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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (184)

  • [書評] 戦後フランス思想(伊藤直): 極東ブログ

    私は66歳にもなって自分を大人気なく思う。書『戦後フランス思想』を読んで、ああ、こういう解説は簡素によくまとまっているけど、あの時代の日の空気が感じられないなあ、と思ってしまった。ということを書くのも、大人げないが、書はそんな郷愁をもたらした。と、いうのも、あまり正確ではない。後で触れるが、書は実はとても現代的でもある。 もう少し、大人げない話をしたい。書を読みながら、十代の自分が今も自分の中にいることに気がつく。アルベール・カミュは私の少年期そのものだったからだ。なんかもう自殺しようかなと思っていた中二の私は、確か、白井浩司の書いた、フランス哲学風人生論で、カミュを知った。曰く、『シーシポスの神話』を読みなさい、というのだった。読んだ。哲学の問題は今、自殺するかしないかだとする、書にも引かれているが、その基調は、中二の心を掴んだ。不条理(なんですかコレという笑っちゃうね状況)

  • [書評] 精神の考古学(中沢新一): 極東ブログ

    中沢新一の近著『精神の考古学』を読むことを勧められたとき、その刹那、「ああ、あれか」という不思議な思いが去来した。ほんの瞬時の直感であるが、二つのことがそこにあった。一つは、これは1983年の『チベットのモーツアルト』の続編であろうということ(すべての面でそうだという意味ではないが)、もう一つは、吉隆明の思想を継いだ著作であろうということ。 そして、書物を手に取り、まえがきに目を向けたときに、私は、すべてがそうであったとでもいう奇妙な祝福のような感じがした。確かにそのとおりだと、瞬時に確信した。さて、私はそれをどのように語ったらよいのだろうか。 書は、読まれるべき書物である、ということは明らかなのに、どのように読まれるべきか、次の言葉が浮かばない。しいていうなら、なんの偏見もなく、なんの憶測もなく、普通に、あたかも河口慧海の『西蔵旅行記』を読むように読むといいだろう、と言ってみたい。そ

  • 現代に蘇る『源氏物語』: 極東ブログ

    久しぶりのブログという感じになってしまい、近況というのもなんだが、今年のNHK大河ドラマ『光る君へ』を楽しく見ている。藤原道長と紫式部の若き日の秘められた恋といった、ラノベ(ライトノベル)のような展開も面白いが、そこここに『大鏡』や『小右記』などからの史実に『蜻蛉日記』をまぜたりするのも楽しい。これからは『御堂関白記』や『枕草子』もまぜていくだろうと期待が高まる。『源氏物語』を仄めかす趣向も楽しい。『光る君へ』というタイトル自体この趣きもある。今回の大河ドラマを好むのは私だけではなく、令和六年の『源氏物語』ブームといった印象も受ける。が、この『源氏物語』、一千年も昔の物語の反面、現代の反映もあることも興味深い。連想される一番大きな話題は、五年ほど前に発見された写である。この後続の話はなお興味深い。 発端は五年前、三河吉田藩主・大河内松平家の子孫の実家に源氏物語を書写した写があるとして、

  • ブログ再開?: 極東ブログ

    長い間ブログを休止していた。この間、大学院生であったという理由が大きい。25歳に最初の大学院を中退し、それから40年かけて大学院修士を終えたという感じだ。10年前の著書には、「もう諦めた」と書いたが、子供が4人成人したのをきっかけに修士に再挑戦した。というわけで2年間、放送大学で大学院生をやっていた。ようやく修論が終わり、取得単位もクリアしたので、今月末には卒業ということになる。 この間、修論研究にけっこう専念していた。コロナ禍もあってか、朝から深夜まで研究ばっかりしていたこともある。加えて、大学院の単位取得もそう容易いということでもなかった。40年前の大学院の単位も復活できるかとも思ったけど、手続きミスがあり、諦めた。結果からいうと、それでよかった。認可待ちしていると、大学院の単位の計算が不確定になっただろう。取得単位という点では、結局、学院を2つ出たような感じだが、あれだなあ、学問の風

  • 書評:『藤原定家 『明月記』の世界』(村井康彦): 極東ブログ

    岩波新書『藤原定家 『明月記』の世界』は、藤原定家という文学的な偉人の内情に加え、鎌倉時代初期の貴族の生活を知るための貴重な史料である日記、『明月記』を詳細に読み解き、その日常が明らかにされた書籍である。史的な背景を補うことで生身の藤原定家の姿が浮かび上がる中、貴族社会における公務の心労や人間関係の軋轢、家長としての重圧と苦悩、息子たちへの思いなど、複雑な人間関係や思いが織り交ぜられていて、小説を読むような面白さがある。 定家の宮廷公務の心労 日記である『明月記』には、定家の宮廷での公務に対する心労が多く記されている。さらに宮廷での公務だけでなく、私的な行事にも定家という人はやたらと多忙であり、あたかも自分で作り出したその多忙さに悩まされることが多かったようだ。例えば、「今日は朝から夕刻まで、御所におりて、御前に供奉しけるに、申し上げたる処、聞き取れず、返答に悩み、心労甚だしく候」(『明月

  • [書評] 存在消滅(高村友也): 極東ブログ

    著者の高村友也さんから著書『存在消滅』をいただいた。高村さんは、このブログで私が死の恐怖に絶叫する話を読まれ、共感されたらしい。まあ、そういう人が世の中にはいるのだ。 書にも登場するが哲学者・中村義道が哲学者・大森荘蔵に哲学の門を敲いたときも、ようするにこれだった。死の恐怖である。大森は、たしかこう言ったらしい、「あの、お腹のそこにずどーんとくるやつですね」と。正確な言葉ではないが、死の恐怖というものを味わった人間ならたぶんお馴染みだろう。 私の場合は、ブログにも以前書いたが、世界がぎらぎらしだすというのがある。薄暗い寝室で眠れず、死の恐怖が極まると、世界がぎらぎらと輝き出す。目をつぶる。絶叫することもある。死の恐怖というのは、まじで来るもんだ。高村さんは、書で「呼吸ってどうするんだっけ」的なことを書かれている。 これに解決はあるか。 ない。 書が、いいだなあと思ったのは、そのこと

  • 六十肩と楊名時先生のこと: 極東ブログ

    もうすぐ62歳になる。若い頃から思うととんでもない老人である。父親はこの年齢で死んだ。もう死んでも、文句もいえないところまで来ちゃったなあ感が深い。で、六十肩になった。 四十肩とは言う。五十肩もある。僕が初めてこれになったのは、五十歳過ぎてだろうか。あれれ、両肩が上がらない。挙げようすると痛い。ああ、これが四十肩というやつか。50歳過ぎていたから、五十肩か。 これは数日で治った。こんなものかと思った。またなった。10年ぶりか。右肩のみ。理由もなくじわじわとなって治らない。これは一生治らないか。整形外科に行くか。と思っているうちに、じわじわ緩和した。十分ではないが、とりあえず手は上がる。ほら。お、痛え。 この間、ああ、手も挙げられないよ。それでもゆっくり挙げようとして、適当に挙がったら回すように下ろして、そうした動作で、何かを思い出した。八段錦(はちだんきん)である。 今から四十年くらい前、

  • あなたの時間を吸い取る「果てしないプール」: 極東ブログ

    世の中がおかしなことになってきた気がする。というとき、おかしいのは自分のほうかもしれない、とも思う。が、とりあえず自分にとっては、世の中がおかしいという感じはする。 具体的には、2つ思う。1つは、新型コロナウイルス騒ぎである。感染症自体より経済的な波及や社会心理の側面が大きな問題になってしまった。もう1つは、ネットである。端的な例でいうと、Twitterが気持ち悪い。 とかいうと、おまゆう、の類だが、これもそう感じる自分がいる。これに関連していることだと自分では思うのだが、街なかで中年から初老スマホゾンビが増えたと思えることも、気持ち悪い。なんでこんな爺さんがスマホ見ながらぼんやり歩いているのだろう、危ないなあと。スマホ見るのはいいけど、立ち止まるか、座れよ。 この2つをあえて1つの問題意識にまとめる必要はないのだが、それらの根にあるのは、情報のありかたではないだろうか。スマホ経由で入って

  • 人を呪縛する内的な為替ともいうべきものについて: 極東ブログ

    話のネタとしてよく知られていることだが、都道府県で世帯あたりの預貯金の現在高(定期性預貯金)がもっとも多いのは、香川県である。香川県民は、貯金しまくっているらしい、とネタは続く。統計局で詳細を見ると、定期性預貯金の割合では秋田県がもっとも高いので、やたら貯金するのは、秋田県民と言えるかもしれない。が、貯蓄年収比で見ると、香川県がトップに出てくる。統計年の差や統計の見方の差はあるだろうが、概ね香川県民には貯金する傾向があるとは言えそうだ。なぜなのか? 香川県にはなにか秘密があるのだろうか? 他に、香川県の奇妙な特徴といえば、糖尿病が多いことだ。糖尿病死亡率が2018年にワースト3位。香川県の糖尿病は安定的に上位をキープしている。なぜなのか? うどん、だろうか? うどんの消費がもっとも多いのが香川県だと言われている。「言われている」というのは、「うどん・そば」の消費は統計値があるが、うどん単独

  • 嫌うことの自信: 極東ブログ

    昨日、「嫌うことの自由」という話を書いたあと、少し心に引っかかっていたことがあった。「嫌うことの自由」ということと、「誰かを嫌うことで、他者と共感を得ようとすること」の差異のようなものである。 単純に言うなら、「誰かを嫌うこと」と「誰かを嫌いだと言うこと」の違いである。 言うまでもないが、ネットの世界は、「誰かを嫌いだと言うこと」に溢れている。嫌いなら嫌いでいいじゃないか、嫌うのも自由だし、勝手に一人で嫌っていたらいい、はずなのに、ネットでは(ネット以外でもそうだろうが)、「誰かを嫌いだと言うこと」に溢れている。どういうことなのか? 何かが嫌いだという自分の思いに承認を求めているのだろう。 なぜ、個人的な嫌悪に承認が必要なのだろうか? そんなの個々人の自由でいいじゃないかというのが昨日の話であったが…… 実際は、そうした個人の沈黙の思いで閉じていなくて、嫌いであることの承認が求められている

  • 嫌うことの自由: 極東ブログ

    『嫌われる勇気』というがベストセラーだったのは、2013年ころだろうか。今でも書店でも見かけるのは、今でも、人に嫌われるのはやだなあと悩む人が多いからではないか。と、考えてみて、ちょっと、変な感じがした。 「嫌われる勇気」というのは、ちょっと考えると、変な日語だなと気がつく。「嫌われる態度」「嫌われる男」といった語法が自然に思えるので、その語法からすると、「勇気もいろいろあるが、うんたらの勇気は人から嫌われる」という意味になりそうだが、まあ、同書のタイトルではそうではない。「嫌われてもいいやという勇気を持て」といったところである。 そもそも、嫌われることに勇気が要るのか、というと、要るというのが、うっすら社会の常識になっているからだろう。日社会だけとも限らないだろう。人の行動を抑制するのは、こんなことをしたら他者から嫌われるだろうなという感覚ではあるだろう。 そうした感覚を否定するも

  • 無意味な暗記と昔のこと: 極東ブログ

    この夏、64歳になった。父が62歳でなくなっていて、その姿を老いに思っていたのだから、それからさらに2年近くも生きている自分が奇妙な気もしないでもないが、親族には90歳近く生きる人もいるし、思えば父の父、私の祖父、そして曽祖父も長寿な人であって、父も長生きするつもりでいたのだろうと思う。 自分はというと早世すると信じていたので、長く生きたものだ。人生を振り返ってもいい時期には達しているせいか、そんなことを思うのだが、実際に思うのは存外に些細なことが多い。その一つが無意味な暗記である。なんとなく暗記しているが、それになんの意味があったんだろうかという奇妙な感じのするあれである。 具体例。私は般若心経を暗記している。260文字なので暗記しようと思えば暗記できるものではなかろうか。というのを16歳のころ思って暗記した。ついでに観音経の偈文も暗記したのだが、途中で飽きた。理由は簡単で、事実上無意味

  • [書評] 超訳ライフ・シフト―100年時代の人生戦略: 極東ブログ

    言うまでもなく、先月発売された書『超訳ライフ・シフト―100年時代の人生戦略』は、4年前の『LIFE SHIFT(ライフ・シフト) ―100年時代の人生戦略』の「超訳」である。だから、基、ベストセラーの前著を読めば十分と言えないでもないが、「超訳」が出てきた理由もわからないではない。一つには、出版側として、読みやすく編集することで、もっと広い層に届けたいというのがあるのだろう。その点ではすでに漫画版もあるのだが、こちらは啓蒙系の漫画にありがちでもあるが、基エルザさんが原著を講義するということになっている。講義される側は、日人の若い女性である美咲さん。この点ですでに読者モデルに重ねられている若い日人となっている。この時点で、「ライフ・シフト」を日と現代の日人に重ねたらどうなるかという趣向が期待されることは理解しやすい。超訳が出てくる二番目の理由であろう。 で、どうか? つまり、

  • 2020年を振り返って: 極東ブログ

    ブログは久しぶりになる。この間、ほとんど日々ツイッターでなにかしらつぶやいていたので、多少なり私に関心ある人がいても私の健在は伝わっていたかと思う。ブログを実際上休止していたのは、ブロクを書く気力がなかったことと、来年に向けて準備を進めていることに注力したかったからだ。後者についてはだいたい準備は終わった。来年の方向も見えてきた。何をするかというと、少しアカデミックな研究をしたい。世の中は「独学」がブームのようでもあるし、私も独学的な人であるが、できるだけそうではない方向になるだろう。 今年を振り返って、もう一つ私事の方向転換で次に心にかかっていたことは、現実に私を取り巻く人々の関連でもあるが、簡単に言えば、4人もいる子育てにそろそろ終止符を打ち、老後の人生に向かうことだ。この夏、63歳の誕生日をきっかけにいくつか年金書類の申請をした。自分が老人になったのだと思った。 さて、このブログにも

  • [書評] 自閉症は津軽弁を話さない リターンズ: 極東ブログ

    書『自閉症は津軽弁を話さない リターンズ ---コミュニケーションを育む情報の獲得・共有のメカニズム』は、書でも当然触れているが3年前に出された『自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く』の続巻とも言える。内容は、この現象、つまり、自閉症は方言を話さないという現象についての、学際的な広がり、実態報告、実証研究などであり、さらに、方言を話す自閉症についても言及されている。小説ではないので、ネタバレにもならないだろうが、書の結語とも言えるのは、《自閉症と方言、解くべき謎はまだ残されているようです》ということだろう。この領域に関心を持たざるをえない私としても、全容はつかめていないように思えた。 まず、もっとも重要であり、議論の前提となるのは、「自閉症は方言を話さないという現象」である。前著に研究経緯があり書でも言及されているが、概ね実証レベルでその現象がまずもっ

  • 日本の子供が自分を不幸だと感じているのはもしかして……: 極東ブログ

    ユニセフは3日、38か国を対象に7年ぶりに実施した子供の幸福度調査を発表した。それによると、日は38か国中20位。他方、健康分野では1位だった。というニュースが流れた。どうやら、日の子供は身体的には健康だけど、精神的には幸福ではない、ようだ。 というわけで、教育評論家の尾木直樹氏はブログでこう言っていた(参照)。 このパラドックス(逆説)は何を意味するのでしょうか? ② 最大の要因は日の学校における『いじめ地獄』です、海外の研究によると50歳になっても社会的、経済的影響は残り人生そのものを幸福にしないようですから重大事態ではないでしょうか? へえと思った。前回2013年の調査では、31か国を対象にし、日は全体で6位だった。つまり、対象国が増えたとはいえ、7年間で6位から20位に転落したのは、この間、特段に「いじめ地獄」が進んでいないと、尾木説は矛盾する。まあ、矛盾しているだろう。調

  • 新潮社の雑誌『波』2020年8月号に中島真志著『アフター・ビットコイン2』の書評を書きました: 極東ブログ

    連絡が遅れてしまいましたが、新潮社の雑誌『波』2020年8月号に掲載した、中島真志著『アフター・ビットコイン2』の書評がネット公開になっていました。『奇っ怪なマネーの世界』(参照)です。 同書については、先日ブログにも書評的なものを書きましたが、『波』のほうは、一般向けに書いた比較的短い文章なので、よろしかったらお読みください。というか、該当の『アフター・ビットコイン2』はお勧めです。 *  *  * 現時点での余談のような話を以下に追記的に書きたい。 書『アフター・ビットコイン2』は、副題の《仮想通貨vs.中央銀行 「デジタル通貨」の次なる覇者》にも示されているように、各種の仮想通貨と各国政府の中銀行デジタル通貨の争いということで、民間と国家に大別される各種のデジタル通貨の便覧的なまとめとして読むことができる。 が、書は、そうした各種のバラエティをフラットにカタログ的に記述するのでは

  • [書評] 新装版 タネはどこからきたか? (鷲谷いづみ・埴沙萠): 極東ブログ

    ダーウィン『種の起源』 (1959)の12章に、実にダーウィンの人柄を感じさせるこういう話がある。 I took in February three table-spoonfuls of mud from three different points, beneath water, on the edge of a little pond; this mud when dry weighed only 6¾ ounces; I kept it covered up in my study for six months, pulling up and counting each plant as it grew; the plants were of many kinds, and were altogether 537 in number; and yet the viscid mud w

  • [書評] ヘンデルが駆け抜けた時代(三ヶ尻正): 極東ブログ

    先日、「ヘンデルは、ハンデルなのか?」(参照)という記事を書いたあと、もう少しヘンデルとその時代背景について知りたいと思い、その名前のとおりの書『ヘンデルが駆け抜けた時代』を読んだ。あとから気がついたが、著者の三ヶ尻正氏は、これも先日書いた記事『[書評] ミサ曲・ラテン語・教会音楽 ハンドブック』(参照)の該当書の著者でもあった。ヘンデル協会の人でもあった。 書の内容なのだが、書の説明書きがわかりやすい。 あるときは敵対勢力の情勢を探るエージェントとして、またあるときは民心を操る名プロデューサーとして、スペイン継承戦争に翻弄されるイタリアやジャコバイト問題に揺れるイギリスなど権謀術数の渦巻くヨーロッパを渡り歩き、数々のオペラやオラトリオを残してきた音楽家ヘンデルの実像に迫る! というわけで、ちょっと意外なヘンデルの実像、ということだが、著者がヘンデル協会の人であることからわかるように

  • 安倍首相、辞任へ: 極東ブログ

    安倍首相は、5時の記者会見で辞任する意向を正式に表明した。理由は、難病の潰瘍性大腸炎が再発したことだ。 難病の多くは寛解期と発作を繰り返す。寛解が長引き、自然寛解となることもある。私の場合は多発性硬化症だが、自著にも書いたが定期的な通院でコントロールしている。とはいえ、毎年誕生日を迎えるころの炎天下の日々にはきつい発作が起きる。この数年は安定しているから、なんとか乗り切れるかとも思った。が、その矢先、暗澹たる発作があった。幸い、短期に安定した。 難病の多くは、安定していると、傍からは、健康そうではないか、と見られる。このあたりの感覚はなかなか通じないものだと思う。立憲民主党の石垣のりこ参院議員は、安倍晋三首相の難病・潰瘍性大腸炎の再発理由での辞任表明に対して、Twitterで「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」と投稿し、多くの層から批判を受け、立憲民主党の党側からも批判を受