《ギデンズは、あらゆる日常的行為において、行為を可能たらしめる慣習・規約の修正、モニタリングが行われているということを認めつつ、そうした慣習・規約への再帰的態度が構造的に行われるようになったのは、近代以降であると論じている。慣習・規約が「変わりうる/変えるべき」ものである、という認識を前提として、個人(もしくは制度)が行為を調整するような態度を一般化した時代、それが近代ということだ。もちろん、近代以前にも「行為の再帰的モニタリング」(反省)は存在していた。つまり、人びとは、過去の行為がもたらした帰結に関する知識を参照しつつ、自らの行為を調整していた。しかし伝統的文化においては、「伝統」というメディアが、再帰的モニタリングを既存の秩序空間のなかに包摂する役割をはたしていたと考えられる(既存の秩序を崩しかねない行為[の結果]や経験は、たとえば、「神の思し召し」「神が下した罰」といった具合に、包
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