4月1日付の朝日新聞朝刊(東京本社版)の早版に、次のような社告が出ている。日本の良心を代表する新聞社の社長らしい潔い進退だ。 1930年代から第2次大戦中にかけて戦地で兵士の相手をした、いわゆる慰安婦について、本社は1992年1月11日付第1面の「慰安所 軍関与示す資料」という記事において、防衛庁図書館に保管されている旧日本軍の通達に、軍が慰安所の設置を指示した事実が記載されているとの事実を報じました。この記事は正確でしたが、それに付けた「解説」において従軍慰安婦 一九三〇年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約八割は朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万とも二十万ともいわれる。と記述しました。ここで「挺身隊」
八堂湖の東南側、現在はフナの蒸し物で有名な京畿道広州分院は、かつて王室で使われた格調高い陶磁器を製作していたことで名高い場所だ。現在、数億ウォン台の値が付く朝鮮白磁の大部分がここで作られたと言っても過言ではない。ところが、この広州分院に存在した多数の窯(かま)は、20世紀序盤にこつ然とその姿を消してしまった。これは一体なぜなのだろうか。 先月30日、ソウル大の湖巌教授会館で開かれた「朝鮮王朝の財政と市場」学術大会(落星垈経済研究所主催)。この学会で、「19世紀後半における分院陶磁器の生産と流通体制」を発表した同研究所のパク・ヒジン研究委員は、その理由について「市場原理に基づく運営が行われていなかったため、競争力を失ったのが原因」と説明した。 国家が生産や流通に関与する半官半民方式の運営体制を取っていた分院は、原料や燃料を国家から支給されるなど、多くの特権を保障されていた。19世紀末にこ
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