最近、つとめて業界や企業の歴史を読み解く作業をやっているのですが、そこでつくづく感じるのが、新しい物を生み出す作業には、自由な風土が必要である、ということです。 たとえば、富士通という会社で国産初のメインフレームを開発した池田俊雄という人物。彼は、IBM全盛の時代に、国産コンピュータ開発という夢を追ったのですが、非常に癖のある人物で、そもそも開発に熱中すると会社に来なくなる。しかし、そんな彼を周りのスタッフがフォローして、会社も認めたそうです。 会社のルールに縛られることなく、彼が働きやすい環境を周りがサポートし、本人もそれに応える。こうした幸せな構造が、DeNAのモバオクやモバゲーの開発、ニワンゴのニコニコ動画の開発と同様に、かつての富士通でも行われていたということに新鮮な驚きを覚えました。
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