●『ケータイを持ったサル』や『考えないヒト』(いずれも中公新書)などの著作で有名な京都大学霊長類研究所の正高信男教授は、「ケータイに代表されるIT社会の到来によって、日本では国民の均一性、斉一性がますます強化されてしまった」点や、「人間同士の足の引っ張り合いや、誹謗中傷が激しくなった」こと、さらには「人が物事を深く考えなくなったり、引きこもりが増えた」等々、数々の弊害が出ていると警鐘を鳴らす。 ●なぜ、そのような現象が起きているのか。それを回避する方法はあるのか。今後、日本人はITとどのように向き合っていったらよいか──これらの点について、正高信男教授に話を聞いた。 日本人にとってケータイは“自我の一部” ──正高教授は著書『ケータイを持ったサル』や『考えないヒト』などの中で、日本ではIT社会の到来によって、様々な弊害が起きていると警鐘を鳴らされています。なぜ、弊害が起きているのか、考え
橋本元一NHK会長らが会見 経営計画などについて会見するNHKの橋本元一会長(左から3人目)ら(東京・渋谷のNHK) (写真提供:時事通信社。なお同写真およびキャプションについて、時事通信の承諾なしに複製、改変、翻訳、転載、蓄積、頒布、販売、出版、放送、送信などを行うことは禁じられています) 前回のコラムでは、「地上波デジタル放送は、放送局にとっては諸刃の剣」という内容の話をした。デジタル放送になった途端に、世界中の誰もがインターネットを通じて無料で視聴できるようになってしまう。当然、目下議論されているスクランブルだの課金制度だのは意味をなくすし、日本ローカルを前提にした従来の番組制作にも見直しが迫られてくる。また府県別の放送免許と言う概念も、ハードとソフトが一体になった放送局と言う概念も消し飛んでしまう。 2011年、日本が完全に地上波デジタル放送に切り替わった時、放送局は
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