自民党が2009年総選挙で歴史的な大敗北を喫して下野した際、多くの小泉チルドレンと言われた政治家は消えていった。だが本来の自民党政治を否定し逃げ出した国会議員は、ほとんどいなかった。 その理由は、いくつかあるのであろうが、大きな理由の1つは政党の体を成していたからだと考える。民主党や多くの新党と違って、自民党には、党綱領、党則が厳然として存在し、組織機構も整っていた、また運営のノウハウも蓄積されてきた。長年分厚く積み上げられてきた地方組織や後援会組織もあった。やはり老舗の政権政党だったということである。 真っ先に手を付けた新綱領の策定 その自民党が、下野して真っ先に取り組んだのが新しい綱領の策定であった。 それまでの綱領的文書は、1955年保守合同の際に策定された綱領や「党の使命」「党の性格」などの綱領的文書であった。 当時、自由党、日本民主党という2つの保守政党が存在し、対立していた。一
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