「当時の刑事、検察官は絶対許しません。17年間、ずっと思ってきた」 4日午後5時前、千葉市中央区のホテルグリーンタワー千葉4階会見場。約1時間前に千葉刑務所を釈放されたばかりの菅家利和さん(62)が、100人近い報道陣を前に一段と強い口調で捜査当局を非難した。 「刑事たちの取り調べが厳しい。髪の毛を引っ張ったり、足をけられたり。『白状しろ、早くしゃべって楽になれ』と言われた。抵抗しきれなかった」 ■未解決の重圧 「草の根を分けてでも犯人を検挙する」。「警察の威信をかける」−。1990年5月に足利市の保育園児松田真実ちゃん=当時(4)=殺害事件発生後、県警の捜査幹部は節目の記者会見で並々ならぬ決意を相次いで訴えた。 「足利市で3件目。捜査員にも相当プレッシャーがあった」。元幹部の1人は当時を振り返る。同市内では79年と84年にも幼い女児が殺害され、未解決のままだった。 真実ちゃん