事典と哲学に関するYOWのブックマーク (29)

  • ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン - Wikipedia

    1930年代から1940年にかけて、カルナップやネルソン・グッドマンそれにアルフレッド・タルスキーや他の哲学者たちと議論をする中で、クワインは「分析」命題と「総合」命題との間の区別がそれほど強固なものではないのではないかと疑問を持つようになった。「分析」命題とは、ただ言葉の意味によって真である命題であり、たとえば「すべての独身者は結婚していない」といった命題のことである。「総合」命題とは、その真偽が世界についての事実がどうあるかに依存する命題であり、たとえば「がマットの上にいる」といった命題である。これら命題の区別こそ論理実証主義にとって核心である。クワインは1951年に発表した論文『経験主義の二つのドグマ』(Two Dogmas of Empiricism)においてこれを批判。クワインの批判によって論理実証主義は衰退したともいわれる。なおクワイン自身は、分析-総合の区別を掘り崩すのに検

    ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン - Wikipedia
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    YOW 2015/10/11
    「くだいて言えば、クワインは分析的言明が定義によって真となることは受け入れるけれど、「定義による真理」なる考えには満足できないと主張するのである」
  • トポス (詩学) - Wikipedia

    このページ名「トポス (詩学)」は暫定的なものです。 代案としては文学的トポス、トポス (文学)、トポス (芸術)があります。(2024年4月) トポス(topos)は、詩学・文学において特定の連想ないし情念を喚起する機能をもつテーマや概念、定型的表現をいう。ギリシア語で「場所」を意味する τόπος (topos) に由来する。日文学における枕詞も一種のトポスである。 元はアリストテレスの『トピカ』における「定石」を意味する修辞学用語であり、前提から結論に至る過程において参照される付帯性・定義・類などを指すものであった。 1948年、E・R・クルティウスが『ヨーロッパ文学とラテン中世』で、文学上の定型表現という意味での「トポス」を広めた[1]。

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    YOW 2015/07/02
    「詩学において特定の連想ないし情念を喚起する機能をもつテーマや概念、定型的表現をいう」
  • テセウスの船 - Wikipedia

    この項目では、パラドックスの「テセウスの船」について説明しています。東元俊哉の漫画およびそれを原作としたテレビドラマについては「テセウスの船 (漫画)」をご覧ください。 テセウスの船(テセウスのふね)はパラドックスの一つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否か、という問題(同一性の問題)をさす。

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    YOW 2015/04/23
    同一性(アイデンティティ)のパラドクス「このパラドックスへの1つの解答が4次元主義の概念から生じた。David Lewisら」
  • Stanford Encyclopedia of Philosophy

    The Stanford Encyclopedia of Philosophy organizes scholars from around the world in philosophy and related disciplines to create and maintain an up-to-date reference work. Current Operations Are Supported By: The Offices of the Provost, the Dean of Humanities and Sciences, and the Dean of Research, Stanford University The SEP Library Fund: containing contributions from the National Endowment for t

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    YOW 2015/01/07
    こんなサイトがあったのか。英文読む練習になるかな
  • ストア派 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ストア派" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2020年8月) キプロス島出身のゼノン ストア派(ストアは、希: Στωικισμός、英: Stoicism、ストイシズム)は、ヘレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めの古代ギリシャでゼノンによって始められた。 自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくかを説く哲学を提唱した[1]。例えば、知者すなわち「道徳的・知的に完全」な人は、判断の誤りから生まれる破壊的な衝動などに苛まされることはない、と説いている[2]。 ストア派が関心を抱いていたのは、宇宙論的決定論と人

    ストア派 - Wikipedia
  • 初心者のための記号論

    <訳者より> テキストは英国のウエールズ大学のダニエル・チャンドラー博士による記号論への入門書のオンライン版であり、インターネット上で公開されているものです。このオンライン・テキストは評判が良く、1995年公開以来のアクセス回数は56万回(2004年2月時点)にもなっています。 訳者は2002年4月まで35年間、企業の研究所に勤務していたシステム分析が専門の技術者ですが、記号論のの中に、「システム」という言葉がたびたび出てくることから記号論に興味を覚え、インターネット上で調べていたところテキストと出会いました。記号論の主要トピックスをソシュールの記号学および構造主義をベースに、丁寧に説明しており具体的な例も多く観念的でないことから、記号論を勉強してみたいと思っている人、記号論の勉強を始めたがよく分からず挫折した人にとって良い参考書になるのではないかと感じました(残念ながら、日では、

  • 自然主義的誤謬 NATURALISTIC FALLACY - 哲学・倫理学用語集 (KODAMA Satoshi)

    自然主義的誤謬 (しぜんしゅぎてきごびゅう naturalistic fallacy) Moore calls it the naturalistic fallacy, though it would more appropriately have been called the definist fallacy. ---John Skorupski ムーアが言い出して、 学界に大きな衝撃を与えた言葉。 要するに、 「快さ」や「望まれるもの」など、 自然において存在するものによって「善さ」を定義しようとする試みは、 すべて失敗するから誤りである、とする説。 彼自身は、「善さ」は定義できない、と主張し、 ただただ直観的に理解できるだけだ、と論じた。(04/20/99) メアリ・ウォーノックはEthics since 1900において、 自然主義的誤謬は 「自然的なものによって道徳的なものを説

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    YOW 2013/04/20
    「ウィリアム・フランケナは『倫理学』で、 事実によって価値を定義しようとする試みに対して、それを自然主義的誤謬だと批判することについて検討。 彼はまず、 そのような試みを単に自然主義的誤謬だと主張すること
  • 自然主義的誤謬 - Wikipedia

    自然だから良い、正しい(あるいは不自然だから悪い、間違っている)という主張については「自然に訴える論証」をご覧ください。 この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2022年1月) 自然主義的誤謬(しぜんしゅぎてきごびゅう、英語: Naturalistic fallacy)とは、メタ倫理学において、善を快いとか好ましいといった自然的性質で還元的に説明することは誤りであるという主張である[1]。この用語は、イギリスの哲学者G・E・ムーアが1903年に出版した著書『倫理学原理』の中で初めて用いられた[1]。 『倫理学原理』のタイトルページ 20世紀初頭に G. E. ムーア が著書『倫理学原理』の中でこの言葉を導入した。 ムーアは、哲学的議論は、ある特定の

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    YOW 2013/04/20
    「この概念を武器に、ムーアはスペンサーの進化倫理学やジョン・スチュアート・ミルの功利主義(以上は自然主義的倫理の例)カントの倫理学(これは形而上学的倫理の例)などを批判」
  • フリードリヒ・ニーチェ - Wikipedia

    フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844年10月15日 - 1900年8月25日)は、ドイツ・プロイセン王国出身の思想家であり古典文献学者。ニイチェと表記する場合も多い。 現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られる。古典文献学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュル(英語版、ドイツ語版)に才能を見出され、スイスのバーゼル大学古典文献学教授となって以降はプロイセン国籍を離脱して無国籍者であった[1][2]。辞職した後は在野の哲学者として一生を過ごした。随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的表現による試みには、文学的価値も認められる。 なお、ドイツ語では「ニーチェ」(フリードリヒ [ˈfriːdrɪç] ヴィルヘルム [ˈvɪlhɛlm] ニーチェ [ˈniːtʃə])のみならず「ニーツシェ」[ˈniːtsʃə]

    フリードリヒ・ニーチェ - Wikipedia
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    YOW 2013/04/08
    「1886年、ニーチェはドストエフスキー『悪霊』『死の家の記録』などを読み、その思想に共鳴している」
  • 三位一体 - Wikipedia

    この項目では、キリスト教の概念「三位一体」について説明しています。 "trinity(三位一体)"のカタカナ転写については「トリニティ」をご覧ください。 正教会の訳語については「至聖三者」をご覧ください。 ヒンドゥー教の概念については「三神一体」をご覧ください。 地母神の概念については「三相一体」をご覧ください。 料理用語については「聖なる三位一体 (料理)」をご覧ください。 THE ALFEEのアルバムについては「三位一体 (アルバム)」をご覧ください。 小泉内閣における聖域なき構造改革の一環については「三位一体の改革」をご覧ください。 このページのノートに、このページに関する議論があります。(2021年1月) 議論の要約:「神」は主権者(sovereign)ではなく「主権」(sovereignty)? アンドレイ・ルブリョフによるイコン『至聖三者』。創世記におけるアブラハムを三天使が訪

    三位一体 - Wikipedia
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    YOW 2013/02/27
    フィリオクェ問題:精霊についてのニカイア・コンスタンティノポリス信条がラテン語訳された時「父から発出する」を、ローマ司教会議が公会議を通さずに「父と子から発出する」で正文と決定した事へ、東方が強く反対
  • 自由意志 - Wikipedia

    自由意志(じゆういし、英語: free will、ドイツ語: freier Wille、フランス語: libre arbitre、ラテン語: liberum arbitrium)とは、人間には、何からも影響(指図や制約)を受けずに、「何かを成そうとする気持ちや考え」を自由に生み出す能力がある、とする仮説である。 自由意志の問題とは、人間が、自発的に”意志”を生み出すことができるか否か、という問いであり、それはまた、人間に行動の自由があるかどうかにも関わってくる重要な問題である。 様々な哲学上の立場が、あらゆる事象は過去未来にかかわらず、既に決定されているか否か(決定論VS非決定論)について、また同様に、自由は決定論と共存できるか否か(両立主義VS非両立主義)について意見を違えている。それゆえに、例えば、固い決定論は、宇宙は決定論的であり、このことが自由意志を不可能にすると主張している。 自

    自由意志 - Wikipedia
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    YOW 2013/02/26
    「決定論・非決定論と,自由意志との両立・非両立論。刑法上の問題、神学、形而上学での問題、ラプラスの悪魔、リバタリアニズムでの心身二元論
  • なぜ何もないのではなく、何かがあるのか - Wikipedia

    「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」(なぜなにもないのではなく、なにかがあるのか、英: Why is there something rather than nothing?)[注釈 1]は、哲学の一分野である形而上学の領域で議論される有名な問題の一つ。神学や宗教哲学、また宇宙論の領域などでも議論される。なぜ「無」ではなく、「何かが存在する」のか、その理由、根拠を問う問題。別の形として、 「なぜ宇宙(または世界)があるのか?(Why is there a universe(world)?)」 「なぜ無ではないのか?(Why not nothing?)」 「なぜそもそも何かが存在するのか?(Why there is anything at all?)」 などと問われる場合もある[注釈 2]。 物事の根拠を「なぜ」と繰り返し問い続けることでやがて現れる問いであることから「究極のなぜの問

    なぜ何もないのではなく、何かがあるのか - Wikipedia
  • 交錯配列法 - Wikipedia

    交錯配列法(こうさくはいれつほう、または交差配列法、交錯配語法、交差配語法、交差対句法など。英語:chiasmus, キアスムス、キアスマス、カイアズマス)とは、お互いに関連する2つの節を、より大きなやまを生むために、その構造を反転させる修辞技法のこと。つまり、2つの節は逆転したパラレリズムで表される。交錯配列法はとくにラテン語文学で人気があり、テキスト中のバランス、順序をはっきり表現するために使われた。聖書のギリシア語・ヘブライ語のテキストにも長文で複雑な交錯配列法が多数含まれている。 今日、交錯配列法は「交差する」構造に対して幅広く適用されている。しかし、古典修辞学では交錯配列法は、類似した他の修辞技法、たとえば倒置反復法と区別されてきた。古典修辞学における「交錯配列法」という言葉は、同じ語や句の「繰り返し」ではない、文の文法的構造または概念を逆転させる構造に対して用いられた。交錯配列

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    YOW 2013/02/12
    「お互いに関連する2つの節を、より大きなやまを生むために、その構造を反転させる修辞技法のこと」
  • 心の哲学 - Wikipedia

    この記事には適切な導入部や要約がないか、または不足しています。 関連するスタイルマニュアルを参考にして記事全体の要点を簡潔にまとめ、記事の導入部に記述してください。(2017年6月) (使い方) 骨相学による脳の地図。骨相学は、その結果のほとんど全てが誤ったものであったが、心的な機能と脳の特定の位置との関連づけを初めて試みた。 心の哲学(こころのてつがく、英語: philosophy of mind)は、哲学の一分科で、心、心的出来事、心の働き、心の性質、意識、およびそれらと物理的なものとの関係を研究する学問である。心の哲学では様々なテーマが話し合われるが、最も基的なテーマは心身問題、すなわち心と体の関係についての問題である。 心身問題とは、心と体の状態との間の関係[1]、つまり一般的に非物質的であると考えられている心というものが、どうして物質的な肉体に影響を与えることができるのか、そし

    心の哲学 - Wikipedia
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    YOW 2012/12/07
    「一元論は、心と体が存在論的に異なるものだという主張を認めない考え方」あそうかそうか
  • パスカルの賭け - Wikipedia 天啓の齟齬に基づく論証

    この項目「パスカルの賭け」は途中まで翻訳されたものです。(原文:en:Pascal's Wager) 翻訳作業に協力して下さる方を求めています。ノートページや履歴、翻訳のガイドラインも参照してください。要約欄への翻訳情報の記入をお忘れなく。(2013年12月) この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2020年6月) 一次資料や記事主題の関係者による情報源に頼って書かれています。(2020年6月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2020年6月) 出典検索?: "パスカルの賭け" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL ブレーズ・パスカル パスカルの賭け(パスカルの

    パスカルの賭け - Wikipedia 天啓の齟齬に基づく論証
  • 通約不可能性 - Wikipedia

    英語版記事を日語へ機械翻訳したバージョン(Google翻訳)。 万が一翻訳の手がかりとして機械翻訳を用いた場合、翻訳者は必ず翻訳元原文を参照して機械翻訳の誤りを訂正し、正確な翻訳にしなければなりません。これが成されていない場合、記事は削除の方針G-3に基づき、削除される可能性があります。 信頼性が低いまたは低品質な文章を翻訳しないでください。もし可能ならば、文章を他言語版記事に示された文献で正しいかどうかを確認してください。 履歴継承を行うため、要約欄に翻訳元となった記事のページ名・版について記述する必要があります。記述方法については、Wikipedia:翻訳のガイドライン#要約欄への記入を参照ください。 翻訳後、{{翻訳告知|en|Commensurability (philosophy of science)|…}}をノートに追加することもできます。 Wikipedia:翻訳のガイド

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    YOW 2011/11/30
    「科学哲学の文脈での使用ではパラダイム同士の間で、概念間の対応付けがうまく出来ない状態のことを指す。価値論の文脈では功利主義の立場に対する、どうやって功利計算をするのか、といった問題と関わるなど」
  • 分析美学を学べる大学2011年度(平成23年度) - 昆虫亀

    2011年度、分析美学の授業がある大学をまとめてみました。 まず、概論系の授業 東京大学 安西信一「美学入門」(夏学期、火曜3限)。 教科書はこちらRoutledgeのCompanion to Aesthetics, 2nd, ed. Berys Gaut and Dominic Mclver Lopes, 2005。 The Routledge Companion to Aesthetics (Routledge Philosophy Companions) Dominic Lopes Routledge 2005-07-28 売り上げランキング : 1050 Amazonで詳しく見る by G-Tools 上の文献の一章づつを、毎回担当者(複数の場合もありうる)を決め、要約し、発表し、全員で討論する。担当者はレジュメをあらかじめ用意すること。 具体的には次の項を読む予定:「芸術の定義」

    分析美学を学べる大学2011年度(平成23年度) - 昆虫亀
  • 実定性・実定的なもの - 日曜社会学

    ニクラス・ルーマン、『法の社会学的観察』、asin:4623029913 http://d.hatena.ne.jp/contractio/20041105#c 平凡社哲学事典よりid:kei1982さん江。 実証的〔英〕positive〔独〕positiv〔仏〕positif 実証的と訳される原語 positive は、 第1に神または人間の意志によって設定された、という意味であり、自然的 natural にたいする。たとえば自然神学にたいする実証神学。自然法にたいするpositive law(これは普通、実定法と訳される)。 第2に認識において事実として経験されることを意味する。これも昔は神の意志の表現として人間が合理的に理解できない事実をさした。その用法はシェリングの晩年の実証哲学にのこっているが、しだいに単に事実的、現実的の意味となった。架空の想像や単に考えられたものにたいして、事

    実定性・実定的なもの - 日曜社会学
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    YOW 2010/04/08
    実定的:positif>コント的意味での「実証的」negatif(否定的・消極的な)に対立する意味での「肯定的」「積極的」、数学用語で「マイナス」に対する「プラスの」、具体的、効果的という意味での「明確な」等
  • 東北哲学会が私にいじわるするの。 - あなたのkugyoを埋葬する

    最近入手した文献のリスト。 清塚邦彦 (1990) “固有名の意味”、文化 54-1/2, pp. 58-77. 清塚邦彦 (1991a) “〈個体述語〉としての存在”、科学哲学 24, pp. 75-88 清塚邦彦 (1991b) “確定記述による直接指示:ドネランの区別について”、科学基礎論研究 77, pp. 27-34 清塚邦彦 (1992a) “指示詞の性と〈自己関係性〉”、科学哲学 25, pp. 85-98 清塚邦彦 (1992b) “存在文の解釈について”、文化 55-3/4 , pp. 46-64. 清塚邦彦 (1993) “自己意識の概念について:言語論的な観点から”、倫理学年報 42, pp. 223-238 清塚邦彦 (1994a) “言語活動と主体性:E'・バンヴェニストの所論の哲学的意義”、哲学 44, pp. 244-253 清塚邦彦 (1994b) “信念

    東北哲学会が私にいじわるするの。 - あなたのkugyoを埋葬する
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    YOW 2009/07/18
    清塚邦彦氏 『絵画的な描写について:哲学的分析』山形大学紀要 『像と摸像:絵画的描写の概念をめぐって』東北哲学会年報
  • 前期ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」#2-1 写像と命題 - 知識の積み木 - 楽天ブログ(Blog)

    前期ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」#2-1 写像と命題 [ 分析哲学 ]     思考の可能性を見出すために、事実を対象に分解し、それらを再結合して事態を構成する必要があることをみた。しかし、現実の対象を組み合わせて新たな事実を作ったのでは、それは現実性であって可能性ではない。そのため、Wは先の存在論的な議論を離れ、2.1からは、どのように我々が事実や対象と関係をもっているかという議論、つまり、事実の写像、思考、言語などの議論に移る。 写像理論(picture theory) 現実性である事実から可能性を見出すには、事実の代替手段が必要となる。それが現実の像(独Bild, 英picture, image)である。我々は、事実を写像することによって事実の(観念的な)模型として像を作る(そして、この事実の模型としての像もまたひとつの事実である)。そして、何かを理解するということは

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    YOW 2009/01/15
    >「思考は命題において知覚可能な形で表される」「命題とは現実の像である」端的に命題=像と捉えて問題ない。しかし名の論理形式だけでは名の指示対象に到達できそうにない/論理的構文論<とラッセルのパラドクス