ブックマーク / fs1.law.keio.ac.jp/~hagiwara (9)

  • 2007年度 政治哲学 I

    講義シラバス 4/11 政治哲学は可能か? 4/18 「知」とは何か 4/25 言葉と学問 5/9 言葉と政治 5/16 古代ギリシアにおける政治の発見 5/23 プラトンの呪縛 6/6 アリストテレスと現代 6/13 近代の「政治」・「哲学」へ ~techneとしての政治学? 6/20 宗教改革:非政治思想の意図せざる政治的な帰結 6/27 近代の「政治」・「哲学」へ ~epistemeとしての政治学? 7/4 ホッブズ問題(1) 萩原研究会ホームページに戻る 4/11 第一講 政治哲学は可能か?< (予定) 1) 学問としての政治哲学? 政治哲学は「われわれは何をなすべきか」という問題に答えるものか。また、それを教えることは可能か。 ウェーバー的意味で不可能である。 トルストイはいう、「学問は無意味な存在である、なぜならそれはわれわれにとってもっとも大切な問題、すなわちわれわれはなにを

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    YOW 2008/05/11
    >『政治哲学は「われわれは何をなすべきか」という問題に答えるものか。それを教えることは可能か』シリーズとしてちょこっと。ウェーバー的意味では・アレント的には・カント的には。
  • 民主主義

    変幻自在の妖術師:デモクラシー すでに政治の世界というラビリンス・ワールド深く迷い込んでしまった私たちを、今回待ち受けているのは最強のボス・キャラの一つと目される「デモクラシー」という名のモンスターである。「変幻自在」とはこのボス・キャラの為にある形容詞といっても過言ではない。攻略法はあるのだろうか。 こいつの強さの秘密は、逆説的なことにその弱さである。大した攻撃もできず、矛盾だらけのことしかできないくせに、やられてもやられても生き返るゾンビのような奴である。しかしその手口は種明かしをすれば意外に簡単で、要するに「あれは私ではなく、私そっくりの顔をしたニセモノだったのです」との逃げ口上を巧みに用いているにすぎない。それでもあなどってはいけない。弱いわりにはこいつはタチの悪い曲者で、いつも正義の味方の顔をして、結構悪辣なのである。油断もスキもあったものではない。 この手のボス・キャラには鍛え

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    YOW 2007/07/20
    >全体主義的デモクラシーは何もフランス型に固有の帰結なのではない。近代国家は全体化のメカニズムを不可避のものとして伴っている
  • 政治思想基礎2-2

    もし相手が必ず黙秘することを知らない限り、相手が自白した場合の大きな損を考えてこれを避けるため双方が自白する。 方法論的個人主義と全体論 全体=部分の総和? 方法論的個人主義...「合成の誤謬(fallacy of composition)」? 2.自己中心的人間 (その野心と孤独、肉体的衝突と没コミュニケーション) 個人主義=利己主義(エゴイズム)    全体論=利他主義?? 科学と倫理 個人主義的な利他主義の可能性は? ホッブズの「仮言命法der hypotethsiche Imperativ」 ←→カントの「定言命法der kategorische Imperativ」 ・「自然主義の誤謬」(G. E. Moore『倫理学原理』三和書房) 3.ホッブズと隠れた神 *政治理論は「超越者」を必要とするか? 「神学」から離脱した「近代的」政治理論は自らが神になることを意味した。 「自然法」

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    YOW 2007/04/27
    自然法での抵抗権で考えると、「法の支配」と自然法、ってやっぱ別ジャンルかなと気がしてきた>近代、自然法上の権利と主張されるより立憲主義実定法体系全体支える民衆側の権力批判的態度として伏流する
  • 正戦

    暴風神父の憂 テレビのクイズ番組やヒューマン・ドキュメンタリーで何回か取り上げられたこともあるので、すでにご存知の方もいらっしゃると思うが、メキシコの覆面レスラーにフライ・トルメンタという変わり種がいる。一般にメキシコでは、覆面レスラーは「善玉」とのお約束事があるらしい。侵略者スペイン人を象徴する悪役白人レスラーに対して、由緒正しきマヤ・アステカ・インカ文明のモチーフを凝らした覆面をまとったレスラーが、メキシコ流プロレス(ルチャ・リブレ)特有のアクロバチックな空中殺法で戦いを挑み、彼らを撃退するストーリーがウケるのである(1)。しかしフライ・トルメンタは単なる善玉ではない。日語名「暴風神父」というリングネームもそのままに、彼の職は神父なのである。右の頬を打たれれば、左の頬を差し出せというキリスト教の教えを説く神父がプロレスをやったら、ボコボコに殴られるだけではないかと考える人はまだま

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    YOW 2007/01/26
    国際戦争法等の解説だけど。話の建て方が面白い>メキシコにフライ・トルメンタという覆面善玉レスラーがいる。それもタイガーマスク真っ青の究極の善玉。故に、常に説得力ある勝ち方しなければならない(八百長でも
  • 2006年度 政治哲学 I

    講義シラバス 4/12 政治哲学は可能か? 4/19 「知」とは何か 5/26 言葉と学問 5/10 言葉と政治 5/17 古代ギリシアにおける政治の発見 5/24 プラトンの呪縛 5/31 アリストテレスと現代 6/7 近代の「政治」・「哲学」へ ~techneとしての政治学? 6/14 宗教改革:非政治思想の意図せざる政治的な帰結 6/21 近代の「政治」・「哲学」へ ~epistemeとしての政治学? 6/28 ホッブズ問題(1) 7/5 ホッブズ問題(2) 萩原研究会ホームページに戻る 4/12 第一講 政治哲学は可能か?< (予定) 1) 学問としての政治哲学? 政治哲学は「われわれは何をなすべきか」という問題に答えるものか。また、それを教えることは可能か。 ウェーバー的意味で不可能である。 トルストイはいう、「学問は無意味な存在である、なぜならそれはわれわれにとってもっとも大切

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    YOW 2006/09/30
    >宗教改革:非政治思想の意図せざる政治的な帰結-(3)全体主義の起源としてのカルヴァン主義:上部構造(イデオロギー)と経済的土台を繋ぐものとしてのエロス的衝動と自己保存衝動という精神分析学的枠組
  • 2006年度 政治学基礎 I

    萩原能久 ラビリンスワールドの政治学「ガイダンス」 萩原能久「<政治的なもの>の概念」、『国家の解剖学』(日評論社) 川崎修・杉田敦編『現代政治理論』(有斐閣アルマ) S.ウォリン『政治学批判』、みすず書房 S.ウォリン『西欧政治思想史』、福村出版 アリストテレス『政治学』、『ニコマコス倫理学』、岩波文庫 N.マキアヴェリ『君主論』(中公バックス 世界の名著) T.ホッブズ『リヴァイアサン』(1)、(2)、岩波文庫 M.ウェーバー『職業としての政治』、岩波文庫 A.P.ダントレーヴ『国家とは何か』、みすず書房 岡野八代『シティズンシップの政治学』、白澤社 杉田敦『境界線の政治学』、岩波書店 上記の杉田書の概要については 杉田敦「主権・境界線・政治」(岩波書店、『思想』2004年第3号) 大学教育での政治学の位置 法学部型 ドイツの「国家学」がお手 政治経済学部型 イギリスの polit

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    YOW 2006/09/30
    >Robert A. Dahl「権力行使のパラドックスと権力の"非対称姓"」←権力物理的強制力の支配か、意味の支配(negative sanctionを用いた相手の合理的判断力(≠非合理性)への作用か)
  • 2005年度 政治哲学 II

    9/28 近代世界における公私関係の変容と政治の可能性 10/5 近代という時間意識と政治の捉え方 10/12 リベラル=コミュニタリアン論争に見る「公」と「私」の変容 10/19 J. Habermasと公共圏の成立・解体・再興 10/26 ハンナ・アレントにおける「世界」と人間 11/2 合法性と正統性 11/9 平和とは何か 11/16 正戦論の現代 11/30 人道的介入 新しい正戦? 12/7 戦争廃絶論の思想史 12/14 世界市民主義 12/21 私たちの戦争責任論 1/11 記憶と忘却のあいだ あるいは 人間とは何か 萩原研究会ホームページに戻る 9/28 第一講 近代世界における公私関係の変容と政治の可能性 現代日における公私関係を裏支えするディコトミー 官 vs 民 公立大学 <==> 私立大学 国家(政府) vs 社会(市場) 公共事業→民営化 NGO・NPOへの注

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    YOW 2006/02/15
    慶応-荻原研究会レジュメ >第三講リベラル=コミュニタリアン論争 に見る「公」と「私」の変容
  • 2004年度 政治哲学 I

    講義シラバス 4/13 政治哲学は可能か? 4/20 「知」とは何か 5/27 言葉と学問 5/11 言葉と政治 5/18 古代ギリシアにおける政治の発見 5/25 プラトンの呪縛 6/1 アリストテレスと現代 6/8 近代の「政治」・「哲学」へ ~techneとしての政治学? 6/15 宗教改革:非政治思想の意図せざる政治的な帰結 6/22 近代の「政治」・「哲学」へ ~epistemeとしての政治学? 6/29 ホッブズ問題 7/6 ホッブズ問題(2) 神でなく、理性でなく 7/13 ホッブズ問題(3) 政治学の戦争 萩原研究会ホームページに戻る 4/13 第一講 政治哲学は可能か?< (予定) 1) 学問としての政治哲学? 政治哲学は「われわれは何をなすべきか」という問題に答えるものか。また、それを教えることは可能か。 ウェーバー的意味で不可能である。 トルストイはいう、「学問は無意

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    YOW 2005/10/02
    荻原先生 >宗教改革:非政治思想の意図せざる政治的な帰結
  • 政治学基礎 I

    萩原能久 ラビリンスワールドの政治学「ガイダンス」 萩原能久「<政治的なもの>の概念」、『国家の解剖学』(日評論社) S.ウォリン『政治学批判』、みすず書房 S.ウォリン『西欧政治思想史』、福村出版 アリストテレス『政治学』、『ニコマコス倫理学』、岩波文庫 N.マキアヴェリ『君主論』(中公バックス 世界の名著) T.ホッブズ『リヴァイアサン』(1)、(2)、岩波文庫 M.ウェーバー『職業としての政治』、岩波文庫 A.P.ダントレーヴ『国家とは何か』、みすず書房 岡野八代『シティズンシップの政治学』、白澤社 杉田敦『境界線の政治学』、岩波書店 上記の杉田書の概要については 杉田敦「主権・境界線・政治」(岩波書店、『思想』2004年第3号) 大学教育での政治学の位置 法学部型 ドイツの「国家学」がお手 政治経済学部型 イギリスの political economyがお手 社会科学型 戦後

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