いろんなものを並べてやれば、沢山の人に何かしら持たせて帰すということになる。 客の一人がひとりが満足してうちへ帰っていくというわけだ。 というのは、ファウストの前狂言から。 ゲーテは、芝居屋だったので、世の中に言葉を「売る」ということをわきまえている。 この辺の割り切りは、Google先生と仲良くなれそうな雰囲気だ。 結局、物語が再利用性されるかどうかは、小さな細部が輝いているかどうかで決まる。 平野耕太の台詞回し、然り。 デスノートの精密なコマ絵、然り。 誰かが再利用したくなるような《何か》を埋め込む余力があるかどうかで、最後のジャンプは決まるのかもしれない。 だが、そこにたどり着くまでが一苦労だ。 本当の競技は走り幅とびなのに、助走距離がマラソン。 なんか、現代社会のコンテンツは、そんな感じになっているようだ。 ・・・いや、私が不器用なだけかも。 * そんなわけで、最近のW