鉱毒ガスやそれによる酸性雨により、日光市足尾町(旧・上都賀郡足尾町)近辺の山は禿山となったのである。木を失い土壌を喪失した土地は、次々と崩れていったが、この崩壊は21世紀となった現在も続いている[注釈 1]。崩れた土砂は渡良瀬川を流れ、下流で堆積した。このため、渡良瀬川は足利市付近で天井川となり、足尾の山林の荒廃とともにカスリーン台風襲来時は洪水の主原因となった。 鉱毒による被害はまず、1878年と1885年に、渡良瀬川の鮎の大量死という形で現れた。ただし、当時は原因が分かっておらず、これを8月12日に最初に報じた朝野新聞[2] も、足尾銅山が原因かもしれないというような、あいまいな書き方をしている。1885年10月31日、下野新聞が前年ごろから足尾の木が枯れ始めていることを報じ、これら2つが足尾銅山と公害を結びつける最初期の報道と考えられる。なお、古河鉱業は1884年、精銅の輸出拡大等の