柄谷行人は、ごく最近、次のように言っている。 僕にとって、真に無頼派の名にふさわしいのは安吾ですね。この本の冒頭に書きましたが、 「無頼」という言葉は、一般に考えられているようなものではなく、「頼るべきところのないこと」 (『広辞苑』)です。つまり、それは他人に頼らないことです。その意味では、いわゆるヤクザは無頼とはほど遠い。組織に依存し親分に従い、他人にたかるのだから。その意味で、安吾はヤクザではなく、まさに「無頼」だった。太宰はそうではない。「無頼」であれば、そもそも共産党に入党しないし、転向もしない。彼は頼りっぱなしの人だった。自殺するときまで、他人に頼っている。そういうものを「無頼」とはいいません。言語の本来の意味では、「無頼派」 は安吾だけだったと思います。最初に読んだときから、自分には安吾が性に合っていた。(柄谷行人氏ロングインタビュー <すべては坂口安吾から学んだ>、2017
数日前、偶然に出会った侯孝賢の「黃金之弦」(2011)ーーなぜこんなに(わたくしにとって)美しいのか、このわずか六分弱の映像に魂を奪われてしまう。 美には傷 blessure 以外の起源はない。どんな人もおのれのうちに保持し保存している傷、独異な、人によって異なる、隠れた、あるいは眼に見える傷、その人が世界を離れたくなったとき、短い、だが深い孤独 solitude temporaire mais profonde にふけるためそこへと退却するあの傷以外には。(ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』宮川淳訳) ◆La Belle Epoque. Hou Hsiao-hsien 冒頭の樟のざわめき、犬の遠吠え、蝉しぐれ、そして艶光る渡り廊下での幼児の歩み、柱時計の音、逆光のなか、カーテンが風でゆれる小部屋の畳の上での、二人の女の親密な語らい⋯そのあと過去が匂いさざめく。 なによ
安倍首相は9月に総選挙の実施を表明した。北朝鮮からの脅威が強まるなか「国難」を突破するため、あらためて国民の信任を得たいというのが理由だ。
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