1994年刊行の雑誌『クイック・ジャパン』から生まれたウェブニュースメディア『QJWeb クイック・ジャパン ウェブ』。私たちが「本当におもしろい」と確信したことだけを活字に。個人の声、個人の視点にこだわり、カルチャー(生活)からニュース(世界)を読むことを実践。
アニメ評論家・藤津亮太が2022年のアニメ映画を振り返る。キーワードは「大波のような映画」と「石のような映画」。激しいアクション、キャラクターの感情といった魅力の横溢する「大波のような映画」が趨勢であるように見えるが、確実に「石のような映画」が増えつつある。たとえば『かがみの孤城』のような……。進化しつづけるアニメ表現を考察。 期待されている「大波のような映画」 「大波のような映画があり、石のような映画がある。石のような映画をつくったのは、たぶん小津とブレッソンだ。一方、大波のように映画をうねらせるのはスピルバーグだ。セルジオ・レオーネだ。ベルトリッチだ。」 映画評論家の畑中佳樹は著書『夢のあとで映画が始まる』の中でこんなふうに記している。多分に感覚的な言葉ではあるのだけれど、だからこそ実感に訴えてくる部分がある。 2022年のアニメ映画を振り返ると当然ながら「大波のような映画」が注目を集
「テレビ離れ」検証で大切なのは、世代別の動向を追うことである。過去のデータも参照しながら、10年後の未来をスライドさせて予測する。現在、テレビ視聴とインターネット利用の率が拮抗している30代が、40代になる未来はどうなっているのだろう、業界が今やるべきことは? アニメ評論家・藤津亮太が考える。 世代別テレビ視聴率、インターネット利用率 5月25日、NHK放送文化研究所による「国民生活時間調査」が発表され、テレビ離れの傾向がくっきりと示された結果が話題を呼んだ。テレビ離れのトレンドはもはや驚くほどのことでもないと思うが、テレビ視聴とインターネット利用を対比したグラフはなかなか興味深かった。 自分は専門のメディア研究者ではないので、こういうデータを見るときは“つかみ”で大まかな傾向を読むことに傾注する。そして自分が読み取ったものを「仮説」として持つことで、さまざまな事象(僕の場合はアニメビジネ
2022年8月24日、公式サイトにて「令和4年度については、作品の募集は行わないこととなりました」と掲載、9月16日〜26日の開催をもって幕を閉じた文化庁メディア芸術祭について、アニメ評論家・藤津亮太が考察する。 メディア芸術祭、終了 文化庁メディア芸術祭が第25回で終幕となった。メディア芸術祭だけでなく、文化庁芸術祭も贈賞を廃止し(芸術祭そのものは続行)、文化庁映画賞も廃止ということで、アートやエンターテインメントに関する顕彰の仕組みそのものを見直すということだろうという観測も出ている。 僕自身とメディア芸術祭の関係はたいしてあるわけではない。最後となった第25回のアニメーション部門に審査委員として参加したのが一番大きな接点だ。 この審査員以外だと、2020年(第23回)には受賞作に関するトークに進行役などで参加し、2021年(第24回)はそうしたトークに加え、受賞作展覧会(会場:日本科
学生に「ゴールデンウィーク中に観るといいアニメを教えてほしい」と頼まれ、アニメ評論家・藤津亮太は考えた。20歳のアニメファン向け「入門書」を編むべきではないか。この本を読むことで「日本でメジャー流通するアニメが、現在のような形になっている背景を知ることができる」ことを目標に、まずはタイトル選びに着手した。 過去の作品・歴史上の創作者にアクセスするには 先日、非常勤講師をやっている大学で学生から声をかけられた。ゴールデンウィーク中に観るといいアニメを教えてほしい、というのだ。観終わったら個人的に短いレポートを提出したいが見てもらえるか、という話とセットだったので、単に「おもしろいアニメを知りたい」というわけではない。むしろ「アニメというのものにもうちょっと迫りたい」という積極性の表れという感じだった。 そこで僕は、ちょっと迷ったのだけれど、今 敏監督の映画を観ることを勧めた。学生は見たことが
ロシア依存のシステムがそのまんまな理由は? ウクライナ危機にしろ何にしろ、ロシアが仕掛ける西欧への各種の揺さぶり策に対して「いちおう西欧のボス」みたいな立場にいるドイツは、世間的な期待水準に比してどうにも消極的というか弱腰というか、煮え切らない態度を示すことが多いです。その理由については「天然ガスなどエネルギーの輸入元としてロシアを強く頼っているから」という根拠からさんざん説明されているのですが、 そもそも何故そこまでロシア依存のシステムになったのか? ていうか、急所を握られながら何故そのまんま状態でいるのか? という、より重要な点についてはろくな解説がないまま毎日が過ぎています。この状況はイマイチだよなということで、先日「JAM THE PLANET」(J-WAVE)というラジオ番組でいろいろ語ったのですが、語りきれるわけもないので今回この記事にまとめなおしてみようと思う所存です。 中東
国立新美術館で開催中の『庵野秀明展』に足を運んだアニメ評論家・藤津亮太は、庵野の原点を形成する特撮の模型やスーツ、アニメの原画などの膨大な展示に感銘を受ける。痛感したのは、文化とは「残す」ものであること。今「残そうとする」行動が求められている。 【関連】『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を“父殺し”で考察 星一徹から碇ゲンドウへ 『ギンガイザー』など多様な作品を残す意味 『超合体魔術ロボ ギンガイザー 全28話保存プロジェクト』というクラウドファンディングに参加した。『ギンガイザー』は1977年に放送されたロボットアニメ。同作を今後長く活用できる状態にするため、2K以上のクオリティでフィルムスキャンを行い、データ化しようというのがこのクラウドファンディングの趣旨だ。締切が11月5日に迫っているので、気になった方は、是非急いで申し込んでほしい。 『ギンガイザー』は、小学校低学年の時に毎週楽しみ
魚喃キリコが感じていたことをヴィヴィッドに感じ取れる 漫画家・魚喃キリコによる13年ぶりの新刊『魚喃キリコ 未収録作品集』。上巻には、1993年のデビューから1990年代後半にかけて描かれた短編やイラストなどが、下巻には、2000年代に描かれた短編とイラスト、さらには長編作品である「ハイタイム」が収められている。 単行本の出版としては『キャンディーの色は赤。』以来13年ぶりであるが、「作品集」としては実に17年ぶりの新刊となった。 本作はあくまで“新刊”であって、“新作”ではない。デビュー作でありながら単行本未収録となっていた「HOLE!!」をはじめ、未発表作品であった「fault」や「3分46秒。」も、この場をもって日の目を見ることとなったのだ。長い時を経て、再び誕生したともいえるだろう。 上下巻ごとに、魚喃が作品を発表した年代の大きな括りはあるものの、掲載作品の順番は、彼女のキャリアの
緊急事態宣言を受けて開催中止となった『アニメージュとジブリ展』だが、アニメ評論家・藤津亮太は、展覧会の導入部分に展示されたグラフが「アニメブーム」について大きな真実を伝えていることに気づいていた。「アニメブーム」は1980年代半ばには終わっていた? 『アニメージュとジブリ展』の背景 4月22日に『アニメージュとジブリ展』に足を運んだ。この展覧会は、アニメ雑誌『アニメージュ』の記事などを通じて、雑誌創刊から、アニメ映画『風の谷のナウシカ』を経て、スタジオジブリ第1作である『天空の城ラピュタ』が生まれるまでを扱ったもの。展覧会は当初、5月5日までの予定だったが、緊急事態宣言の発出を受けて25日以降は中止となってしまった。 当時のアニメを取り巻く状況に詳しくない人のために、この展覧会の背景をまず簡単に説明しておこう。 1978年、徳間書店が『アニメージュ』を創刊する。同誌は大手出版社による定期刊
主演男優賞にしか言及しない不自然 5月31日、日本映画批評家大賞の授賞式があり、のん(能年玲奈)さんが主演女優賞を受賞しました。ところが、「“フジテレビ視点”のエンタメ情報をお届け」すると謳っているアカウント「フジテレビュー!!」は、主演男優賞の結果はツイートしておきながら、主演女優賞については触れなかったんです。主演女優賞といえば主演男優賞と並んで映画賞の華であり、しかものんさんが受賞した作品『私をくいとめて』は大九明子さんが監督賞も受賞しているのですから、この主演男優賞にしか言及しないツイートは大変バランスを欠いており、なので、わたしは「なぜ、主演女優賞をスルーするんですか?」と疑問を投げかけたのでした。
『シン・エヴァ』と「大人になる問題」 コメカ TVODが3月を振り返ります。まず、3月8日に公開された『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の話をしたいなと。まあもう各所でいろんな人がいろんな角度から言及している本作ですが……とりあえずTVOD的には、「大人になる問題」みたいな論点で話をしたいなと。前回の菅長男の話からもちょっと連続性を帯びるわけですけど(笑)。 追告 A『シン・エヴァンゲリオン劇場版』 パンス またその話に! TVODのふたりってエヴァ直撃世代なんですが、僕はリアルタイムだとさほど観ていなかったんですよね。なのに今回は過去作も含めて観たりと、かなり熱心でした。庵野秀明の過去インタビューも読んだり、果ては今、江藤淳『成熟と喪失』を読み返しているところ。 コメカ 僕も実はリアルタイムからちょっと遅れて、ゼロ年代の頭ぐらいにテレビ版・旧劇版を観たんだよな。新劇場版は一応公開ごとにリア
1995年に誕生したアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』。そのシリーズを完結させた『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が大ヒットを記録し、4月11日には庵野秀明監督の舞台挨拶が発表されるなど、引きつづき話題を集めている。 本稿では、ユースカルチャーについてさまざまな媒体で執筆しているライターのヒラギノ游ゴ氏が、“子供”の表象という観点からエヴァシリーズを考察した。 ※この記事は映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』と『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のネタバレを含んでいますのでご注意ください。 2021年に観る『:Q』の違和感 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』は衝撃だった。 予告していた内容を「あーそんなこと言ってた時期もありましたね」程度にすっ飛ばして威風堂々丸っきり別の展開を繰り広げる胆力、そんな掟破りなやり方を許させてしまう圧倒的な物語の密度、有無を言わさず惹き込む画面の力。 そして観客にネタバ
観客動員数は500万人を超え、興行収入もシリーズ最高を更新中の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』。4月29日には先日放送された『プロフェッショナル』(NHK)の拡大版『さようなら全てのエヴァンゲリオン~庵野秀明の1214日~』のオンエアが決定するなど、公開から1カ月以上経った今もまだ話題を呼んでいる。 新千歳空港国際アニメーション映画祭のアーティスティック・ディレクターで、アニメーションのプロデュース、配給を手がける株式会社ニューディアー代表の土居伸彰氏は、「エヴァは、アニメーション云々に収まるものではなくて、人の人生のひとつのピースとなるような作品」だという──。 ※この記事は映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の結末までの内容を踏まえて書かれたものです。未見の方はご注意ください。 14歳のとき、碇シンジと完全にシンクロしていた 僕が『エヴァンゲリオン』と出会ったのは1995年のテレビシリ
日曜朝、松本人志『ワイドナショー』(フジテレビ)への世間の空気を観ながら、ドイツ人としてテレビコメンテーターも務めるマライ・メントラインは考える。「この日本で、新鮮な『道理』が作られる場はどこなのか」。思索の旅は、90年代的たけしの言説と今の松本人志の言説の類似点を発見するところから始まる。 松本人志を好かない「中の人」 ネット言論の定番的情景で興味深いもののひとつに「『ワイドナショー』に対するインテリ業界の嫌悪感」がある。 これについて「芸人に政治や文化を語らせることの限界」とか「権力筋の意向に沿いやすい(とインテリ側から見える)松本人志の姿勢」とか、いろんな超ありがち議論の筋書きを語ることも可能だが、この場でおそらくそんな話はお呼びでない。私が重要だと思うのは、そうしたアンチ松本人志的な(特に年嵩の)インテリな方々のけっこう多くが、一方でたとえば『ビートたけしのオールナイトニッポン』(
デジタル越しに、母国の親しい人々と語ることはできる。だが、もし危機的状況に陥ったとしても、お互い何ができるわけでもない。日常と化しかけたコロナの時間の中で、ドイツ人・マライ・メントラインは「コロナ的日常」の奥を見据える。ヨーロッパの歴史を遡り、幻視した未来はかなりマズい。 コロナ問題発生以前の日常に比べて…… 2020年4月の緊急事態宣言以降、しばらくつづいた緊迫状態のケリがなんとなくつかないまま、いろいろと制限が付加された状態で「それなりの日常」が表面的に継続してしまっている、それが今の「コロナ的日常」な気がする。 政治・医学・その他的に議論が乱れ飛び、決定的な改善に向かわない一方で決定的な破局もない。そんな社会の状況があらゆる人にストレスを蓄積させ、ネット上にとげとげしい極論として噴出し、ストレス再生産の材料となる。残念な悪循環だ。 しかし……と私は思う。 たとえばネットがなく、外部か
「全集中の呼吸」で警戒せよ。<悪>はいつも、親しみやすい貌で近づいてくる『短くて恐ろしいフィルの時代』 11月2日衆院予算委員会。立憲民主党の江田憲司の質問に『鬼滅の刃』のセリフを引用した菅首相の答弁が話題を呼んだ。おもしろい、あざといなど一過性の感想で片づけていいのか、権力者がわかりやすい言葉で近づいてくるときこそ警戒しなければと、書評家・豊崎由美が取り上げた一冊は『短くて恐ろしいフィルの時代』。 「江田さんですから、私も『全集中の呼吸』で答弁させていただく」 (菅義偉内閣総理大臣 『朝日新聞デジタル』2020年11月2日) 熱狂的な演説をかますデマゴーグ 〈国が小さい、というのはよくある話だが、《内ホーナー国》の小ささときたら、国民が一度に一人しか入れなくて、残りの六人は《内ホーナー国》を取り囲んでいる《外ホーナー国》の領土内に小さくなって立ち、自分の国に住む順番を待っていなければなら
「キモい」 (徳島県・10代の女子生徒) 10代女子の言葉に逆上、35歳男性が傷害容疑で逮捕された徳島の事件。2派に分かれたSNSの論争を通して、書評家・豊崎由美は気づいてしまった。わたしの中には「小さなおじさん」がいる! 呆然としながら読んだ『持続可能な魂の利用』(松田青子)にさらに打ちのめされる。ああ、女性のつらさを身に受けて生きてきたはずなのに……。 わたしの中の「小さなおじさん」 少し前の話になるけれど、午後10時05分頃、コンビニ前にいた女子高生3人に「うちに来ないか」と声をかけた35歳男性が、「キモい」と言われて逆上し、助けに入った50代男性と女子高生に暴行を働いて連行されるという事件がありました。 ツイッター上では、もちろん35歳男性が全面的に悪いという意見がほとんどだったのですが、それはそれとして「〈キモい〉という言葉の殺傷能力は高いので、使わないほうがよかったのではないか
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