いわゆる「知の欺瞞」問題は、サルが書きなぐった落書きを現代アートとして価値を認めてしまう批評家の問題と近似する。自分の見解は「作った人間が意味がわからないオブジェクトでも、そこに意味を見出すことができれば見出したものにとっては意味がある」と云う感じで把握している。さらにいえば「オブジェクトの作者が何らかの意図をもって作ったものであったら、観測者と作者の認識の差異が新しい共同主観的平面を作り出すし、そこでいろいろな発展がありうるだろう」と云える。とか、ふと思ったのでメモ。 http://d.hatena.ne.jp/rikio0505/20080708/1215443157 エロゲにおいてエロシーンの必然性が低下しているのではないかという問い、あるいはエロシーンの必然性が低下しているが故にエロは必要ないという言説は、それこそ葉鍵隆盛期のころの古い問題意識で、散々論じられ論議自体が形式化しさら