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古墳に関するakakitのブックマーク (7)

  • 大阪)百舌鳥・古市古墳群の等高線図を販売 堺など3市:朝日新聞デジタル

    ユネスコ世界文化遺産の国内推薦を目指す百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群の仁徳陵古墳など56基の古墳について、同じ高さの地点で結んだ「等高線図」のセットを堺など地元3市が計1千冊作り、販売を始めた。古墳研究者や歴史愛好家のほか市民にも古墳の理解と関心を深めてもらう狙いがある。 堺市は百舌鳥古墳群の29基の古墳を等高線図28枚で紹介する。国内最大の仁徳陵古墳は図面も大きく、2枚合わせて縦145センチ、横103センチになるものも。市によると高精度な仕上がりという。羽曳野、藤井寺両市は古市古墳群の応神陵古墳など27基を29枚で紹介。高速道路下にある古墳は図面に掲載していない。3市の予算は計約135万円。 いずれも2012年にヘリコプターからレーザーを発射して地表面を計測し、樹木や家屋を除去した処理をして地盤のみの情報にしたもので、これまでシンポジウムの資料などに使ってきた。今回の等高線図は古

    大阪)百舌鳥・古市古墳群の等高線図を販売 堺など3市:朝日新聞デジタル
  • 岡山に謎の巨大古墳 墳長350メートル、出入り自由 - 日本経済新聞

    岡山県南部の吉備路にはのどかな田園風景が広がる。サイクリングロード脇の平野の一角にその巨大古墳はあった。推定墳長350メートル。日で4番目に大きいが、上位3つはすべて天皇陵で、自由に立ち入りできる古墳としては最大だ。いったい誰が古代吉備にこのような巨大古墳を作ったのか。謎を追った。5世紀初頭の築造か岡山市西部の新庄下にあるこの古墳は造山(つくりやま)古墳と呼ばれる。多くの大王墓(天皇陵)と

    岡山に謎の巨大古墳 墳長350メートル、出入り自由 - 日本経済新聞
  • 青石の葺石、数百個発見 渋野丸山古墳(徳島市) - 徳島新聞社

    徳島市教委は7日、国史跡に指定されている徳島県内最大の前方後円墳・渋野丸山古墳(同市渋野町三ツ石)の発掘調査で、斜面の土を崩れにくくする葺(ふき)石(いし)が良好な保存状態で見つかったと発表した。徳島産の青石を縦方向と横方向に交互に並べた積み方や、土を崩れにくくするための工夫が明確に確認できたという。市教委は「これほど美しい状態で葺石が残存しているのは四国内では珍しい」としている。 葺石は土を崩れにくくするほか、装飾の目的でも使われる。今回、見つかったのは前方後円墳のくびれの部分。約15平方メートルの範囲に数百個の青石が埋まっていた。石は大きなもので縦25センチ、横70センチ、厚さ15センチ、小さなもので握りこぶし大ほどだった。 石をスムーズに積むために縦と横に交互に並べたり、土を崩れにくくするために場所によって石の大きさを変えたりする工夫が見て取れるという。 調査は1月に開始。円筒

    青石の葺石、数百個発見 渋野丸山古墳(徳島市) - 徳島新聞社
  • 乃良根公大佐殿、報告です

  • ウルフルケイスケ | 古墳にコーフン協会

    akakit
    akakit 2013/09/02
    今日のMJで読んだ「古墳にコーフン協会」 @kofun_ni_kohfun 名誉会員にウルフルケイスケさんおるwww 大阪の実家近所も住宅街に古墳が紛れ込んでてちょっとコーフンするかもな。
  • asahi.com(朝日新聞社):斉明天皇の墓、ほぼ確実 牽牛子塚古墳は八角形墳 奈良 - 文化

    墳丘の周囲に敷かれた切り石の並んだ形状から、八角形墳とわかった牽牛子塚古墳=奈良県明日香村、渡写す      大化改新で知られる中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=天智天皇)の母、斉明(さいめい)天皇(594〜661)の墓との説がある奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳(国史跡)が、当時の天皇家に特有の八角形墳であることが確認された。明日香村教育委員会が9日、発表した。墳丘全面が白い切り石で飾られ、内部の石室も巨大な柱状の切り石で囲われた例のない構造だったことも判明。斉明天皇は巨石による土木工事を好んだとされ、被葬者が同天皇であることがほぼ確実になった。  明日香村教委は、飛鳥地方の古墳群と藤原宮跡の世界遺産登録に向け、牽牛子塚古墳を昨年9月から調査。墳丘(高さ約4.5メートル)のすそは上からみると八角形状に削られており、北西のすそから3辺分の石敷き(長さ約14メートル)が見つかった

  • asahi.com(朝日新聞社):やっぱり舎人親王の墓ではなかった 奈良の宮内庁管理地 - 文化

    帯解黄金塚古墳から出土した7世紀中頃の特徴を示す須恵器の杯蓋(つきぶた)=26日午後、奈良市田中町、荒井昌明撮影2段の石敷きが巡らされ、7世紀中頃の築造とわかった帯解黄金塚古墳。右後方が墳丘=26日午後、奈良市田中町、荒井昌明撮影    日書紀の編纂(へんさん)で知られる舎人(とねり)親王(676〜735)の墓との伝承があり、宮内庁が陵墓参考地として管理する奈良市田中町の帯解黄金塚(おびとけこがねづか)古墳が、親王の没年より以前の7世紀半ばの築造とわかった。市埋蔵文化財調査センターが2月26日、発表した。専門家の間では石室の造りなどから舎人親王の没年と築造時期にずれがあるとみられていたが、周辺部の発掘調査で改めて裏付けられた。  古墳の範囲確認のため、1月14日から周辺約120平方メートルを調査。墳丘自体は発掘できなかったが、墳丘の南西隅そばで7世紀半ばとみられる須恵器の杯蓋(つきぶた)

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