広島、巨人両球団は2日、長野久義外野手(37)の巨人への移籍が合意に達したと正式発表した。 【写真】涙をこらえ、グッと唇を噛みしめる長野 長野はこの日、マツダスタジアムを訪れ、関係者らへ挨拶した。その後、報道陣の取材ではチームやファンへの思いを問われ、涙を流して感謝した。 また気遣いの男として知られるが、「送別会は受け付けません」と最後までチームメートへの配慮を忘れず、長野らしさ全開でカープに別れを告げた。 長野は19年1月、巨人がFAで獲得した丸佳浩の人的補償で広島に移籍。4年間を広島で過ごしたが、5年ぶりとなる古巣への電撃復帰が決まった。 長野の一問一答は以下。 -心境は。 「球団間で話し合っていただいて、僕の将来のことを考えていただいた結果だと思います」 -野球人生において広島での4年間は。 「そうですね、やっぱり最初の不安というのが、一から人間関係を構築するという、それが一番最初は
巨人が、広島の長野久義外野手(37)をトレードで獲得することが2日、分かった。交換要員は発生しないとみられる。関係者によれば、慣れ親しんだ「GIANTS」のユニホームで残りの現役生活を全うさせたいという両球団の親心が合致し、5年ぶりの電撃復帰という形になったもようだ。 長野は06年(日本ハム)、08年(ロッテ)と2度のドラフト指名を断り、09年ドラフト1位で念願の巨人入りを果たした。ルーキーイヤーの10年は新人王を獲得し、翌11年に首位打者。12年にはチームメートの坂本と最多安打のタイトルを分け合い、12~14年のリーグ3連覇に主力として貢献した。だが、4年連続V逸に終わった18年オフに、巨人はFAで丸を獲得。その際、28人のプロテクトから外れていた長野が人的補償として広島へ移籍することとなった。 新天地では主に代打の切り札として活躍し、20年には代打で打率4割4分と驚異的な勝負強さを見せ
巨人が梶谷隆幸外野手(34)、中川皓太投手(28)、高橋優貴投手(25)、平内龍太投手(24)、立岡宗一郎外野手(32)、高木京介投手(33)、太田龍投手(23)、山本一輝投手(24)、萩原哲捕手(24)、横川凱投手(22)、花田侑樹投手(19)を自由契約とすることを通達したことが23日、分かった。球団は全員に育成契約を打診する見込みだ。 梶谷は21年10月に腰椎椎間板ヘルニアの手術を受けて、今春キャンプは立ち上げ班としてスタート。だが、リハビリ中だった3月に左膝を痛め、その影響で5月に左膝内側半月板縫合手術を受けて今季は試合出場なしに終わっていた。中川もキャンプ直前から発症した腰痛の症状が1年を通して一進一退を繰り返し、今季の試合出場は叶わず。現在はブルペンでの投球練習を再開しているが、実戦復帰までは慎重に調整を進めていく必要がある。 さらに6月末に左膝前十字じん帯再建術を受けた立岡、9
広島は22日、中田廉投手(32)、菊池保則投手(33)、山口翔投手(23)、田中法彦投手(22)、白浜裕太捕手(36)、安部友裕内野手(33)の6選手に来季の契約を更新しない旨を通告した。安部と山口、田中法は現役続行を希望し、菊池保と白浜は未定。中田は現役から退く意向を示した。 【写真】キャッチボールする広島中田廉(2020年5月) 安部は07年ドラフト1巡目で広島に入団。16年に25年ぶり優勝に貢献すると、17年はリーグ4位の打率3割1分を残した。その後も代打などで存在感を示すも、20年以降は出場機会が激減。今季は2軍で打率3割6分8厘と結果を残しながら、12年ぶりに1軍昇格なしに終わった。 中田は地元広陵から08年ドラフト2位で広島入団。14年に自己最多シーズン66試合に登板すると、17年は勝ちパターンにつなぐ役割やロングリリーフなど53試合に登板するフル回転でリーグ連覇を支えた。昨季
プロ野球、ヤクルトの村上宗隆選手が3日夜、神宮球場で行われたDeNAとの試合で56号ソロホームランを打ちました。これで巨人の王貞治さんが昭和39年にマークしたシーズン55本を58年ぶりに上回り日本選手最多となりました。 そしてセ・リーグは3日でレギュラーシーズンが終了し、村上選手が、首位打者、ホームラン王、打点王の3つのタイトルを獲得し、三冠王に輝きました。プロ野球で三冠王が誕生するのは18年ぶりで、令和になってからは初めてです。また22歳での達成は史上最年少です。 【「三冠王達成までの道のり」詳しく解説あり】 【今季最終打席での偉業達成 最終戦の各打席詳細あり】 村上選手は先月13日に55号ホームランを打ち、日本選手では昭和39年の巨人の王貞治さんとシーズン最多で並んでいました。 しかし、そのあとは13試合、57打席にわたってホームランを打てておらず、村上選手は2日、甲子園球場で行われた
10月3日(月)、以下3選手へ、2023シーズンの選手契約を行わない旨を伝えましたので、お知らせいたします。
現役時代の4から変わった背番号、89の数字が心なしか、小さく見える。 1年ぶりにコーチとして広島に復帰した小窪哲也内野守備走塁コーチは、広島首脳陣の中でもあまり目立たない存在だ。練習中に声を張り上げるわけでもなく、選手を叱り飛ばすこともない。ベースコーチでは得点に直結する三塁ではなく、一塁を担当。試合後、報道陣からコメントを求められることもあまりない。それでも、下馬評が高くなかった中で、セ・リーグ3位で交流戦を迎える広島の重要な存在のひとりとなっている。 12球団の中でも、広島は生え抜きの首脳陣が多い。ゆえに伝統の広島野球の流派を継承するような指導が主流となる。そんな広島にあって、小窪は珍しいモチベータータイプといえる。さまざまな練習法やアイデアを出して16年に強力打線を作り上げた当時の石井琢朗打撃コーチ(現DeNA野手総合コーチ)ともまた違う、新たなコーチ像を描いているように映る。 二人
4月24日のロッテvsオリックスで佐々木朗希投手に対して、白井一行球審が注意を与えた件が物議をかもした。プロ野球の試合を進めるアンパイアたちはどのようなことを考えて判定し、一流選手たちを見ているのか。 2020年までプロ野球の審判員を務めた佐々木昌信さんの『プロ野球 元審判は知っている』(ワニブックス)から一部を転載し、裏側をご紹介する(全3回/#1、#3も) オンオフの切り替えがわかりやすい斎藤雅樹 これまで挙げてきた投手より一世代前になりますが、「コントロールがいい投手」ということで巨人の斎藤雅樹投手の名前を挙げます。1980年代後半から1990年代後半まで、巨人は斎藤−桑田真澄−槙原寛己という強力な先発3本柱が存在しました。 桑田投手もコントロールがいいといわれていましたが、桑田投手は「使える球」と「抜け球」がはっきりしていました。95年開幕第2戦、桑田投手の飯田哲也選手への危険球退
今シーズンからMLBシカゴ・カブスに移籍した鈴木誠也選手。開幕以降、目覚ましい活躍を見せ、早くも新人王有力候補の一人に挙げられている。広島カープ時代の同僚で、名助っ人としてファンに愛されるブラッド・エルドレッド氏(現・カープ駐米スカウト)は、現在の活躍をどう見るのか? チームメイト時代の思い出や鈴木選手の素顔、再会したら“連れていきたいところ”を語ってもらった。 「誠也のスゴさをアメリカで知ってもらえてうれしい」 ――今シーズンからカブス所属の鈴木誠也選手がここまで好調です(取材は日本時間4月27日)。 エルドレッド 正直これほどすぐに結果を出すとは予想していませんでした。環境がまるで変わった中での新シーズンでしたから。とはいえ苦戦するイメージが湧かなかったのも事実。説明が難しいのですが、誠也のスイングは世界中どこの野球にも対応できると思っていたので。 ――アメリカのメディアも鈴木選手の適
プロ生活32年で219勝を挙げた山本昌氏(56)が野球殿堂入りを果たした。中日一筋で、49歳0カ月での勝利など数々の最年長記録を作った左腕。04年から8年間、監督を務めた落合博満氏はどう評価していたのか。「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」の著者で、当時番記者だった鈴木忠平氏が明かす。 ◆ ◆ ◆ 最年長サウスポーをなぜマウンドから降さなかったのか まだスポーツ新聞の記者だったころ、落合博満と山本昌の関係をずっと不思議に思っていた。ゲーム中はベンチで微動だにしない指揮官が、ベテラン左腕が投げる日はさらに彫像のように動かなくなるのだ。 当時40歳を超えていた山本昌は勝利投手の権利がかかった5回を過ぎるとピンチを招くことが多くなっていた。苦しそうにベンチを見ることもあった。受ける捕手も「そろそろ……」と言わんばかりに落合に目をやる。あとはリリーフに託して、汗を拭ってもらえばいいでは
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