南部vs津軽[編集] 対立の要因[編集] 廃藩置県当初は、弘前県として弘前藩単独の県であったのが、まもなく旧南部藩領も与えられ非常に武威を振るった。どのくらいの武威だったかというと津軽の領民がガツガツ南部に押し寄せて、一時に治安が悪化したばかりでなく、南部地方の公務員や警察などの要職・顕職を軒並み分捕ってしまうくらいであって、南部市民は泣きながら津軽の泥棒とこの悪行を罵った。いいたかないが戦後の朝鮮人跋扈を思わせる状況であり、それよりさらに悪質である。ちなみに津軽人はこの怨嗟の声に応えて南部の人殺しと返したが津軽人による南部人への殺人行為のほうが事件件数としてずっと多い。 現状[編集] 実際的には津軽人による南部人奴隷支配体制であった青森県は、その県庁所在地を思いっきり青森の懐に置くなど、他郷の者がみると引くくらい露骨なものであり、太平洋戦争を越えて現代に至ってもなお状況は改善されておらず
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