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ブックマーク / blog.livedoor.jp/pertinax (3)

  • 第二次大戦中の英海軍本部(Admiralty)の組織について : 那珂川の背後に国土なし!

    ツイッターのタイムラインで「英海軍の第一海軍卿ってなんなの」という疑問が流れていたのでツイッター上で英海軍部の組織編制について答えたが時数の制限もあったのでここでもう少し詳しく解説する。なお英海軍の長い歴史の中でその組織は変遷を繰り返しており、ここで解説するものは第二次大戦中というほんの一時期についてのいわばスナップショットであることに留意されたい。 海軍大臣(First Lord of the Admiralty)がつとめる※1。来の海軍部の意思決定機関は海軍部委員会(Board of Admiralty)であってFirst Lordはその委員長であるにすぎないのであるが委員会による意思決定はすでに第二次大戦の時点で形骸化していた。海軍大臣は英国海軍の行動に対する最高責任者であったが、チャーチル首相は海軍に絶大な影響力を持ち、直接海軍の諸問題や作戦行動にたびたび介入しためアレクサ

    第二次大戦中の英海軍本部(Admiralty)の組織について : 那珂川の背後に国土なし!
  • マタパン岬沖の夜戦と空母「フォーミダブル」 −または何でも「英国面」で済ませるのはやめよう− : 那珂川の背後に国土なし!

    マタパン岬の夜戦で戦艦と一緒に空母「フォーミダブル」を突撃させた英海軍は頭おかしい、という話がツイッターで流布されている。夜戦の現場に「フォーミダブル」がいたのは確かであるが、果たしてそれは水上艦との夜戦に空母を参加させるという「英軍の頭のおかしい蛮勇」のためであったのだろうか。また当にフォーミダブルは敵に向かって「突撃」していたのだろうか。 海域全体の状況からカニンガム提督率いる英艦隊が置かれていた立場を追うと、よくある「英国面」伝説とはまったく違うこの夜戦の様相が見えてくる。以下は多少推測を交えたものになるがカニンガムの艦隊と「フォーミダブル」の行動についての解説。 1941年3月27日戦艦「ヴィットリオ・ヴェネト」を中心とするイタリア主力艦隊は、イアキーノ大将指揮のもと東地中海の英船団攻撃のため出撃した。当時ギリシャで独軍と戦っていた英陸軍を支えるため、エジプト−ギリシャ間は軍需物

    マタパン岬沖の夜戦と空母「フォーミダブル」 −または何でも「英国面」で済ませるのはやめよう− : 那珂川の背後に国土なし!
  • KriegとOparationの間に ~『電撃戦という幻』~ - 那珂川の背後に国土なし!:livedoor Blog(ブログ)

    電撃戦という幻〈上〉 電撃戦という幻〈下〉 1940年6月のドイツ軍のフランス進攻、いわゆる西方電撃戦は、なんというかいわく言いがたい戦いである。兵力においても兵器の質においても独軍を大きく上回っていた英仏連合軍が完膚なきまで叩きのめされ、たったの6週間でフランスは事実上屈服に追い込まれた。連合軍はすべてにおいて決断が遅く、しかもやっと下した決断はことごとく裏目に出てしまい、当事者じゃない人間は思わず笑っちゃうような戦史上まれにみる大惨敗を喫した。独軍は装甲部隊を集中運用し、連合軍が戦車は通過不能と(勝手に)見なしたアルデンヌ高原を突破し、ドーバーまで突っ走り、英仏軍主力はあっさりと包囲され実質的に西方における戦争は終わったしまった。空陸一体の立体的作戦・戦車と自動車化歩兵の連携と集中運用・無線通信の戦術レベルへの応用といった点で電撃戦」の典型例であり最大の成功例と見なされるのも当然のワン

    KriegとOparationの間に ~『電撃戦という幻』~ - 那珂川の背後に国土なし!:livedoor Blog(ブログ)
    a-park
    a-park 2013/02/01
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