週明け19日午前の国債市場で一時、長期金利の指標である新発10年債の利回りが0.095%に低下した。取引時間中に0.1%を割り込んだのは8月下旬以来約3カ月ぶり。
く〇寿司に行ったら注文用のパネルにiPadを使用しており、何とそれがとんでもなく膨張している事に気付いてしまう事態が発生しました。
片山さつき地方創生相の書籍を宣伝するためとして、さいたま市内に設置されていた看板が、同市の許可を受けていなかったことがわかった。朝日新聞の問い合わせを受けた市が地権者に確認したところ、看板の広告を取りやめる意向を示したという。18日時点で、看板は真っ白になっていた。 看板は、さいたま市の浦和駅近くの幹線道路に面した場所にあった。片山氏の国会などでの説明によると、2015年12月に出版された片山氏の著書の宣伝のため、片山氏の関係会社などが16年1月に設置したという。 さいたま市は条例で、屋外に広告看板を出す場合は市の許可が必要だと定めている。片山氏の看板について朝日新聞が市に問い合わせたところ、広告主や看板の設置者などが届け出て許可を受ける必要があるが、許可を受けていなかったことが判明。市が地権者に確認すると、看板を白地にし、屋外広告物の対象にならないようにするとの意向を示したという。 無許
麻生太郎副総理兼財務相は17日、福岡市長選の応援のために訪れた同市内で街頭演説し、東大卒の北橋健治北九州市長を「人の税金を使って学校に行った」と批判した。安倍政権は、大学の財源の多様化を進めるべきだとの方針を示している。
来年10月に始まる幼児教育・保育の無償化をめぐり、全国市長会は14日、国が求める新たな費用負担に反対する方針を表明した。必要な基準を満たしていない認可外保育施設が無償化の対象となることにも危機感を強める。政府が昨年の衆院選の際、詳細を詰めずに無償化を打ち出したツケが表面化している。 この日、市長会が無償化をテーマに開いた会合で、内閣府は消費増税で地方も収入が増えることから、私立保育所・幼稚園の運営費は国が2分の1、都道府県と市町村が各4分の1、公立保育所・幼稚園は市町村が全額という今の負担割合を無償化後も維持する案などを示した。今は利用者が負担する保育料などが必要経費に加わるため、負担割合は同じでも、国、都道府県、市町村それぞれの負担は増えることになる。 市長会側は激しく反発。滋賀県湖南市の谷畑英吾市長は「私どもは6月6日と8月30日に(菅義偉)官房長官から『無償化については全額国費で負担
政府は外国人が日本の医療機関で受診する際、在留カードなど顔写真付き身分証の提示を求める方針を固めた。来年4月開始を目指す外国人労働者の受け入れ拡大で、健康保険証を悪用した「なりすまし受診」が懸念されるためだ。外国人差別につながらないよう、日本人にも運転免許証などの提示を求める方向だ。 来年度にも運用を始める。厚生労働省が在留外国人への周知徹底を図るとともに、身分証の提示要請を各医療機関に促す。 国民皆保険制度を採用する日本では、在留外国人も何らかの公的医療保険に原則として加入することが求められる。保険証を提示すれば、日本人か外国人かを問わず、原則3割の自己負担で受診できる。ただ、保険証には顔写真がついていない。「別人かもしれないと思っても『本人だ』と主張されると、病院側は反論が難しい」(厚労省幹部)という。 自民党の「在留外国人に係る医療ワーキンググループ」が医療関係者や自治体から行ったヒ
遠くのトナカイを見て角の枝を見分けられるか。目の検査ではない。シベリアの先住民が距離を表すのに用いていた「ブーク」という言葉の話である。角の分かれ目を見分けられる距離が1ブークという▲一方、耳の検査かという話もある。ロシアの古い土地の契約書には、野牛の鳴き声が聞こえる範囲という面積の基準があったそうな。話全体がなんとも大まかなのは、広大で人が少なく、遠くを見回せて静かな土地だったからだろう▲ひるがえって、こちらはどんな微細な食い違いも許されないという世界の話である。磨耗などによる10万分の5グラムの誤差が問題化していた国際キログラム原器が、いよいよメートル法の質量の基準の座から退くことになったのである▲基準原器といえば、その昔は1メートルの基準としてメートル原器があった。だが今では「1秒の2億9979万2458分の1の間に真空の中を光が進む距離」が1メートルである。同じように1キログラムも
憂うつだった<私>は、一個のレモンを手にした時から、幸せを感じる。梶井基次郎の代表作『檸檬(れもん)』にある有名なくだりだ。<つまりはこの重さなんだな…この重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算して来た重さである…>▼鮮やかな黄色と手の中に収まる大きさ、形、手触り、そして高揚した心を思いながら、その重さに想像力を働かせてみる。そんな場面だろうか。何グラムかは知れない。軽くも、とてつもなく重くも思える<この重さ>である▼重くなったり、軽くなったり、解釈の余地があってはならない重さの定義が、約百三十年ぶりに変わるのだという。フランスでの国際度量衡総会で「キログラム」の定義変更が諮られる▼変更となれば、日本国キログラム原器は来年、お役御免になるらしい。一メートルや一秒などは、すでに定義に膨大な数字が登場し、人の実感から懸け離れてしまった▼簡単に「原器の質量」で定義されてきたキログラ
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