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父の15年戦争15.哀れだった慰安婦 - 父の15年戦争 ローシャンのブログ
この記事は2007年4月15日JANJANに掲載されたのを一部訂正、加筆、写真の入れ替えなどしております... この記事は2007年4月15日JANJANに掲載されたのを一部訂正、加筆、写真の入れ替えなどしております。 父は戦後ひょんなことから中国人民解放軍に入り各地を転戦した。そのとき野山や道端に日本兵の白骨化した遺骸がよく転がっていた。父は見つけるたびに埋葬した。中国人苦力、朝鮮人「慰安婦」、白骨の日本人兵士 「そりゃ哀れだった……」 ソ連兵に貞操を提供せよ 安倍首相が慰安婦問題で「軍の強制がなかった」といったとき私の母は「戦争を知らんからあんなことをいって、私らもひとつ間違ったら、ソ連兵の相手をさせられた」という。 私の母は元日赤の従軍看護婦で敗戦前まで満州帝国の首都新京(長春)の陸軍病院に勤務していたが、終戦後平壌まで逃げてきたところをソ連軍につかまった。 元日赤従軍看護婦の会編「日本赤十字従軍看護婦『戦場に捧げた青春』」には香川県の永安春子さんによる手記が載っている。一部抜粋すると 前略
2013/01/11 リンク