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2019年8月12日のブックマーク (5件)

  • 「なごやトリエンナーレ」事件について|外山恒一

    【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】 8月7日の夕方、大変つまらないがゆえに大いに話題になっているらしい「あいちトリエンナーレ」の会場で、報道によれば「『ガソリンだ』などと言いながら警察官にバケツで液体をかけたとして」公務執行妨害の容疑で逮捕された「自称・室伏良平容疑者」についても、それなりに話題になっているようだ。 が、Fラン国家のFラン報道があまりにも低レベルかつ断片的なため、これが一体どういう事件なのかほとんど理解されず、ツイッターなどではトンチンカンな言及も多い。ちょうど、軟弱ヘナチョコ文化人らによって主導されている「あいちトリエンナーレ」の安易な企画が、Fラン国家のFラン国民どもによる低レベルな反発を招き、「会場にガソリンをまいてやる」云々、脅迫電話や脅迫メールなどが相次いでいることが連日報道されていたために、この事件もその流れで“理解”されているフシがあるのだが、それは完全

    「なごやトリエンナーレ」事件について|外山恒一
  • 「表現の不自由展・その後」に言及した貞本義行氏は、いくつもの大切なことが見えていない - 法華狼の日記

    『ふしぎの海のナディア』や『新世紀エヴァンゲリオン』、さらにアニメ映画版『時をかける少女』のキャラクターデザイナーとして知られる貞氏が、下記のようなツイートをしていた。 キッタネー少女像。 天皇の写真を燃やした後、足でふみつけるムービー。 かの国のプロパガンダ風習 まるパク! 現代アートに求められる 面白さ!美しさ! 驚き!心地よさ!知的刺激性 が皆無で低俗なウンザリしかない ドクメンタや瀬戸内芸術祭みたいに育つのを期待してたんだがなぁ…残念でかんわ— 貞義行@腰痛 (@Y_Sadamoto) 2019年8月9日 ちなみに貞氏は美術大学出身者であるし、絵面をデザインするだけでなく、独自のストーリーを組み立てる漫画家としてコミカライズ版『新世紀エヴァンゲリオン』の長期連載を完結させた物語作家でもある。 なのにツイートは断片的な言葉が並ぶばかりで、根拠や感想と主張がきちんと対応していない

    「表現の不自由展・その後」に言及した貞本義行氏は、いくつもの大切なことが見えていない - 法華狼の日記
    akakiTysqe
    akakiTysqe 2019/08/12
    貞本氏のツイートそのものに「面白さ!美しさ!」はもちろん「驚き!心地よさ!知的刺激性」が存在しないこと、存在するかのように装っていないことも唖然とした
  • ヘイトかどうかの判定基準、あるいは産経新聞は表現の自由を憎悪している件 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    例の右翼紙・産経新聞がこんな社説を出しておってですね。 【主張】愛知の企画展中止 ヘイトは「表現の自由」か(2019.8.7 05:00|コラム|主張) 以下のように国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の展示物を指して、ヘイトとレッテルを貼っています。 (略)企画展の在り方には大きな問題があった。「日国の象徴であり日国民の統合」である天皇や日人へのヘイト行為としかいえない展示が多くあった。 バーナーで昭和天皇の写真を燃え上がらせる映像を展示した。昭和天皇とみられる人物の顔が剥落した銅版画の題は「焼かれるべき絵」で、作品解説には「戦争責任を天皇という特定の人物だけでなく、日人一般に広げる意味合いが生まれる」とあった。 「慰安婦像」として知られる少女像も展示され、作品説明の英文に「Sexual Slavery」(性奴隷制)とあった。史実をねじ曲げ

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    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 父の15年戦争15.哀れだった慰安婦 - 父の15年戦争 ローシャンのブログ

    この記事は2007年4月15日JANJANに掲載されたのを一部訂正、加筆、写真の入れ替えなどしております。 父は戦後ひょんなことから中国人民解放軍に入り各地を転戦した。そのとき野山や道端に日兵の白骨化した遺骸がよく転がっていた。父は見つけるたびに埋葬した。中国人苦力、朝鮮人「慰安婦」、白骨の日人兵士 「そりゃ哀れだった……」 ソ連兵に貞操を提供せよ 安倍首相が慰安婦問題で「軍の強制がなかった」といったとき私の母は「戦争を知らんからあんなことをいって、私らもひとつ間違ったら、ソ連兵の相手をさせられた」という。 私の母は元日赤の従軍看護婦で敗戦前まで満州帝国の首都新京(長春)の陸軍病院に勤務していたが、終戦後平壌まで逃げてきたところをソ連軍につかまった。 元日赤従軍看護婦の会編「日赤十字従軍看護婦『戦場に捧げた青春』」には香川県の永安春子さんによる手記が載っている。一部抜粋すると 前略 

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