ブックマーク / blog.tinect.jp (62)

  • 「言い方がキツイ人」は、いったい何を考えているのか。

    「悪い人ではないんだろうけど、言葉選びが下手だなぁ」 わたしはAさんに対して、ときおりこう思っていた。 Aさんの考え方自体がおかしいわけではないのだが、なんだか癪に障る言い方が多いのだ。 なぜこの人はこんなにも言葉選びが下手なんだろうと不思議だったが、最近その理由がわかった。 彼は言葉選びが下手なんじゃない。単純に、「自分の言い分は正しいのだから、それを理解できない相手が悪い」と考えていたのだ。 かつてのわたしのように。 「言葉を選んで伝える」という発想がないAさん あるとき、数人で出身地の話をしていたときのこと。 Bさんが、Aさんの出身地を勘違いをしていた。 「Aさんって、沖縄出身だったよね?」 「いや、ちがうけど」 「あれ、沖縄って言ってたと思ったんだけどな」 「いやいや、沖縄出身なんて一切言ってないし」 「あー、ごめん。言ってたと思ったんだけど、だれかと勘違いしたのかも」 「思い込み

    「言い方がキツイ人」は、いったい何を考えているのか。
    WildWideWeb
    WildWideWeb 2024/06/10
    覚えたての言葉の意味をろくに調べもせずに他人の説教道具に直ちに転用する人とか、自分自身の振り返り・反省がそのまま他人の役にも立つはずとか、言葉選びと思い上がりにはいろいろな種類があると思う。
  • 令和のコミュニケーション能力とは、ブルジョワ階級のコミュニケーション能力である

    これのヤバいところは当に求められている「コミュ力」の正体が「上流階級の礼儀作法及び思考プロトコル」だという事。義務教育の延長で突破できるペーパーテストと違って学ぶには相応のコストが必要な代物で、貧困層はそのコストを捻出できない(更に言うと教育機関にもアクセスできない) https://t.co/GUGKICG6Uz — クラウゼル(美少女) (@crauzel_law) April 14, 2024 先日、Xに上のような文章がポストされていた。前後の文脈を踏まえるなら、「AO入試や採用面接で問われるコミュニケーション能力とは、上流階級の礼儀作法と思考プロトコルのことである」といったニュアンスだろうか。 「いまどきは、良い大学・良い就職先に入ろうと思ったら、上流階級のように考え、上流階級のようにふるまえなければダメですよ」と言っているにも等しい。 「特定の階級の礼儀作法や思考作法が優遇され

    令和のコミュニケーション能力とは、ブルジョワ階級のコミュニケーション能力である
  • 「マナー、道徳、常識、暗黙の了解」で人を叩く行為が気に入らない。

    功利主義に向き合う いきなりだが、どうもおれは功利主義者らしい。反出生主義などの持論を述べていたら、そう指摘された。 なるほど、反出生主義論者のベネターの考え方は功利主義的かもしれない。 とはいえ、おれは功利主義をよく知らない。「最大多数の最大幸福?」くらいのものだ。なので、おれはを読んでみることにした。 功利主義 (岩波文庫) たとえば、有名なJ.S.ミルなどはなんといっているのだろう。『功利主義』の冒頭はこんな文章で始まる。 正と不正の判断基準をめぐる論争は、解決に向けた進展が少しも見られない。人間の知識の現状を作り上げている環境要因のうちで、これほど期待はずれなものはほとんどない。 最も重要なテーマに関する思索でありながら、長いあいだ立ち後れたままであり、期待はずれという点でここまで際立っている環境要因はほとんどない。 哲学が誕生して以来、最高善に関する話題、あるいは同じことになる

    「マナー、道徳、常識、暗黙の了解」で人を叩く行為が気に入らない。
  • 自分キラキラに疲れた社会に「推し」ブームが来た

    ここ数か月、色々な人と「推し」について意見交換する機会があり、そうしたなかで「そういえば、承認欲求の時代の限界や最果てとして『推し』ブームを捉えることもできるよね」みたいな考えが温まってきたので、今日はそれをまとめてみる。 前置き:実際は、「推し」ブームの背景はたくさんある どうして「推し」がブームが起こったかを考えると、ブームが到来した原因や要因はあれこれ思い浮かぶ。だから、これから述べる「承認欲求の時代の限界」だけが原因とは言えない。 たとえば「推し」という言葉の使い勝手の良さや、SNSをとおして「推し活」をリアルタイムにシェアできるようになったことや、20世紀末~00年代にかけてオタク界隈のコンテンツとみなされていたものが市民権を獲得してきたことetc……も、「推し」をブームたらしめた要因として挙げやすい。ほかにも色々あって、たとえばコロナ禍が流行してコンテンツやエンタメの需給関係が

    自分キラキラに疲れた社会に「推し」ブームが来た
  • アジア人が欧米で「空気扱いされる」のはよくある話

    第96回アカデミー賞受賞式において、アジア人に対する差別的な行動があったと多くの批判が集まっている。 1人目は、助演男優賞を受賞したロバート・ダウニーJr.。 前年の受賞者である中国系ベトナム人の米俳優、キー・ホイ・クァン氏が彼にオスカー像を渡す際、目も合わさずに受け取り、ほかの俳優とのみ握手をして受賞スピーチを開始した。 2人目は、主演女優賞を受賞したエマ・ストーン。 前年の受賞者である中国系マレーシア人のミシェル・ヨーがオスカー像を手渡そうとしたとき、なぜかとなりのジェニファー・ローレンスに近づき、ジェニファーからエマに像を渡したかのようなかたちになった。 その後ヨー自身が、「エマとジェニファーが親友だから、ジェニファーと一緒に像をわたしたかった」という意図を説明している。 ……なんてことがあった。 この出来事をきかっけに「アジア人透明人間現象」、つまりその場にいるのに空気として扱われ

    アジア人が欧米で「空気扱いされる」のはよくある話
  • 教えてもらうために、できる人に対して「本気で下手にでる」ことにした話。

    かつて在籍していた会社には、優秀な人がゴロゴロいた。 会社では、顧客にアンケートを取っていたので「どのくらい優秀か」は数値ではっきりと示された。 優秀な人は、明らかに顧客の満足度が高く、プロジェクトの継続率も高い。 おまけにマネジャー以上になると、営業の数字もはっきりと出る。 特に受注率は重要で、優秀な人は明らかに提案を出してからの受注率が高かった。 そんな人に対して、私は「すごいなあ」という気持ちと、「悔しい」と言う気持ち、両方があり、どちらかというと「悔しい」が勝っていたように思う。 だから、彼らの実力をそのまま認めることができなかった。 もっと具体的に言えば「彼らは運が良い」「実力的にはそう変わらない」のだと自分を納得させ、彼らから学ぼうとしなかった。 教えを乞う事もしなかったし、「同行させてくれ」と頼みに行くこともしなかった。 それは「負けたような気になるから」だ。 * しかし、そ

    教えてもらうために、できる人に対して「本気で下手にでる」ことにした話。
  • 「教養は大事」と諭された日のこと

    わたしは社会人になって、人から「教養は大事」と何度か諭されたことがあります。 そして、その理由は細かい点では異なりますが、おおむね共通していたように記憶しています。 * そもそも、わたしは以前は「教養懐疑派」でした。 というのも、(今思えば)ステレオタイプに「教養は他者にマウントするための道具」という程度にしか思っていなかったからです。 芸術、文学、音楽数学。 それらの「知識」を持っていない人間に誇示し、「我々はあなたたちとは違う」と知らしめるための、差異を可視化するための道具。 そのような理解でした。 ですから、私が当時の先輩の一人から、「コンサルタントにとって、教養は大事だよ」と言われた時に、「面倒な話だな」と思った記憶があります。 しかし、新人は先輩のいう事を素直に聞かねばなりません。 そこで「なぜですか」と聞きました。 すると先輩は言いました。 「教養って、なんのことだと思う?」

    「教養は大事」と諭された日のこと
  • 「説明能力の高さ」はどこに現れるか

    職業柄、昔から人の「説明」を聞くことがとても多かった。 会社の現状、技術的な見解、商品のスペック、あるいは人の経歴についての話もあった。 そして、説明がとても上手な人もいれば、下手な人もいることを知った。 例えば、こんな具合だ。 「では、御社の事業説明をお願いします」 「わかりました、こちらが会社案内です」 「では、始めてください。」 「はい、では1ページ目をご覧ください。弊社の主要な株主は……全国に展開しており……事業所は……」 ……5分経過 「では次は、弊社の主要な事業です。おもに3つあり……」 「(退屈だな……後ろのページでも見ているか)」 ……5分経過 「次に今回お問い合わせの商品についてです……こちらの……」 「(その話はもうサイトで見たからいいよ……話ながいな……内職でもするか)」 ……5分経過 「以上となりますが、なにかご質問はありますか?」 「………いえ。」 例えば上のよう

    「説明能力の高さ」はどこに現れるか
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    WildWideWeb 2024/02/19
    ここに出ているのは自分の関心対象を十分に意識できてる顧客。自分が何を求めているのか分からず他人にそれすらも探してもらおうとする顧客「候補」はさっさと切り捨てているという前段があるはず。
  • 若手の人に「いい質問ってどうすれば出来るようになるでしょうか」と聞かれた時の話。

    つい最近、会社の若手の人から、「勉強会やセミナーの時、いい質問かどうかを気にしてしまって、質問自体なかなか出来ない」というような相談を受けました。 その時にしたやりとりがなかなか有益だったかも知れないと思いまして、内容をまとめてみたくなりました。 この記事で書きたいことは、大体以下のようなことです。 ・勉強会やセミナーなどで「質問」をするのは、質問の内容によらず、とても大事だし重要なことです ・もちろん質問は「疑問点を解決する」為のものなんですが、周囲の人の理解を明確化する役にも立つし、話を掘り下げるトリガーにもなり得るし、リスナーの反応を確認する為の重要なポイントにもなります ・その為、場面にもよりますが、来「いい質問をしよう」なんて考える必要はなく、「よくわかんなかった」「聞いてなかった」だけの内容でも、質問してもらえるだけで十分ありがたいです ・みんなもっと軽率に「質問」をしていく

    若手の人に「いい質問ってどうすれば出来るようになるでしょうか」と聞かれた時の話。
  • 性格の悪い婆さんは精神科で治療して構わないか

    どこから精神疾患で、どこまでそうでないのかを判断するのは、とても難しい。 たとえば発達障害などもそうで、典型的かつ重度の患者さん、比較的軽度の患者さん、精神科医の何割かが発達障害と診断するかもしれない一群、までのグラデーションがある。 そして実社会では、生物学的にはASDADHDに当てはまりそうなのに医療機関にかからないまま活躍している人も少なくないのである。 みようによっては発達障害・みようによっては定型発達、という人を外来で診る時、片っ端から発達障害と診断するのがベストだろうか? ──これに対する返答は、ドクターによって微妙に違っているように思う。どちらにせよ、障害と診断すべきか迷うような人々が精神医療の内外に存在しているのは確かである。 口の悪い、いじわるな婆さんが精神科にやって来た! さて、発達障害などとは違うかたちで、「これを“病気”とみなして“治療”して構わないのか?」と悩む

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    WildWideWeb 2024/01/23
    ある時期から物事の仕分けが変わり、みんなスムーズに切り替えていくけど、慎重さが期待される業界は切り替え済みの業界からコストを押し付けられる。「ウチも悩まず切り替えてこう」で済むなら楽だけど、という話?
  • AIは、人の下で働くより「管理職」に向いてるのではないだろうか

    昨年1年間、生成AIにふれて思ったことが一つあります。 それは、「AIは、人の下で働くより「管理職」に向いてるのではないだろうか」です。 「生成AIが人の手足となって働く」ことのインパクトはわずか なぜそう思ったのか。 まず第一に、「生成AIが、人間の手足となって仕事を手伝う」のは、実はそう便利でもないからです。 もちろん、生成AIはうまく人間の手伝いができます。 検索をやらせたり、翻訳をやらせたり、要約をやらせたり。 でも、それらの「作業の手伝い」は、他のソフトでもうまくできますし、結局「使う人間の判断」以上のアウトプットは出てきません。 ですから、その場合AIの能力の上限は「使う人の能力に依存する」ことになります。 せっかくのAIの速度を人間が制限してしまっている、というイメージでしょうか。 また、現在の生成AIには目も耳も、手足もありません。 つまり最終的に「体を動かさないといけない

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    WildWideWeb 2024/01/09
    推進派含めて、仮にそう思ってても言っちゃいけない事かと思ってたけど案外そうでもなかったんだな。
  • 「私はいいけど、他の人が傷つくかも知れないから」論法は好きじゃない。

    この記事で書きたいことは、大筋以下のような内容です。 ・町内会で、「その場にいない誰かの気持ちを勝手に代弁して、相手の意見を封じる人」がいた ・「気持ち」自体は必ずしも軽くみられるべきではなく、むしろ尊重するべき ・けれど、「他人の気持ち」を安易に議論に持ち出して、しかもそれで他の人の意見を否定するのは妥当と思えない ・仮想的な誰かの気持ちを代弁することで、自分の意見に「客観的な意見」というような色を乗せようとするのは説得力のドーピング ・「快/不快」の話をするなら、まず「自分」を主語にして欲しいなあと思う 以上です。よろしくお願いします。 さて、書きたいことは最初に全部書いてしまったので、後はざっくばらんにいきましょう。 以前書いたことがあるのですが、しんざきは地元の町内会というものに所属しておりまして、コロナ前は町内イベントの運営などにもちょこちょこ関わっておりました。 一応「青年団」

    「私はいいけど、他の人が傷つくかも知れないから」論法は好きじゃない。
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    WildWideWeb 2023/12/25
    敢えて書くけど、本当に額面通りのこともある。「俺、(タナボタ的に)得しちゃうけど損する人怒ったりしない?」とか、さらに言えば「おやっ、これまでの主張どうした? お仲間の人大丈夫?」とかのパターンもある。
  • 自分は、自分の世界の主人公だろうか?

    モブの人生 先日、はてな匿名ダイアリーでこんな話を読んだ。もちろん、匿名ダイアリーなので、これを書いたのが女子中学生という可能性もある。 中年になってモブ人生が確定してマジでつらい 結婚しているやつはいいわな。パートナーと楽しく生きろよ。 子供いるやつもいいわな。子育ての醍醐味を味わって生きろよ。 仕事で自己実現できているやつもいいわな。その調子でスキルアップしなさいな。 で、この三つがどれもできていないおっさんはどうやって生きていけばいいわけ? 生まれてからずーっと、人に言われたことだけやって、我慢料として安い給料を渡されてさ。 誰かを稼がせるためにロボットのように働いて、動けなくなったらポイでしょ。 七時ごろに仕事が終わって、飯って、酒飲んで、寝る。誰かを稼がせるためにそれを繰り返す。 自己実現できていない会社員って置き換え可能なbotでしかないわなぁ。むなしくなる。 後半では「生産

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    WildWideWeb 2023/12/11
    味わい深い文章。自分の場合、「そうか、あっちが正解ボタンだったんだ」と気づいたあと「あはは。しくじったな」とジタバタしないで納得して人生終えられたらなと思ってる。煩悩は多いけど。
  • すぐに否定から入る人は、いったい何を考えているのか。

    ちょっと前に、Twitterで「すぐ否定から入る人」の話が盛り上がっていた。 ある教授の話 学生 「面接がうまくいきません。どうしたらいいですか?」 教授 「君にやって欲しいことがある。君は人から『晴れてるね』と言われたら『雨の日もあります!』とすぐ返すでしょ。その前に『そうですね』と言ってくれないか。」 学生 「…それは無理です!」 — やるやん (@IPA_law) November 4, 2023 彼らはいったい何を考えているのだろうか。 実は、「正しいことを言いたい」と思っているのではない。 一言で言うと、 「取られてもいないマウントを、勝手に想像して反発しているだけ」と言える。 話の中身はどうでもいいのだ。 * 例えば、昔こんなことがあった。 新規営業の獲得数が累計10社になった新人を、チームのリーダーが祝福した。 「このスピードで10社は素晴らしい」と。 すると、同じチームの先

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    WildWideWeb 2023/11/24
    趣旨は分かるけと、クレタ人構文の令和最新版というか、「そっち(お前)こそどうなんだ」「始めたのはお前のほうだろ」「そもそもがおかしい」「本来ならナントカなのに」系を包含するか否かの話にもなりそうだ。
  • 「時間も労力もかけず、たくさんのお金を稼げる仕事」の正体

    少し前のことだが、電車の中で大学生らしい二人の、こんな話が聞こえてくることがあった。 「今度のバイト、ものすごく楽勝やねん。控室でスマホいじってるだけで時給1,500円やぞ」 ほうほう、そんな夢のような仕事があるのかと耳をそばだてていると、どうやら学習塾で子どもたちを駅からアテンドする役割だそうだ。 そして帰りも駅までアテンドするわけだが、その間は控室で遊んでいてもOKというものらしい。拘束時間や体への負担という意味だけでは、確かに“楽”そうだ。 するとそんな自慢をされたもうひとりの学生も、負けじと応戦する。 「そんなん大したことないな。俺はカテキョ(家庭教師)で時給3,000円やぞ。2時間で6,000円も稼げて、しかも晩ごはんもべさせてくれるねん」 学生らしい会話にほっこりするが、しかしこの会話を聞きながら少し、別のことを考えていた。 (楽にたくさん稼げる仕事って、つまりどういうものな

    「時間も労力もかけず、たくさんのお金を稼げる仕事」の正体
  • テレビ業界で受けたセクハラは、もはやホラーの領域だった。

    ここ数年、「ある電話」が来なくなった。 個人的には喜ばしいことである。 家にいても出張先でも、定期的に夜鳴る電話。番号こそ非通知だが、聞き覚えのある声。 毎日ではないが、忘れた頃にまたかかってくる。 昔からテレビ業界は古い体質だと言われるが、わたしが受けてきたようなセクハラがまだ存在しているなら、もう業界ごと消えて欲しい。 枕元に立つお化けより怖かった テレビ業界は長らく「男社会」だった。 今でこそ男女半々くらいの採用だが、私が入社した頃は女性社員ははるかに少なく、女性新入社員が配属されることは、それだけで珍しかった。 同期社員は26人。そのうち女性は、アナウンサーの2人を含めて5人だ。 最初の配属は報道局社会部。 仕事は自分で盗め、という気質の時代でもあった。 さて、配属されてそう時間が経たない頃。 休日にある上司から、事に行かないかと電話がかかってきた。荻窪にお気に入りの店があるのだ

    テレビ業界で受けたセクハラは、もはやホラーの領域だった。
  • 「要求だけ高いのに、カネを払わない人」に、いいサービスをするのは辞めよう。

    のサービスは、当に「世界一」なのか? 日人の多くは、日のサービスが世界のなかでも群を抜いていると思っている。 外国人は日のおもてなしに深い感銘を受けるはず、日が誇れる文化、たくさんの人を感動させている……と。 でも日のサービスって、他国と比べて、当にそんなに質がいいんだろうか? そう言うと、必ずと言っていいほど「海外旅行に行った時こんな酷い目に遭った」「外国人の友だちがとても喜んでいた」なんて返事がくるわけだが……。 いや別に、それは日のサービスがいいからじゃないよ。 日では単純に、サービスが「タダ」なだけなんだよ。 海外では金を払えばいいサービスを受けられる 実は……というほどでもないが、海外でもランクが高い店に行けば、質のいいサービスを受けられる。 1泊数十万円のスイートルームとまで行かなくとも、たとえば1泊200ユーロくらいのホテルであれば、日の同ランクのホテ

    「要求だけ高いのに、カネを払わない人」に、いいサービスをするのは辞めよう。
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    WildWideWeb 2023/10/05
    (修正再投稿)自分の中で「お客」であることを「労働者」であることより優先させた結果だと思う。「お客」になった時、他の「労働者」にキツく当たるのも、系の外にいる非労働者の無理難題に応える滑稽さもそこから。
  • 「なんで中国は福島原発の処理水に文句を言うの?」という質問に対する中国人の反応。

    先日、友人の会社経営者と飲んでいた時のことだ。 長年の仲良しだという女性の方に向き直ると、唐突にこんなことを質問する。 「なんで中国は福島原発の処理水に文句を言うの?おかしいやん。中国のほうが高濃度のトリチウム水を排出してるんだよ?」 話を向けられたのは、日に長く住む中国籍の女性である。 いや、いくら長年の友人でも、それはちょっと無茶な質問だろう…。 いったいどう回答するのかと、ハラハラしながらやり取りを見守る。 「そんなの、バカ正直に発表するからに決まってるでしょ!発表したんだから、文句を言われても当然!」 その発想はなかった。 恐らく多くの日人に同じ質問をしても、この回答は少数派ではないだろうか。 こういうところが異文化との出会いかと、妙に感心する。 しかしこの後、彼女が説明した「黙っておくべき理由」に、さらに驚くことになる。 「なにかおかしい…」 話は変わるが、かつて地方のメーカ

    「なんで中国は福島原発の処理水に文句を言うの?」という質問に対する中国人の反応。
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    WildWideWeb 2023/10/03
    自分が腹落ちした話を他人にも同様に腹落ちさせられると考えるか、個人的ヒストリーの積み重ねあっての腹落ちだから多分難しいだろうと考えるか。
  • 精神疾患で人生崩壊。京大卒40代のいま。

    「パパゲーノ」という言葉をご存じだろうか。 ひとつの人生観を表す言葉である。 人間、いつどこで不幸の渦に巻き込まれるかなんてわかったもんじゃないし、人生の「前提」なんて、あっという間に壊れた。 エリートだった。しかしある時崖から落ちるように崩れた。一度は持ち直したのに、再び不幸のどん底に叩き込まれた。 正直、生きていることに未練はない。それでもわたしは、日々息をしている。 限りなく普通っぽいわたし 「清水さんって、全く『そういうふう』には見えないですよね」。 よく、そう言われる。 「そういうふう」=「精神障害者」のことである。 まあ、障害と20年も付き合っているうちにこなれてきたというのもあるだろう。完治の見込みはない。「寛解」という落ち着いた状態のなかにいるだけのことだ。 「障害があっても希望を持って生きている人がいる」的な話をマスコミなんかで目にする。 そういう意味では、音楽という趣味

    精神疾患で人生崩壊。京大卒40代のいま。
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    WildWideWeb 2023/09/12
    (修正再アップ)これは、能力に恵まれた人がそれに見合う社会的な義務を果たさねばと真面目に考えた話に思えてきた。所属と肩書をフル活用して人生を楽しんでるような一部の記者に注目し過ぎてた。
  • 「助けてくれ」とはっきり言う人しか、助けないほうがいい。

    仕事においては、「人を助ける」という行為は、美徳に見えますが、意外にもそれなりの思慮を必要とします。 場合によっては、せっかくの行為が、単なる自己満足になることも。 というのも、「助けないこと」と「助けること」を天秤にかけると、あえて助けないほうが良かった、という結果もかなりの頻度で起こるからです。 * 実は昔、私はお世話になった方から「勝手に人を助けるな、「助けてくれ」とはっきり言う人しか、助けないほうがいい」と言われたことがあります。 「どういうことですか?」と聞くと、彼は次のようなことを言いました。 まず、「勝手に人を助ける」とは、はっきりと助けを求められていないのに、何となくその人を助けてしまうこと。 いわゆる「善意」に近い。 しかし「善意」は問題を引き起こしやすい。 なぜか。 一つ目、当人が失敗して反省するという貴重な経験を奪う 命に関わる失敗はまずいですが、オフィスワークでその

    「助けてくれ」とはっきり言う人しか、助けないほうがいい。
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    WildWideWeb 2023/08/30
    助けを求めてるかのようにこちらをチロチロ見ていたとしても、「頼んでもいないのに助けて自分は良いことをしたのだと良い気分になった時点で貸し借り相殺」と自己防衛するケースも確かにあるからなあ。