戦後の日本社会では、「特攻隊」は悲劇の象徴でしかなく、軍部を批判する絶好の材料となってきた。だから特攻作戦の意義や戦果を再評価し、特攻隊の顕彰を口にしようものなら、たちまち「戦争を美化している」などと、お門違いの批判を浴びるはめになる。戦後の日本は特攻隊への評価は、完全な言論統制下にあるといってよかろう。 しかし、事実として、特攻隊は大きな戦果を挙げ、米軍将兵の心胆を寒からしめていたのである。こうした史実を歪(ゆが)め、特攻隊員に対して偽善的な哀れみの情を込めて無駄死だとか犬死などというのは、英霊に対する冒瀆(ぼうとく)なのだ。 1944(昭和19)年10月25日、フィリピン・マバラカット基地から出撃した関行男大尉率いる神風特別攻撃隊「敷島隊」による最初の攻撃から終戦までの約10カ月間に、海軍の特攻機2367機が敵艦隊に突入して2524人が散華した。そして、陸軍は同1129機が出撃し、13