アジア太平洋戦争から70年を迎える今年、私たちが生きてきた「戦後」と呼ばれる時代について、かつてない論議が起きています。南方での凄惨な玉砕、島民に多大な犠牲を強いた沖縄戦、そしてヒロシマ、ナガサキへの2度の核攻撃を経て終戦を迎えた同じこの夏には、かつての戦争について改めて振り返り、その実相の解明と、歴史的な省察を促す企画が目白押しです。いまある日本の社会が、その過酷すぎる礎のもとに築かれてきたことを思えば、当然のことと言えるでしょう。 それにしても、なぜ「70年」なのでしょうか。まるで「戦後100年」を迎えたかのような騒ぎではありませんか。あるいはなぜ「戦後50年」に、このような気運が盛り上がらなかったのでしょうか――私には、そのことが、ずっと不思議でした。 むろん、集団的自衛権の行使を可能とする新安保法案への世論の高まり、沖縄の辺野古への基地移転をめぐる国と県との攻防、1964年の東京五
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