野球の実力だけじゃなくて、彼は誰からも好かれる人物なのよ。(グレース・マクナミー)
「私が自分の頭をよくしようと思ったのは、和服の構造を理解するためじゃないんです。わかりますか? 将棋のために頭をよくしたかったのに、いろいろなことに対してバランスよく能力を上げてしまって、一般人レベルの生活ができるようになってしまった(笑)。そこがちょっと悲しかったんです」 しかし、それは人間としての成長であり、一般的には幸せなことではないか。もちろん永瀬もそんなことはわかっている。 「人間としては一流になれるかもしれませんけど、将棋の超一流にはなれないのかもしれないと思うようになりましたね。人間らしさで勝負するのは、対人間なら通用するでしょう。でも藤井さんを人間と見てはいけないんですよ。やっぱり藤井さんみたいな超一流になるには、将棋だけに没頭していた頃に戻らなきゃいけない。なんというか、その頃って漆黒の世界にいたような感じなんです。でも自分はその後、人間らしくなったというか、彩のある世界
「高い身体能力を持っている塩見(泰隆)が、ようやく1番打者に固定できるようになったし、オスナ、サンタナのふたりが4月のいい時期に合流できて、相手に圧力をかけられるようになった。それに、4番のムネ(村上宗隆)がよくボールを見極められる。外国人ふたり、それに村上といった中心打者が我慢強ければ、それはチーム全体にいい意味で伝染していく。得点力が上がったのは、地味にそのあたりも大きいんじゃないかな」 たしかに、日本シリーズひとつとってみても、6試合を戦って、ヤクルトは21個の四球を選んだのに対し、オリックスは15個。投手の制球力に起因するところもあるが、ヤクルトの打者はシーズンを通して“patient”=打席で粘り強さを発揮したことは間違いない。 巨人、阪神のダグアウトとは対照的だった 選手たちは、ある意味で「同期」していたように思う。 打線全体としてストライクとボールの見極めをしっかりと行い、フ
「堀米雄斗効果でスケボー人口が急増している」という噂。取材を進めるとパーク利用者は確かに増え、スケボー用具も売れていることが分かった。一方、日本でスケボーが普及するにはまだまだ問題も多いのが実態だ(全2回の2回目/前編へ)。 千葉市や藤沢市でスケボーパークの計画が進み、東京でも「有明アーバンスポーツパーク」の恒久施設化が検討されている。ただ、そうは言っても理解のあるケースはごく一部だ。大田区城南島へのパーク建設の立役者である冨田誠氏は嘆く。冨田氏は同区糀谷でスケボーショップ「fifty fifty Skateboard Shop」を営んでいる。 「東京都が初めて整備したスケートパークが城南島。あれは大田区でスケートボードをしているOTSCオオタスケートクルーの仲間たちと1998年に署名を始めて、完成まで7年かかりました。当時は都内で唯一の施設だったから、各地のスケーターが集まっていましたね
オープン戦から自己最速の101.9マイル(約164キロ)を投げ、打率.548、5本塁打。投打同時出場も果たし、ようやく持てる才能を存分に発揮し出した大谷の異才を目にすれば、“かかりちょう”になるのも無理もない。 コロナ禍の影響で日々の取材は昨季からZoomで行われるようになった。今季もそれは同様。エンゼルスは試合前と後にジョー・マドン監督の他に必ず選手もしくはコーチをZoomセッションに連れてきてくれるのだが、今年は必ず米国人記者たちが「大谷をどう思うか?」と聞いてくれる。我々にとってはありがたい限りである。 開幕戦。試合前に呼ばれたのは殿堂入り間違いなしのアルバート・プホルスだった。通算3243安打の41歳は大谷についてこう言った。 「何よりも健康であることがいい。去年は左膝が万全でなかったからね。私も同じ経験をしたことがあるが、膝の状態が悪いと同じ練習をしても同じではなくなってしまう。
日本代表に招集されても続いた激しいバッシング。怒りも込み上げてきたが、冷静に自分の本心をSNSに投稿した ベルギーリーグ1部のベールスホットで背番号10を背負うストライカー、鈴木武蔵。先日の日韓戦とアジア2次予選モンゴル戦は怪我の影響で招集を見送られたが、森保ジャパンでは着実に出場機会を増やしている。ジャマイカにルーツを持ち、日本で育ってきた鈴木にとって「日本代表」は特別な場所。小学校時代に受けたイジメ、差別、プロサッカー選手になっても続く誹謗中傷のメッセージ……サッカー選手として新たなステージを突き進む鈴木が、自身の半生を赤裸々に語った(全2回の後編は、日本代表初招集後の2019年のエピソードです/前編はこちら)。 ※本稿は『ムサシと武蔵』(徳間書店)の一部を抜粋、再編集したものです。 2019年11月、僕を差別する発言がSNSに上げられた。 ちょうどこのとき、僕は自宅でくつろいでいた。
ベルギーリーグ1部のベールスホットで背番号10を背負うストライカー、鈴木武蔵。先日の日韓戦とアジア2次予選モンゴル戦は怪我の影響で招集を見送られたが、森保ジャパンでは着実に出場機会を増やしている。ジャマイカにルーツを持ち、日本で育ってきた鈴木にとって「日本代表」は特別な場所。小学校時代に受けたイジメ、プロサッカー選手になっても続く誹謗中傷のメッセージ……サッカー選手として新たなステージを突き進む鈴木が、自身の半生を赤裸々に語った(全2回の前編は、ジャマイカから来日した小学生時代のエピソードです/後編はこちら)。 ※本稿は『ムサシと武蔵』(徳間書店)の一部を抜粋、再編集したものです。 「あああ、ムサシか。お前、入ってくるなよ」 ショックだった。今まで仲良く遊んでいたはずの友達から、急に冷たい態度をとら れたからだ。 「何で? 僕、何か悪いことをしたかな」 その日から僕の周りは急に冷たくなった
昨年12月16日、伊達公子は日本テニス協会の役員数名とともに名古屋市役所を訪れていた。同市の河村たかし市長などに宛てて、ある要望書を提出するためだ。 2026年に愛知県で開催されるアジア競技大会でテニス会場となる東山公園テニスセンターのコートサーフェス(材質)に関する要望書だった。同テニスセンターは大会の開催基準に合わせて現在の砂入り人工芝コートからハードコートへ改修されるが、大会終了後にまた元のサーフェスに戻す予定だという。普段の利用者たちにアンケートをとったところ、戻してほしいという意見が多かったためだそうだ。この情報を耳にした協会が出した要望書の内容はつまり、「ハードコートのまま残してほしい」というものだった。 日本の5割を占める「砂入り人工芝コート」 これは伊達が取り組もうとしている『日本のテニス環境の整備』の根幹に関わる事柄でもある。日本のテニスコートの5割を占めるこの砂入り人工
新型コロナウイルス感染拡大は収束せず、その中で開催された今大会は、例年と異なる形で実施されていた。 いつもであれば、スタートやゴール地点、中継所をはじめ数多くの人々が沿道で声援を送り、見守る。例年の観客者数はおおよそ120万人前後と推計されている。 ただ今回は、コロナ禍にあった。感染の予防の観点から「応援したいから、応援に行かない。」を大会のキャッチコピーとし、さまざまなメディアなども活用しつつ、沿道での観戦や応援の自粛を求めた。 一般への呼びかけだけではない。レースに参加しない選手、選手の家族にも沿道ではなくテレビからの応援を要請した。選手も家族などにその旨を伝えていたという。 その結果、今レースの沿道の人の姿は激減していた。大会ののち、観客は昨年(約121万人)と比較して85パーセントほど減少したおよそ18万人だったことが伝えられている。 だがこれは逆の見方をすれば、昨年の15パーセン
三段リーグを勝ち抜き、10月からプロ棋士となる伊藤匠新四段。藤井聡太二冠と同じ2002年生まれだが、誕生月が3カ月遅い伊藤が“現役最年少棋士”となる。 伊藤匠新四段とはどんな棋士なのか? 伊藤が7歳のとき、初めて出会ったという勝又清和七段が綴る。 2010年夏、「ときんの会親子将棋合宿」で伊藤匠新四段(17歳)と初めて出会った。これは保護者の方々の手作りの合宿で、手合や進行も全て親がこなした。伊藤の父親の伊藤雅浩さんも弁護士業の激務のなか一緒に参加し、手合係をこなし、自らも将棋を楽しんだ。 伊藤は「たっくん」と呼ばれ小学2年ながら有名な存在だった。利発で負けず嫌い、終盤が特に強かった。私が作った詰将棋などは秒で解かれてしまう。とにかく将棋が大好きで、ライバルの“こーせー君”こと川島滉生君と何番も何番も指していた。 たっくんは小学生大会で大暴れする。この合宿の約3週間後、全国小学生倉敷王将戦
近年の甲子園は、膨大な練習と膨大な食事を吸収できた"ガタイ”がいい選手が多い。しかし、もっと無理なく成長することができるとしたら……。 新型コロナウイルスはなかなか収束を見せないが、スポーツ界は徐々に活動が再開され始めた。プロ野球・Jリーグの2大プロスポーツが先駆けとなり、アマチュアスポーツも少しずつ活気を取り戻しつつある。 野球界も「withコロナ」の生活様式を進めている。プロ野球の取材をしていても、変化を如実に感じる場面がある。 プロ野球のパ・リーグを2連覇している西武は、ホームでの同一カード6連戦の最後の日、試合前のシートノックを行わなかった。またパ・リーグの首位・楽天は、中軸を担う3選手、浅村栄斗、ブラッシュ、ロメロの負担を休養日やDH起用で軽減しながら、チームをうまく循環させている。 そして彼らは、試合でハイパフォーマンスを発揮している。チームが好調なのもうなずける。 この流れは
取材で、エディー・ジョーンズさんはこう言い放った。 「日本人は『若い人』が好きなんです」 エディーさんが、小学生のラグビー大会を見ていた時のことだ。ある記者が近寄って来てこう質問したという。 「誰か、小学生の中で、目についた選手はいますか?」 エディーさんは驚き、呆れたという。 「小学生のレベルでも、足が速いといった素質を見ることは出来ますよ。でも、誰が将来のジャパンに選ばれるかなんて、私にだって分かりません。無駄な質問です」 岩崎恭子に浴びせられたブーイングの正体。 日本のメディアは、今も昔も、なぜか「14歳」が好きだ。 1992年のバルセロナ・オリンピック、14歳の岩崎恭子が金メダルを獲った。 「いままで生きてた中で、いちばん幸せです」 中学2年生から名言も飛び出して、「恭子ちゃん」は一躍時の人となった。しかし、彼女にとってそれが幸せだったかどうか、分からない。 そういえば、彼女に取材
「彼らに聞いたら『だって甲子園に行くつもりで高校に入ったから』と……。僕とはそこが決定的に違いました。つまり自分が想像できないことは達成されない。そういうことです」 北海道旅行の目標になる、壮大なスタジアム構想を! その青年は今、北海道日本ハムファイターズ事業統轄本部長として、新球場構想のプロジェクトを担っている。今年6月29日、新スタジアムのイメージ図を発表した席で「オンリー・ワンか、ナンバー・ワンか。北海道の皆様の誇りになるような球場にしたい」と語ったのが前沢だった。 「北海道を象徴するような文化であり、街づくりの中心となるようなものができれば、自然とオンリー・ワンになるし、世界ナンバー・ワンになると思っています」 例えば、北海道へ旅行に行く人に「何のために?」と尋ねると、こう答える。 「そりゃあ、美味しい海産物と◯◯スタジアムだよ」 これが前沢の言う文化としての球場であり、街づくりの
タイガースファンは長く待った春到来の予感があることだろう。セ・リーグは昨季王者・広島との一騎打ちの様相を呈しており、気温の上昇とともにもっと熱くなりそうだ。 前回優勝したのは2005年。ファンはじつに12年間も歓喜から遠ざかってきた。その間に甲子園球場はリニューアルされ、阪神電車から続くスタジアムへの道も整備された。今年に入って長く親しまれたダイエー甲子園店の閉店もニュースになった。 スポーツビジネスの発展とともにタイガースを取り巻く環境も様変わりした。それとともにファンの在り方も変わってきたように映る。 スタンドに足を運ぶ理由は勝利か、質の高いサービスか。他球団や他のスポーツでも同様だが、ドライな判断が伴うようになってきた。ただ、その中で虎党にはずっと変わらないものがあるような気がする。そこにこのチームの幸せがあるような……。 野田裕治(55)は兵庫県芦屋駅前で70年続く老舗美容室「グラ
たった10人の部員が躍動する姿に、見ていた人の多くが感動を覚えたに違いない。 センバツ5日目の第3試合に、21世紀枠で出場の不来方(岩手)が登場した。静岡に3-12で敗れたものの、今年のWBCメンバー・増井浩俊を生んだ強豪校に対して、真っ向から挑んだ姿を称賛する声は多かった。 強豪を相手に臆することなくフルスイングを心掛け、9安打を放ち3得点を奪った。送りバントを多用せず、果敢に攻めていった姿勢は評価されるべきだろう。1点を先制した後は劣勢になって12失点を喫したが、彼らの戦いぶりは勇ましかった。 部員10人の挑戦には、勝敗だけでは片づけられないものがあったのだ。 しかし、彼らの挑戦が伝えたメッセージは感動だけではなかった。10人の部員しかいない高校が甲子園に出場した。このことは何を意味しているのか――。 「部員10人」と聞けば、生徒の少ない学校で数少ない部員を集めて努力し、21世紀枠の代
涙が止まらなかった。 「終わったな、と。自分自身をコントロールできなくなっているところが正直あります。今日においては、すばらしい選手たちと、すばらしいスタッフと、最高の環境で精一杯戦えたことの幸せの涙というか、またたくさんの方たちから応援していただいて、柔道を支えてくれた方たちへの感謝の涙なのかなと思います」 柔道男子日本代表監督の井上康生はしっかりと話しながらも、うつむき加減となって涙を止めることができなかった。 8月12日、柔道の最終日、100kg超級で原沢久喜が銀メダルを獲得した。男子は金2、銀1、銅4と1964年の東京五輪以来、52年ぶりとなる全階級でのメダルを達成した。 ただ前回の東京五輪当時は4階級しかなく、7階級となってからは初となる。しかも海外で柔道が広く普及した現状を考えれば、その価値はなおさら大きい。 「4年前は屈辱というか自分自身の無力さ、力のなさに悔しい思いをして涙
「悲報」としか、呼びようがない。 ヤンキースの田中将大が「右肘内側側副靭帯」の部分断裂で、少なくとも6週間は戦列を離れることになった(学会で一堂に会していた3球団のドクターが同意見。すぐに手術の必要はなしとの判断も同じ)。 今季のヤンキースは田中、黒田博樹がいなかったら、どうなっていたか? それを考えるのも恐ろしい……とずっと思ってはいたが、田中の離脱によって、いよいよ苦しい状況に追い込まれた。 田中の治療方針に関しては、新しい治療法が施される見込みだ。 ヤンキースのブライアン・キャッシュマンGMによれば、靭帯の再建手術である「トミー・ジョン手術」を避け、比較的新しい治療法とされる、「PRPインジェクション」(多血小板血漿注射)が施される見込みだという。 PRPとは、Platelet-Rich Plasmaの略で、血小板が豊富な血液を局所に注入するというものだ。 治療の流れとしては、田中自
まさかの4位に終わり「すごく残念です」と無念さをにじませるも、高梨沙羅は決して風や環境のせいにはしなかった。 スキー・ジャンプ女子の高梨沙羅は、オリンピックで4位に終わった。 ワールドカップでは全13戦のうち実に10度優勝。優勝できなかった3大会でも2位2回、3位1回と、すべて表彰台に上がっている。 この驚異的な成績は、突出した力と際立った安定感をともに兼ね備えているからにほかならない。 今大会で金メダルを期待される選手として名前があげられるようになったのも、無理もない成績だ。 高梨自身、世界一になることへの意欲を示してきた。 だがオリンピックでは、金メダルはならなかった。そして今シーズンでは初めて、表彰台を逃すことになった。 誰もがその実力を認める高梨が、なぜオリンピックでは表彰台にすら上がることができなかったのか。 要因はきっと、いくつもあるだろう。踏み切りのタイミングは完璧だったのか
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