ブックマーク / mattune.hatenadiary.org (52)

  • 戦勇が色々と面白い。 - まっつねのアニメとか作画とか

    戦勇が面白い。 まず山寛監督が横手さんと組んでこういうアニメをやるって言うのが良いよね。 ヤマカンについては色々とみんな思うところがあるとは思うけど、 俺としてはやっぱり「ジャングルはいつもハレのちグゥ」の時のヤマカンが好きだったので、 戦勇はこれこそまさに俺が求めていたヤマカン。 いやぁそれにしても戦勇は見ればみるほどハレグゥだなぁ。 戦士=グゥ(黙ってれば美形。相方をいじめることが生きがい。) 勇者=ハレ(いじめられる主人公。すぐいい気になる。) 新キャラの魔王はグゥの超能力部分担当と見れば、 魔王+戦士=グゥ なのかもしれない。 内容的に見ても面白いが、 スタッフ陣を見るとまた面白い。 OPのコンテ演出は前期に「てーきゅう」で度肝を抜いた板垣監督 また、2話の原画にはジュエルペットサンシャインの監督の稲垣隆行さんが参加している。 そしてヤマカン この3人が意味するものは・・・・・・

    戦勇が色々と面白い。 - まっつねのアニメとか作画とか
  • たまこまーけっと1話のアバンの作画に関する考察 - まっつねのアニメとか作画とか

    たまこまーけっとのアバンの作画素晴らしかった。 特に1カット目と2カット目である。 これは、田中宏紀の作画を初めて見た時に以来のショックがあった。 ただ素晴らしいというだけではない、エポックであった。 何がエポックだったのか。 1、中割りなしの2コマ全原画、「フル2コマ」であった点 2、3DCGでもロトスコープでもない、手描きでしか出来ない動きの発想をしている点 3、三人のキャラクターがそれぞれアイデンティティを持った動きをしている点 4、アニメらしいポーズで作っていく作画(演算系)でなく タイムライン的な書き送りであった点 ざっと思いつくだけでこれだけある。 まず、1について。 私はこのアバンの1カット目2カット目を見た時にある種不思議な感覚に襲われた。 それは 「こんなに『動いている』アニメ、動きの密度のある作画をいたことがない」 という感覚だ。 私にとってこの密度は初体験であった。

    たまこまーけっと1話のアバンの作画に関する考察 - まっつねのアニメとか作画とか
    aetheryte3107
    aetheryte3107 2013/01/15
    動きに魂を吹き込む「まーけてぃんぐ戦略」なり。
  • GJ部、、、これ案外良いな - まっつねのアニメとか作画とか

    ダークホース枠としていたGJ部ですが、 なかなかに面白い。 動画工房制作ですが、「ゆるゆり」のメインスタッフは琴浦さんをやっているため、 新人の藤原監督とシリーズ構成はゆるゆりローテ脚だった、 「アキカン」の子安秀明さんというメンツ。 キャラデザも動画工房の期待の星・中島千明さんでなく、 キャラデザ請負に定評のあるスタジオライブのベテラン・大島美和さんが担当。 どうなることかと思いましたが、開けてみればなるほどという仕上がり。 まず作画面については佐藤利幸さんをはじめ、ゆりゆりで良い仕事をしていたアニメーターが 揃っており、いかにもスタジオライブな大島さんのキャラデザを 柔らかく解釈しているのが良い。 ライブの絵を今風に解釈した結果、飯塚晴子さんの絵に近似するというのも なかなか興味深い。 内容自体は、「ゆるゆり」+下野紘という内容。 そもそも「ゆるゆり」は「みつどもえ」スタッフが流れて

    GJ部、、、これ案外良いな - まっつねのアニメとか作画とか
    aetheryte3107
    aetheryte3107 2013/01/13
    ゆるゆりに下野紘なんかぶち込んだら、そりゃ面白いに決まってるw
  • アニメの絵柄にどう対するか - まっつねのアニメとか作画とか

    さて、前回の記事のブコメで >アニメファンは作画の安定度は見てるが画面を見ているわけじゃないの という話があった。 確かにそう部分否めない。 アニメオタクではなくて、いわゆる「ライトファン」の中にはそういう目線で見ているものも多い。 また、その作画の安定度の基準となる「キャラデザ」や「絵柄」というものも 非常に重視される。 「可愛いキャラデザ」にこだわって、そうでないと見ないというファン層がいる一方で 逆にスノッブに考えて「売れ線の萌え絵のアニメなんて見れるか!」という層も同様に存在する。 「リアルな絵柄こそアニメのクオリティの証し」と思っている人もいれば、 「糞リアルは不要。”絵として魅力のある”アニメこそ至高」という人もいる あるいは、年代差みたいなもの、つまり 「こんな”古い”絵柄のアニメは見たくない」 あるいは 「こんな今風の絵柄には”深み”を感じない」 そういう人もいるだろう。

    アニメの絵柄にどう対するか - まっつねのアニメとか作画とか
    aetheryte3107
    aetheryte3107 2013/01/13
    顔にアクがなく、「かわいい」と公言して差し支えなさそうな絵柄ばかりを選ぼうとする姿勢自体は、その人がアニメ好きでなくとも「オタク」的だと思いますね。
  • 自由とは〜中二病とゲーテとハーレムアニメ - まっつねのアニメとか作画とか

    雨の中、傘をささずに踊る人間がいてもいい。 それが自由というものだ。 −ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ アニメ的にはビッグオーで引用されたことで有名なこの言葉。 中二病のラストはこれで全て表現できる。 「普通であるべし」という同調圧力を乗り越えて、 雨の中で傘をささずに踊る。 その行為というのは確かに、中2病的かもしれない。 逆に言えば、中二病というのは自由を体現していることに他ならない。 その意味で言えば、くみん先輩が二代目になったのも当然で、 彼女こそが、このアニメの中でもっとも自由であった。 いかなる場所においても眠り続ける彼女は、 一種の狂人であるが、そうであるがゆえに自由だ。 何者にも妨げられない。 現代風にいうところの「消極的自由」 ゲーテは18世紀の人間なので、この18世紀以前の古典的な自由、 個人主義的な自由こそがこの言葉をあらわしている。 そして、このアニメはそう

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  • エンジェルビーツの特異性 - まっつねのアニメとか作画とか

    エンジェルビーツは特異なアニメだと見るたびに思う。 アニメ史の一つの特異点だ まず、一番メインの部分だけ見ても、その特異性は図抜けている。 PAワークス、麻枝准、岸誠二。 PAワークスはいかにも00年代のアニメスタジオらしく、 自分の身内だけでアニメを作ることで、 質・思想ともにブレのない作品を作ることを身上にしてきた会社だ。 古巣のIG・ビィートレインそして繋がりの深いボンズのグロスを経て、 トゥルーティアーズとカナーンの元請けへ。 西村純二は押井守の盟友だし、安藤真裕と堀川社長は旧知の仲だ。 IG・ビィートレインそしてボンズのコネを使った2作品。 コンテマンは真下ファミリーの川面・山、付き合いの長い岡村天斎。 そして脚はブレイク寸前だった岡田麿里。 ボンズ・京アニ・ユーフォーテーブルなどもそうだが、 身内だけで作ることで、作品のブレを少なくし、平均点をあげる。 それが00年代的な良

    エンジェルビーツの特異性 - まっつねのアニメとか作画とか
    aetheryte3107
    aetheryte3107 2012/12/08
    麻枝准を取り巻くカオスが、ゼロ年代から10年代に移行するアニメの抑止力となったかもしれませんね。もちろんいい意味で。
  • ひだまりスケッチ4期・6話・八瀬祐樹という演出家 - まっつねのアニメとか作画とか

    ひだまり4期の6話が素晴らしかった。 八瀬祐樹という演出家についていままであんまり意識していなかったが、 まだ若手なのにシリーズディレクターに抜擢されるだけのことはある。 荒削りな部分も多いがとにかく演出に勢いがある。 特徴的な俯瞰の使い方や、 余白を使ったレイアウト。 カットの割り方も思い切りが良い。 長回しを基調としつつも、 カットイン的な短いカットを効果的に使って、 最近流行りの「退屈なFIX長回し」への抵抗を見せている。 台詞の途中でバンバンカットを割っていくのも、 何か新鮮。 最近量産されている「細田守モドキ」よりも、 何倍も期待できる若手演出家であることは間違いない。 今後の動向に期待。

    ひだまりスケッチ4期・6話・八瀬祐樹という演出家 - まっつねのアニメとか作画とか
    aetheryte3107
    aetheryte3107 2012/11/11
    まどかマギカのときの八瀬演出よりも、偽物語の八瀬演出のほうが好きです。個人的に。
  • 一貫性というのは想像力を欠いた人間の最後の拠り所である。 - まっつねのアニメとか作画とか

    とは劇作家オスカー・ワイルドの言だが、 俺はまったくその通りだと思う。 およそ、世の「作画崩壊」だの「脚が矛盾してる」だの「設定と違う」だの「作風と合わない」だのというのは まさに先のワイルドの言葉に凝縮される。 想像力が欠けているから一貫性・統一性・無矛盾などというものにその拠り所を求める。 その方が考えなくていいから。 無批判に一貫性に従っていればいいから。 もし 「この作画はキャラデザと違う、統一性がないものだからダメだ」 とか 「この脚は矛盾していて理解できない」 とか 「原作の作風と違うから見てられない」 とか そういう風に感じたのなら、想像力が弱まっているかもしれないと考えた方が良い。 「作画崩壊だ!」などと騒がない方が良い。 それはつまり 「自分は想像力を欠いた人間だ!」と叫んでいるようなものだから。

    一貫性というのは想像力を欠いた人間の最後の拠り所である。 - まっつねのアニメとか作画とか
    aetheryte3107
    aetheryte3107 2012/11/05
    たぶん多くの人が言葉に「出来る」表現、「出来ない」表現があるということを前提に、対象になぜそのような感情を抱くのかを理解しきれていない。共有することへの関心にしか向いていないのでしょう。
  • K - まっつねのアニメとか作画とか

    鈴木信吾さんを最初に意識したのは超重神グラヴィオンの9話であった。 鈴木信吾さんが絵コンテ演出作監まで担当し、 大張監督とはまったく異なる、うつのみや理を思わせるような動き かっこいいレイアウトに包まれている作品であった。 あれから10年以上たって。 この、鈴木信吾さんの監督作を観て、 やはり俺の勘は間違ってなかったと思う。 ひさびさにここまでの「作画アニメ」を観た気がする。 すべての要素が作画を引き立たせるために存在する。 キレキレのレイアウトをテンポを度外視してゆったり見せたり、 物語そっちのけで作画で魅せる画面を作ったり。 そう、これこそが、 作画アニメ

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  • ギャラクシーエンジェルシリーズ中屈指の不条理エピソード 「さよならぼくらの土瓶蒸し」 - まっつねのアニメとか作画とか

    GAベストエピソードキメのためのリマインダー この話数は、シリーズ最強と言っても過言ではないでしょう。 3期15話「さよならぼくらの土瓶蒸し」 例えば、 ギャラクシーエンジェル研究所を見れば 第15話「さよならぼくらの土瓶蒸し」 * サイト「オフィス:ぎんがみ」にある、脚を担当された金巻兼一氏の11月24日の日記に、脚が使われていないと記される。 * ブロッコリーの「アニメギャラクシーエンジェル」公式サイト12月5日更新で、演出サイドの大幅な脚色があり「特に他アニメ作品を揶揄するような表現が加えられ」たこと等、金巻兼一氏はじめ関係者に謝罪する「お詫び」をアップ。クレジットに脚家表記と併せて脚色表記を載せるとのこと。 http://adr.s201.xrea.com/ga/3/3staff/memo.html こういう顛末。 絵コンテの原博さんが改変したといわれている。 この改変こそが

    ギャラクシーエンジェルシリーズ中屈指の不条理エピソード 「さよならぼくらの土瓶蒸し」 - まっつねのアニメとか作画とか
    aetheryte3107
    aetheryte3107 2012/07/14
    「なってない」のがGAの良さですよねw
  • 最近のアニメオタクは本当に面白いアニメは隠すから信用ならねぇ - まっつねのアニメとか作画とか

    karimiさんが http://d.hatena.ne.jp/karimikarimi/20120606 でアニメ考察ブログが減ったきたとか、 あるいは http://d.hatena.ne.jp/thun2/20120607 みたいな目立ってないだけど、とか http://blog.livedoor.jp/anipression/archives/51346687.html で言ってる「逼塞感」とか まあそういう話があるわけですが。 そもそも、最近のアニメオタクは、当に面白いアニメを隠してると思うんだよ。 なんか、まとめブログとかで盛り上がったアニメを取り扱ってるように見せかけて 影で当に面白いアニメを隠れて楽しんでるんです 仕事とか忙しくて、今期はあんまりアニメを見られなかったんですが、 やっと時間が出来たんで観てみたんですよ。 で、色々観てみたんですがね、 今期一番面白いのは、

    最近のアニメオタクは本当に面白いアニメは隠すから信用ならねぇ - まっつねのアニメとか作画とか
    aetheryte3107
    aetheryte3107 2012/06/09
    そもそも今期は、信用ならないものばかりですよ。書く側だって、本当に心を動かされるものなら皆してわっしょい持ち上げますから。ただ、なぜそういった流れになっているのか、そちらに興味がありますね。
  • 「何をやるか⇔どうやるか」と「マッチング⇔ギャップ」 - まっつねのアニメとか作画とか

    例えば、イノセンスだ。 イノセンスの「絵が気持ち悪い」という意見があったとする。 リアルさが気持ち悪いレベルまで来てしまっている、と。 しかし、その一方でイノセンスという作品と「気持ち悪いほどリアルな絵」はマッチングしている。 「義体」という設定的な面でもそうだし、押井監督のテーマである「虚構と現実」にも合っている。 つまり、イノセンスの「絵」は「どうやるか」という点においては、 まったくもって理に適ったものなのだ。 これは同じことが今敏監督作品にも言える。 作品のやりたいことと、その表現方法がマッチングしている。 もし「気持ち悪い絵」を問題があるとするならば、 一つとしては、それは絵自体に問題があるというよりも、 「作品」がやろうとしていること自体に問題があるということになる。 そんな気持ち悪い絵を要求するような作品を作るな、と。 でも、それは言っても仕方のないことのような気もする。 一

    「何をやるか⇔どうやるか」と「マッチング⇔ギャップ」 - まっつねのアニメとか作画とか