録

    本当に北方史の史料? - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2012/08/25
    若狭と津軽を結ぶ船という解釈なんですよ。実際小浜には津軽安藤氏は深い関係がありますから。
  • ハングルに囲まれた我が名前 - 我が九条

    自分の名前で検索をかけると、ハングルに囲まれた自分の名前を見つけた。私は残念ながらハングルが全く読めないので、翻訳ソフトにかけてみた。以下の通り。自分の名前は(自粛)としておいた。 一方(自粛)は≪高麗史≫と≪朝鮮王朝実録≫に登場する‘なぜ’と‘日’の用法に注目して‘日’、‘日人’という(のは)室町幕府や征西?軍府を示す言葉であり、‘なぜ’という当時、すなわち明代の朝貢システムから脱落した者に付けたラベルといった。 当然ここでの‘日’と現在の存在する国民国家としての日は大きく異なる。 (自粛)はいったい‘日’、‘日人’とは何かを議論する必要性があると訴えている[(自粛)2002]. 翻訳ソフトサイト、ひでぇw 多分こういうことが書いてあったんだろうな、というものを書いておく。 一方(自粛)は≪高麗史≫と≪朝鮮王朝実録≫に登場する「倭」と「日」の用法に注目し、そこでの「日

    ハングルに囲まれた我が名前 - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2011/12/27
    すんません、徹夜城氏存じ上げないです。/サイト拝見しました。私は西日本在住なんです。
  • 高岡蒼甫氏ツイート雑感2 - 我が九条

    こんな記事が(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110801-00000008-jct-soci)。そら宮崎あおいさんは火消しに走るのも止むを得ない(笑) 著名人の中でも、高岡さんの主張に共感を示す声も出てきた。 元航空自衛隊幕僚長の田母神俊雄さんは、ツイッターで7月29日、「テレビで韓流ドラマが一日中流れていることに私も違和感を感じています」と明かした。そして、「公共の電波を使って韓国の情報戦略に協力することは止めてもらいたい。しかし、どこからかカネでも出ているのかもしれません」とつぶやいている。 また、元横浜市長の中田宏さんは、ツイッターで、「正論言ってるよね。ずっとそう思ってた。一体どこの国のテレビって感じ」と高岡さんを支持。元国交相の中山成彬さんは、ブログで「乗っ取られているテレビ界の内実を知って我慢ができなかったのでしょう」と書き込み、自民党

    高岡蒼甫氏ツイート雑感2 - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2011/08/03
    「壊れちゃった」(宮崎あおい)人にまじめに連携を表明する人が野党第一党の国会議員って、この国まじでやばくないかな。/フジサンケイグループの教科書不採択運動なら賛同するw
  • 欲しいカード2 - 我が九条

    戦国IXAは半年ごとにリセットがある。今私がいるところは9月にリセットされる。第三章は関ヶ原らしい。足利義昭なんていなくなるだろうな。現在大殿様は最上義光、伊達政宗、北条氏康、上杉謙信、武田信玄、徳川家康、織田信長、足利義昭、豊臣秀吉、毛利元就、長宗我部元親、島津義久で、第一章では豊臣秀吉と伊達政宗ではなく浅井長政と大友宗麟だった。関ヶ原のころに存命だったのは最上義光、伊達政宗、徳川家康だけだな。北条氏康の孫の氏直は高野山にいて、関ヶ原の後に家康より大名に取り立てられる。上杉謙信養子の景勝は関ヶ原の当事者、武田信玄の子孫は滅亡、織田信長の孫の秀信は西軍について織田宗家を滅亡においやり、織田信雄(信長次男)と織田長益(信長弟)が存命で、彼等の子孫が大名として残って行く、けど、大殿様としたくはないな。織田家は信長の死で終わっているだろう。足利義昭も子孫を残さずに関ヶ原の数年前に死んでいるので

    欲しいカード2 - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2011/07/08
    コスト1.5は秘境要員として欠かせません。指揮兵数の対コスト比がやたらいいので防禦要員としても貴重でしょう。木下勝俊、私も欲しい。
  • 天皇の代数 - 我が九条

    天皇の代数は難しい。125代目と言えば簡単だが、昔からいろいろな数え方が存在する。 南北朝時代には神功皇后を歴代に数えていた。逆に弘文天皇と淳仁天皇と仲恭天皇は歴代に数えない。従って後醍醐天皇は何代目か、と言えば、現代では96代目となるだろうが、南北朝時代には94代目である。 肝心の南北朝時代の天皇だが、現代の、特に自分が発起人を務める教科書を決算委員会の場で採択するように圧力をかける政治家は次の様にしか考えないだろう。 後醍醐−後村上−長慶−後亀山 しかし当たり前だが、今上天皇は後亀山の子孫ではない。室町時代には自分が擁立する天皇の先祖を持ち上げ、自分が擁立する天皇に反逆し、天皇を僭称した不届き者は天皇とは扱わなかった。室町時代の天皇の代数は次のように意識されていた。 後醍醐−光厳−後醍醐(重祚)−光明−崇光−後光厳−後円融−後小松−称光−後花園 ちなみに今上天皇は崇光−栄仁親王−貞成親

    天皇の代数 - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2011/06/09
    gingin1234さんはさすがだ。近代日本において北朝がどのように扱われていたか、の知識もなしにここに首を突っ込んで自爆しているw/babanshikaさん、今上陛下の「憲法を護り」というお言葉を蔑ろにする現野党第一党にぜひ
  • デブの言い訳 - 我が九条

    高血圧治療に乗り出した。デブの「頑張っています」アピールがことごとく粉砕された。事療法は減らした分は覚えても、増えた分は頭から消える。運動療法は頑張った分はアピールしても、さぼった分は抜ける。一週間ならすとあまり増えていない。そういうものらしい。普段の事を一口か二口残す、ということと、毎日の通勤であと十数分歩く領を増やすことが必要なようだ。降圧剤で減らすのは簡単だが、三十年、四十年服用を続けることを考えると金がもったいない、といわれた。とにかく一ヶ月で0.5キロ減らせ、とのこと。

    デブの言い訳 - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2010/09/17
    遺伝が大きいようですね。私も医者からは疑われていますが、よく分かりません。父親は計っていないみたいで、母親は今は低血圧です。何せデブなんで(汗)
  • これはひどいウィキペディア「元寇」編 - 我が九条

    ウィキペディアは非常に便利な反面、稀に嘘が紛れ込んでいる。何も知らない人が、自分を物知りと勘違いして自分の思いこみを書き込むからである。近衛基平のところでは岩波書店の社長の安江良介氏を『深心院関白記』の解説執筆者と勘違いするほど業界関係に無知な人(喩えれば阪神タイガースの四番を坂井オーナーと勘違いしているレベル)が恥ずかしげもなく書き込んでいるわけで、今回のもかなりひどいレベル。 関係部分を引用。 1271年9月、三別抄からの使者が来着した直後に、元使の趙良弼らが元への服属を命じる国書を携えて5度目の使節としてきた際には、幕府はこれを朝廷に進上した。朝廷は急いで伊勢に勅使を派遣し、神々に異国降伏を祈った。朝廷内部では返事を出すかどうかで論争されたが、幕府が返事を出す事に反対した事、朝廷内でも「蒙古の要求に屈するべきではない」という強硬論が強かった事から、朝廷・幕府ともに国書を黙殺する事にな

    これはひどいウィキペディア「元寇」編 - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2010/08/30
    goingzeroさん、おっしゃる通りですが、いろいろ面倒くさそうなので(汗)霊言の聞こえている人の記述を訂正すると編輯合戦になるとか・・・
  • 永福寺の建立事情 - 我が九条

    永福寺の建立事情について、修理の時に北条時頼が述べている。 当寺者、右大将軍、文治五年討取伊予守義顕、又入奥州征伐藤原泰衡、令皈鎌倉給之後、陸奥出羽両国可令知行之由、被蒙勅裁。是依為泰衡管領跡也。而今廻関長東久遠慮給之余、欲宥怨霊。云義顕云泰衡、非指朝敵、只私宿意誅亡之故也。仍其年内被始営作。(『吾鏡』宝治二年二月五日条) 「怨霊を宥めんと欲す」というのは『吾鏡』文治五年十二月九日条では「且宥数万之怨霊」とある。「数万の怨霊」とは言うまでもなく源頼朝のために死に追いやられた人々のことであるが、文治五年十二月というのが、奥州征伐の後のことである。奥州征伐は頼朝にとっては自身の政権の確立のための総仕上げであった。そのために頼義故実(前九年の役での源頼義の行動)を再現し、自身が関東の「王」であることを内外に宣言する行事だったのである。その戦いは即ち治承の自身の挙兵以来の戦いの総仕上げであった

    永福寺の建立事情 - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2010/08/17
    ↓時頼クンは祖父と父と叔父を後鳥羽院の怨霊で亡くしているしね。だから永福寺の修理をしたり、建長寺を建てたりしたんだと思う。三浦一族を滅亡させた直後のことでもあるし。
  • 今日の出来事 - 我が九条

    講師控室で先生方(面識はない)が世間話。ネットのデマをマジに受け止めていろいろ差別的な発言をしている。「ネットの中に真実がある」と信じる段階で人文科学研究者としての資質に疑問符が付くだろうし、差別的な言辞をもてあそぶ段階で教育者として失格だろう。少なくとも「人にはどうしようもない属性で不利益な取扱をすることを容認する」人が教育者をやってはいかんだろう。大学の教師がいくら専門性で選ばれていて、他の能力は問われない、と言ってもねぇ。私だって中世史研究の過去の成果で一応大学でバイトさせてもらっているわけで、九九がまともに覚えられてなくても、英語がほとんど理解できなくても、漢字の書き順が怪しくても問題はないわけで、ネットのデマを真実と受け取っても、多分仕事には関係がないわけで、自分で自分のバカさ加減を見る機会は少ない。他山の石として自戒の材料にしよう。

    今日の出来事 - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2010/07/18
    bogus-simotukareさん、よくおわかりで(笑)ただリンク先はまだまともですよ。もっとひどかったです。その主張の根拠が、愛国先生が「デマ」と明言しているレベルの話で、それを真に受ける大学教師というのは悲しすぎる
  • 武士とは何か - 我が九条

    朝廷は長い間常備軍を持たなかった、と言われる。朝廷の常備軍に替わって朝廷という〈共同体ー間ー第三権力〉の強力機構として機能したのが武士団である。武士とはどうやって発生したのだろうか。地方の乱れに対応して大名田堵などの有力農民が武装して在地領主=武士となったのだろうか。実は違う。それでは単なる「武装した有力農民」である。「武装した農民」が身分としての「武士」になるには、それこそ弁証法的展開が必要となる。 「武装した農民」から「武士」への弁証法的展開の触媒となったのが軍事貴族である。かつて拙ブログで軍事貴族に触れたとき、「軍事貴族は貴族なのか」という疑問があった。そもそも「貴族」とは何か。 「貴族」とは端的にいえば官位を持つ人々である。事実上従六位以下は事実上機能していなかったので、六位以上が「貴族」となる。五位以上で清涼殿への昇殿を認められた人々が殿上人で、それ以下が地下人である。殿上人にな

    武士とは何か - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2010/06/26
    「武士」の要件である「武勇の家」は承平・天慶の乱関係の家から生まれるらしいです。武士=「侍」と非武士=「凡下」は明らかに身分として成立しているし、中世は庶民も武装しているので。
  • 権門体制論と天皇制 - 我が九条

    権門体制論それ自体は天皇を【国王】とすることは必ずしも前提としない。だからこそ権門体制論の枠内で天皇ではなく治天を【国王】とする議論も可能なのである。しかし黒田俊雄は断固として天皇を日中世国家の【国王】とすることを譲らない。 これについて次のような意見がある(「唯物史観 | Japanese Medieval History and Literature | 5488」)。 唯物史観を信奉するのに、なぜ権門体制論なの? 権門体制論は、天皇の地位を必要以上に高く評価しているじゃないか。 それは、唯物史観を奉じる研究者が「従三位」とかの位階を授けられてる (そういう人は少なくないそうです)のと同じくらい、ヘンじゃないか。 「唯物史観を信奉するのに、権門体制論」は「自分の思想と研究とが同一のベクトルをもつべきだ」という意見と対立するのだろうか。私はそうは思わない。権門体制論は唯物史観に立脚して

    権門体制論と天皇制 - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2010/06/15
    id:Mukkeさん、さすがに今やっていたら変人扱いではないか、と(笑)。私の弟は「そんなもん聞いたことがない」と呆れておりました。わが大学は10年遅れていたみたいです。
  • 日刊ゲンダイを結果論からみる - 我が九条

    vanakoralさん経由(「http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20100530」)で「日刊ゲンダイ」の記事を(「http://gendai.net/articles/view/syakai/124200」) 「社民党が連立から離脱するかどうかは、民主党政権にとって根幹の問題ではありません。根っこと関係ない、枝が一切れたようなもの。政局になるような話ではありません。むしろ、福島党首の主張をのんでアイマイ路線で行っていた方が深い傷になった。ずっと普天間問題で足を引っ張られ、後ろから鉄砲玉が飛んでくるような事態が続けば、政権運営は前進しません。鳩山首相は踏ん切りをつけるときだったし、つけてよかったのです。それは民主党の小沢幹事長の方針でもあると思います。小沢氏は、細川連立政権で旧社会党に足を引っ張られて、政権を失った。それがトラウマになっている。昨年、政権維持の

    日刊ゲンダイを結果論からみる - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2010/06/03
    ゲンダイは鳩山辞任にキレる前に、政治評論家の外れを引く己の見る目のなさを恨む方が先でしょう。まあゲンダイクォリティといえばそうなのでしょうが。↑dj19さん、優しいんじゃなくて嫌みったらしいんですよ(笑)
  • 大学の細切れ雇用 - 我が九条

    タカマサさん経由(タカマサのきまぐれ時評2 講師の「細切れ雇用」で、大学は教育できるのか?(日経BP))。 「もう専任講師の道は諦めた」 そう話すのは、第二外国語の非常勤講師、立石誠司さん(仮名、44歳)だ。誠司さんは早稲田大学を卒業後、大学院に進み外国文学を学んだ。修士課程で2年、博士課程は6年在籍して、所定の単位を取り学位(博士号)を取得せずに博士課程を修了する「満期退学」した時は31歳だった。 少しプロフィールをいじればそのまま私。「第二外国語」ではなく「日史」、「早稲田大学」ではなく別の私立大学、「外国文学」ではなく「日史学」、「博士課程は6年在籍」ではなく「3年在籍」。「単位取得退学」した時は29歳。ちなみに「所定の単位を取り学位(博士号)を取得せずに博士課程を修了する」のは、私の大学では私の年代まで、私の少し下からは必ず博士学位をとるようになっている。周辺の大学では博士学位

    大学の細切れ雇用 - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2010/05/26
    ↓私は学振の選考で仕分けされましたOTL
  • 祠 - 我が九条

    祠を建立した。もちろんさんけいのペーパー製のもの。非常に細かいのだが、結構不器用な私でも様になるのでありがたい。 背後に見えるのは玉電デハ200。走行性能の良さと好み。一応京都風のレイアウトを目指しているので合わないのだが、車両の好みは如何ともしがたい。車両の向きを変えて見たが、全く走行に問題はなかった。走行性能は当にいい。個体差があるかもしれないが。 神社の周辺に玉垣を作り、その前に地蔵菩薩を祀った祠を建立。

    祠 - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2010/03/25
    ちゅうか、そもそも神社のすぐ前に地蔵菩薩を祀る祠があること自体、どうよ、とも思うので(汗)あとは祠の見どころが正面なので境内に向けると見えない、という問題も。
  • 一連の問題の所在 - 我が九条

    (上に出ているブクマ以外にこのブクマありはてなブックマーク - 2010-02-01 - 我が九条) この一連の動きでの問題の所在は何なのか。そこが今一つ共有されていない。 まずは動きを簡単に時系列で追いかけてみる。 ガメ氏がエントリで次のように発言する。 ついでに国民のほうは「隣の国がうるせーで、あの死んだにーさんたちが集まってる神社はなかったことにすべ」とゆいだした。 「なんか新しい公団住宅みたいな墓苑にすればいーんでない?」 そーゆーのをゴツゴーシュギというんじゃ、ボケ。 それに対しApeman氏がブコメで「へぇ。それ誰のこと? 」とコメントした。 次にガメ氏のエントリにおいて次のような記述がある。 戦後の日人BC級戦犯の裁判記録を読んでいると、こういう些細な誤解が時にいかに重大な結果を引き起こすか、よくわかります。 わっしは、「死の行進」で弱りきったアメリカ兵になけなしのキンピラ

    一連の問題の所在 - 我が九条
    Wallerstein
    Wallerstein 2010/02/02
    tari-Gさん、こんな「ショーモナイ」ことが最初っから分かり切っているエントリにものすごい関心を持ってくださってありがとうございまーす(笑)/バイアス全開になってしまうのは個人的な事情なので仕方ないでしょう