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  • 【1984年の革命】プリンス「ビートに抱かれて」いったい何がレヴォリューションだったのか

    コラム連載【1984年の革命】vol.6 プリンス「ビートに抱かれて」いったい何がレヴォリューションだったのか 打ち込みをグルーヴィーに響かせた「ビートに抱かれて」 プリンスは、アルバム『パープル・レイン』とそこからのシングル「ビートに抱かれて」(When Doves Cry)で1984年のポップミュージックに革命を巻き起こした。いや、正確に言うと “1984年以降” のポップミュージックに革命を起こしたのだ。 前作『1999』以上にロックの導入を加速させ、もっと具体的に言うとニューウェイヴやハードロックのように、歪むエレクトリックギターを導入した音作りを行っている。一見アンバランスとも思える要素を融合することで、プリンスは圧倒的なオリジナリティを獲得した。 特に「ビートに抱かれて」では、それまでのブラックミュージックやダンスミュージックには必要不可欠だったベースを演奏から廃し、その代わり

    【1984年の革命】プリンス「ビートに抱かれて」いったい何がレヴォリューションだったのか
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    advblog 2024/05/15
  • 時には起こせよムーヴメント!俳優 浜田雅功が演じてみせたサラリーマンへの応援歌

    連載【新・黄金の6年間 1993-1998】vol.28 WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント〜 / H Jungle with t ▶ 作詞:小室哲哉 ▶ 作曲:小室哲哉 ▶ 編曲:小室哲哉・久保こーじ ▶ 発売:1995年3月15日 芸人と役者の組み合わせ、その道の最高傑作はダウンタウン お笑いコンビで最強の組み合わせは、芸人と役者である。 古くは、コント55号がそうだった。根っからの芸人気質の萩欽一と、もともと歌手志望で、後に俳優業にも進出した坂上二郎。欽ちゃんの作りだす、ある種の狂気の世界に、ある日突然巻き込まれた二郎さん演ずる “小市民” の構図から、数々の名コントが生まれた。 今なら、博多華丸・大吉がその代表格だろう。漫才のネタを作り、絶妙なトークで笑わせる芸人・大吉先生に対して、モノマネが得意で、ドラマ『めんたいぴりり』などで俳優業もこなす華丸サンは

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    advblog 2024/05/09
  • ハイスタこと Hi-STANDARD の魅力!その登場は日本のパンクシーンを虹のように変えた

    恒岡章が生前最後にレコーディングした「I’M A RAT」 Hi-STANDARD(以下:ハイスタ)が6年ぶりとなるニューシングルを配信したのは、昨年の4月19日。同年の2月に逝去したドラムス・恒岡章が生前最後にレコーディングした楽曲だった。タイトルは「I’M A RAT」。収録時間はわずか2分。疾走感とエナジーが満ち溢れた、相変わらずのハイスタ・サウンドだった。そこには、「くよくよするなよ!アゲていこうぜ!」というアティテュードが満ち溢れている。 ハイスタは難波章浩、横山健、そして恒岡の3人で1991年に結成。絶頂期であった2000年に突如活動を休止。メンバーそれぞれの活動に移行していったが、2011年の東日大震災をきっかけにバンド活動を再開していた。 「MAKING THE ROAD」は100万枚以上のセールスを記録 彼らの音楽性をわかりやすく表現するのなら ”FAST, LOUD

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    advblog 2024/02/14
  • 90年代のアポなしバラエティ「進め!電波少年」と 猿岩石「白い雲のように」の青春

    新・黄金の6年間 ~vol.22 ■ 猿岩石「白い雲のように」 作詞:藤井フミヤ 作曲:藤井尚之 編曲:松浦晃久 発売:1996年12月21日 「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」に出演した不遇時代の有吉弘行 僕は一度だけ、有吉弘行サンと映画で共演したことがある。 2007年2月10日公開の『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』(監督:馬場康夫)だ。広末涼子演ずるヒロイン・真弓がバイトするキャバクラ(現代のシーン)で、僕と有吉サンは隣り合うテーブルの客を演じた。当時、有吉サンはお笑いコンビ「猿岩石」を2004年3月で解散し、2007年8月放送の『アメトーーク』(テレビ朝日系)で毒舌芸人として再ブレイクする前の “不遇の時代”。撮影中、端役にも関わらず、監督の説明に真摯に耳を傾け、礼儀正しく振る舞われていたのを覚えている。 この時のロケは、劇中の設定通り、当に六木のスクエア

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    advblog 2023/12/21
  • 【追悼:BUCK-TICK 櫻井敦司】ラバーソールの丸玉商店と同潤会アパートに住む猫たち

    かつて表参道の同潤会アパートにあった丸玉商店 同潤会青山アパートメント。現在表参道ヒルズがある場所には、大正15年に竣工された歴史的な集合住宅が表参道のシンボルだった。80年代の半ばからは、この建物にハイセンスなブティックやギャラリーが数多く入居。ラバーソールをはじめとするロンドンから直輸入されたシューズを扱う “丸玉商店” もそのひとつ。 当時、いわゆるラバーソールは入手困難品。クラッシュのメンバーがこのを履いている姿を雑誌で見て原宿の老舗店に行くがサイズがない。何とかならないものかと男性のラバーソールを履いたが、ぶかぶかに加えて重過ぎる。これに3万円近くは出せないのが音。売っている店は限られていたし、値段も当時としては高価だった。 そもそもレディースのサイズがないから仕方ない。でも、クラッシュと行動を共にしていた女性シンガー、パール・ハーバーのように履いてみたい。知り合いのデザイナ

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    advblog 2023/11/10
  • ジャニーズじゃない男性アイドル列伝!息っ子クラブとは男性版のおニャン子クラブ!

    織田裕二もオーディションを受けた男性版おニャン子クラブ このシリーズは、必ずしもメインストリームには属さなかった80年代の男性アイドルの存在をリマインドするものである。今回取り上げたいのは、1986年に “男性版おニャン子クラブ” として結成された息っ子クラブだ。 彼らは、おニャン子クラブのホームグラウンドである夕方の帯番組『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)で告知された、男性を対象としたオーディションの合格者により結成されたグループである。オーディションの審査には、おニャン子クラブ関連のレコードをリリースしていたCBS・ソニー、EPICソニー、キャニオン、フォーライフ、ワーナー・パイオニアという5つのレコード会社がかかわっていた(社名は当時)。各社がそれぞれ優勝者を決め、そのメンバーによりグループを結成するとともに、全員がそれぞれの社からソロデビューするという前提になっていたのだ。 当

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    advblog 2023/11/07
  • 世界的アニメ【ドラゴンボール】高橋洋樹が歌った「魔訶不思議アドベンチャー!」の功績

    のアニメが世界的な巨大産業になったきっかけは「ドラゴンボール」 2兆7422億円―― これは2021年の、日のアニメの市場規模である(2022年11月、日動画協会調べ)。これは国内・国外を合わせた関連市場も含む数字で、過去最高を記録した。よく “2兆円産業” といわれるアニメ産業は、もはや “3兆円産業” に迫りつつある。 日のアニメが世界的な巨大産業になったきっかけというと、やはり『DRAGON BALL』(以下『ドラゴンボール』)だろう。バンダイナムコHDが発表した2023年3月期決算によると、『ONE PIECE』関連の2023年度売上は863億円。これだけでも巨額の数字だが、実はこれを凌ぐのが『ドラゴンボール』なのだ。関連売上額は、なんと1445億円! 1995年6月に『週刊少年ジャンプ』の連載が終わってから30年近くが経過するのに、今なお国内外での人気が衰えないのだから

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    advblog 2023/10/12
  • 高井麻巳子と岩井由紀子が歌う【ハイスクール!奇面組】主題歌「うしろゆびさされ組」

    週刊少年ジャンプ連載、学園ギャグ漫画の金字塔「ハイスクール!奇面組」 今も昔も変わらず男子たちに夢と希望とロマンを与え続けるスゴイ奴といえば、みんな大好き『週刊少年ジャンプ』を置いて右に出るものはいまい。この雑誌の何がすごいって、発行部数が100万部を突破した1970年代以降、50年以上にわたって “黄金期” と呼ばれる時代を周期的に築き上げているのが、とにかく圧倒的にすごい。 30代半ばの我々の世代にとっては、物心ついた頃に『ドラゴンボール』『スラムダンク』『幽遊白書』の三大巨塔が君臨しており、幼いながらにも他の週刊漫画誌とは明らかにレベルの違うパワーを『ジャンプ』から感じていたものだ。ただ、その少し前の世代も負けていないどころか、トータルではむしろ上ではないかと思わせるほど充実している。 手元にあるのは1985年45号。定価170円という値段に時代を感じつつ目次を開くと、『ドラゴンボー

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    advblog 2023/10/05
  • チェッカーズが攻めた!新しい音楽への挑戦「OOPS!」ハウスミュージックに急接近!

    これまでのバンド・サウンドを大きく覆す「OOPS!」 1990年8月8日に発表された、チェッカーズの通算8枚目のアルバム『OOPS!』は、これまでのバンド・サウンドを大きく覆す内容となった。 前作『Seven Heaven』で、バンドとして一つの完成形を見た後、1年あいての最新作。アレンジは1曲を除き、THE CHECKERS FAM.の名で、メンバー自身が行っているが、コンピューターの打ち込みによる音作りに挑んでおり、この頃から台頭してきたハウス・ミュージックを取り入れたものとなっている。 ハウス・ミュージック自体は70年代前半のフィリー・ソウルや70年代後半のサルソウル・レーベルを源流に誕生したダンスミュージックで、日では80年代終盤からクラブシーンの活性化により、89年にオープンした芝浦GOLD、91年にオープンした西麻布YELLOWなどの人気クラブでハウスが注目されるようになる。

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    advblog 2023/10/04
  • 大事MANブラザーズバンド「それが大事」歌い続けてたどり着いた “本当に大事なこと”

    90年代デビューアーティスト ヒット曲列伝vol.10 ■ 大事MANブラザーズバンド「それが大事」 作詞:立川俊之 作曲:立川俊之 編曲:大事MANブラザーズバンド&渡辺禎史 発売:1991年8月25日 売上枚数:160.3万枚 1990年~1999年の10年間にデビューし、ヒットを生み出したアーティストの楽曲を当時の時代背景や、ムーブメントとなった事象を深堀しながら紹介していく連載の第10弾。今回は、大事MANブラザーズバンド「それが大事」を紹介します。 「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」のテーマソングでヒット 「それが大事」は、リリース当時、テレビ朝日系列のニュース番組『スポーツフロンティア』のエンディングテーマというタイアップが付きリリースされましたが、あまり話題になることはなく、その後、フジテレビ系バラエティ番組『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』のテーマソングに起用され、人気

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    advblog 2023/10/03
  • チェッカーズが魅せたロックンロール・スピリット!真の意味での1st アルバム「GO」

    オリジナル路線へ舵を切ったシングル「NANA」 1986年10月15日、ザ・チェッカーズ(以下チェッカーズ)は、メンバーがソングライティングを担う初のオリジナル路線シングル「NANA」をリリース。この話題で音楽シーンは大きく揺れた。しかし、ファンにとってはさほど大した問題ではなかったように記憶している。それは、これまでのアルバムでもメンバーの音楽的趣向は遺憾なく発揮されていたし、オリジナリティに長けた楽曲こそがチェッカーズの質だということを熟知していたからだ。 作曲は藤井尚之。ブリティッシュビートに傾倒し、今まで以上に黒っぽいうねりを持つ「NANA」で見せるバンドのグルーヴはこれまでヒットチャートを席巻していた売野×芹沢コンビの楽曲とは明らかに一線を画していたし、NHKで放送禁止になるような藤井郁弥(現:藤井フミヤ)のリリックもまた、攻めの姿勢が感じられ最高だった。痛快だった。 ビジュア

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    advblog 2023/09/18
  • 14枚目のシングル「がんばりましょう」アイドル冬の時代を経て SMAP ついにブレイク!

    デビューシングル「Can't Stop!! -Loving-」オリコン最高2位と健闘するも、セールスは15万枚… 物語は常に最悪のタイミングで始まる。 映画の話である。例えば、みんな大好き『ショーシャンクの空に』(監督:フランク・ダラボン)の冒頭―― ティム・ロビンス演ずる主人公・アンディは、浮気したと相手の男を射殺した罪に問われ、無実を訴えるも、終身刑でショーシャンク刑務所へ。冤罪だ。それは、彼にとって人生最悪の出来事だった。 手前味噌で恐縮だが、僕も原作協力したホイチョイ・ムービー『バブルへGO!!』(監督:馬場康夫)のファーストカットも、ヒロイン・真弓(広末涼子)の母・真理子(薬師丸ひろ子)の葬儀シーンだった。加えて、真弓は元カレの借金を背負い、借金取りに追われる日々。キャバクラで働くも、未だ日経済は長い平成不況のトンネルの中にあった。 アメリカ映画協会(AFI)が選ぶ「感動の映

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    advblog 2023/09/09
  • 1984年の快進撃「もっと!チェッカーズ」アイドルグループとロックバンドの両立

    1984年はチェッカーズの年! 1984年の日音楽シーンを振り返るなら、まさしく “チェッカーズの年” だったと呼んでも過言ではない。 1983年9月21日に「ギザギザハートの子守唄」でデビューしたチェッカーズは、84年1月発売の「涙のリクエスト」で大ブレイクを果たした。7月発売のファーストアルバム『絶対チェッカーズ!!』も首位を獲得、11月21日には決定打とも言える第5弾「ジュリアに傷心」をリリースし、この曲は翌85年の年間チャート1位を獲得するなど彼らの最大セールスを記録。まさに右肩上がりで人気が沸騰していた1984年、その快進撃の1年を締めくくる形でリリースされたのが、12月5日にリリースされたセカンドアルバム『もっと!チェッカーズ』だった。 チェッカーズはこの時点で、当代一の人気アイドルグループだった。ダブダブのチェック柄の衣装、ヴォーカル藤井郁弥(現:藤井フミヤ)の前髪を長く

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    advblog 2023/09/08
  • サザンオールスターズ「あなただけを」桑田佳祐もいちばんのお気に入り【90年代夏うた列伝】

    桑田佳祐一番のお気に入り、サザン夏うたの代表作「あなただけを」 「夏といえばサザン」 ―― 毎年この言葉が聞かれること自体すごいことだ。今年でデビュー45周年。もはや日人にとって「夏のサザン」は、かき氷、冷やし中華、花火大会のようなもの。今年は9月27日から4日間、桑田佳祐の地元・茅ヶ崎で久々にライブが行われる。まさに、サザンとともに夏が終わる年になりそうだ。 ところで「サザンの夏歌」の代表作ってなんだろう? いろいろ意見はあると思うが、ファンの間でとりわけ人気が高く、桑田自身もよく「いちばんのお気に入り」と語っているのが「あなただけを ~Summer Heartbreak~」だ(以下、サブタイ略)。発売は1995年7月17日。「エロティカ・セブン」以来のオリコン1位を獲得し、累計で113.2万枚のミリオンセラーとなった。 「あなただけを」というと、私の中ではまず「あおい輝彦」なのだけれ

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  • class「夏の日の1993」ドラマティックなハーモニーの秘密【90年代夏うた列伝】

    爽やかな歌声とメロディーが暑い夏に一服の清涼感を与えてくれる「夏の日の1993」 ♪1993 恋をした Oh 君に夢中 ―― この歌詞で始まるサビを聴くと、歌詞のようなシチュエーションに全く無縁だった筆者でも、若かりし日の夏を思い出します。ちょうど30年前の正に1993年に大ヒットした「夏の日の1993」は、爽やかな歌声とメロディーが暑い夏に一服の清涼感を与えてくれる、夏の大定番曲になりました。 歌詞はとっても軽いのに、楽曲のクオリティーがその軽さを完全にかき消しています。音楽はまず旋律と歌声が大切なのだという当たり前の法則を、とても分かりやすく示してくれる1曲だと思います。 爽やかさとは違う何かを感じるハーモニー この曲の大事な要素の1つが、ボーカルのハーモニーです。歌声やメロディーと同様に、ハーモニーからも爽やかさを感じますが、筆者はこの曲のハーモニーを聴くと、爽やかさとは違う何かを感

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  • Mr.Children「君がいた夏」いつ聴いても甘く切ない青春の香り【90年代夏うた列伝】

    いつの日にも胸をキュンとさせる、普遍の青春の記憶「君がいた夏」 今や昼間は熱中症の危険が、夜は寝苦しい熱帯夜で、日の夏は厳しい環境にあるが、振り返れば少年時代の夏は、暑かろう楽しかろうといい思い出しかない… という男性も多いだろう。そんな記憶の傍には、ひと夏の恋の思い出を振り返る、切ないメロディーがいつも流れていた… と言えば思い出補正も過ぎるが、夏の日の恋を歌ったラブソングは、いつの日にも胸をキュンとさせる、普遍の青春の記憶なのである。 そんな1曲に、Mr.Childrenの「君がいた夏」を挙げる人は多いだろう。夏の終わりの夕暮れ。浜辺に佇む男女。主人公は、「君」と出会ってから何も手につかず、だが秋が来れば二人は離れ離れになる。その理由は明確にはされていないが、サビで何度もリピートされる「また夏が終わる」「時は二人を引き離して行く」のフレーズは、まるで運命に導かれ、引き裂かれて行くかの

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  • 80年代は洋楽黄金時代!ビリー・ジョエル「アップタウン・ガール」と「愛は勝つ」の関係

    ユニット名「指南役」の由来とは? 手前味噌で恐縮だが、僕のハンドルネームの「指南役」とは、ユニット名である。元々は、福岡市にある福岡県立城南高校の水泳部の中に作られた、いわゆる “部活内部活”―― サークルの名前だった。 更に言えば、指南役にはオマージュする元ネタがあった。同水泳部内にかつて存在した伝説の部活内部活――「第二水泳部」がそう。 時に1978年――『ザ・ベストテン』が始まり、サザンオールスターズがデビューする「黄金の6年間」が幕明けた年に結成されたと聞く。その中心人物が、僕らの5コ上の先輩の木村和(きむら・かん)さん。後の―― ミュージシャンのKANである。第二水泳部は、水中プロレスや水中サッカーなど、要はプールで遊ぶことを目的とした軟派なサークルだった。 第二水泳部には、もう一つの顔があった。―― 音楽好きである。もはや水泳とは何の関係もない。当時、彼らは発売されたばかりのビ

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  • 時は1987年― 稀代の天然美少女・森高千里に多くの実力あるミュージシャンが集結した理由

    地元のガールズバンドでドラムを担当していた森高千里 ガールズバンドで一番可愛いコはドラムである。 ―― 僕が、常日頃から唱える音楽界の定説(セオリー)だ。セオリーと言っても、ちゃんとリサーチしたワケじゃない。というか、思い当たるサンプルは一人しかいない。 森高千里サンだ。よく知られた話だが、彼女はデビュー前―― 地元・熊県の女子高時代、ガールズバンドを組んで、ドラムを担当していた。よくレベッカをコピーしていたそう。そして―― 以前、僕が当リマインダーに書いたコラム『誰あろう、森高千里。その最高傑作はデビュー曲「NEW SEASON」である』でも触れた通り、当時から「熊市内で一可愛い女子高生」として、地元ではちょっと知られた存在だった。 まぁ、ガールズバンド自体、まだ珍しかったし、熊市内の有名ライブハウス「ペパーランド」(後に森高サンのアルバムタイトルにもなった元ネタである)でライブを

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    advblog 2023/07/25
  • ミスチル最大のヒット曲「Tomorrow never knows」は大人になった僕たちのアンセム

    90年代デビューアーティストヒット曲列伝vol.7 ■ Mr.Children「Tomorrow never knows」 作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿 編曲:小林武史 & Mr.Children 発売:1994年11月10日 売上枚数:276.6万枚 1990年〜1999年の10年間にデビューし、ヒットを生み出したアーティストの楽曲を当時の時代背景や、ムーブメントとなった事象を深堀しながら紹介していく連載の第7弾。今回は、Mr.Children「Tomorrow never knows」を紹介します。 ドラマ「若者のすべて」のオープニングで映し出された “工場地帯の夕焼け” に観る、儚さと美しさ 「Tomorrow never knows」は、最終回のラストでV6の井ノ原快彦が「負けるわけにはいかねぇんだよ!」と言い残し去っていく衝撃的なシーンで終わりを迎えるドラマ『若者のすべて』の主

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    advblog 2023/06/11
  • デヴィッド・ボウイ【ベルリンの壁コンサート】東ドイツに向けて歌ったあの名曲

    デヴィッド・ボウイ「ベルリンの壁コンサート」東側に集まった5,000人 1987年6月6日、デヴィッド・ボウイが西ドイツの旧国会議事堂前で野外ライヴを開催した。そこはベルリンの壁と隣接した場所にあり、ボウイは設置した巨大スピーカーの一部を壁の反対側に向けて演奏した。その先には約5,000人の東ドイツの人達が集まっていた。 今でこそ歴史的な意義をもって語られることの多いライヴだが、当時17歳だった僕は、正直なところ、ほとんど記憶がない。おそらく、あまり大きく報じられなかったのではないだろうか。というのも、ベルリンの壁が崩壊するのは1989年11月9日のことで、このライヴの2年以上も後なのだから。あの頃、壁がわずか数年でなくなるなんて、誰も想像していなかったと思う。 しかし、あの時に東側の壁に集まった5,000人にとっては違った。銃を持った警察との押し合いの中で、逮捕者を出しながらも、「壁をな

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    advblog 2023/06/11