「生命を奪ってあげるのが本人のためだ」式の冷徹ぶったパラドックスは、常に一定数の支持を集めることになっている。ものを考える習慣を持っていない人々の目には、不謹慎なだけの嘲笑や、単に残酷なアイロニーが、いかにも本質を突いたおしゃれな見解であるように見えているのだろうね。
アーティストの社会的な発言に失望するとか失望しないとか以前に、われわれがわかっていなければいけないのは「才能はときどき間違った人間に宿る」ということです。たぐいまれな才能に恵まれている一方で、いけ好かない趣味を持っていたり、人間としてクズだったりする例は珍しくありません。
幻冬舎箕輪厚介氏のセクハラ&原稿料踏み倒し疑惑について、常日頃素敵に文化的なツイートを発信していらっしゃる編集者アカウントが軒並み知らん顔なのはなぜなんだ? 踏み倒かセクハラについて身におぼえでもあるのか? あるいは同業者の不祥事は見て見ぬ振りのアンリトンルールでもあるのか?
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く