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  • 20歳。おめでとう。そして、ありがとう。: 武藤文雄のサッカー講釈

    20年経った。そして、夢はすべて叶った。いや違う、夢にも思わなかった事が次々と到来してくれた。 正直言おう。あの試合を観ながら、随分と複雑な気持ちだった。 もちろん、それまでの1年間で、既に「相当数の」夢は叶っていた。それらへの喜びは、とてもとても大きなものだったのは間違いなかった。 地元で行われたアジアカップで、アジアチャンピオンになった。 UAEに競り勝ち、ワールドカップ最終予選に進出していた。 ビッグゲームで国立競技場が満員になるのは、当然の事となっていた。 半年前のナビスコカップで、各クラブにサポータ集団が登場していた。 テレビサッカーが採り上げられる頻度は格段に上がっていた。 繰り返すが、それぞれは大変な歓喜を伴うものだった。でも、私はあの試合を観ながら、何か白けていたのだ。 もちろん、井原はいつもの通り最高だった。木村和司も体調は上々の模様で、相変わらず愉しい選手だった。当時

  • 武藤文雄のサッカー講釈

    ドーハの屈辱。 しかし、「屈辱」って、考えてみれば、随分な態度だと思う。だってイランですよ、イラン。32年前の超苦戦とカズの「魂込めた」一撃。31年前のドーハの痛恨。もちろん、人生最高の歓喜を味わったあのジョホールバル。アリ・ダエイやアジジやマハダビキアを筆頭とする尊敬すべき忌々しい名手たち。そして、今回のアズムンやジャハンバクシュらも彼らの系譜を継いでいた。 2005年のドイツ大会予選で苦杯を喫した、あのアザディスタジアムの大熱狂、ペルセポリスや多くの博物館で楽しんだペルシャ帝国時代からの歴史の重み。そのイランにアディショナルタイムにやられて「屈辱」と語る姿勢、そのものが不遜に思えてくる。たとえ、私たちの目標がワールドカップ制覇だとしても。 個人的にもすごく反省のある大会。アジア制覇は当然と考え、決勝あるいは準決勝以降は現地に行く計画だった。早々にアポイントを入れ、万が一早期敗退したらキ

  • 悩まない審判: 武藤文雄のサッカー講釈

    ゼロックススーパーカップ。もう少しシーズンインを素直に愉しみたかったのだが。 まずは雑念以外の話。 アントラーズの充実。10人になっても、引き気味に丹念にボールを回し我慢を重ねる。同人数になったところで攻勢を取り、山と野沢の個人能力で2点差に。小笠原を含めたこの中盤の3人を見ると、負傷者続出で青息吐息だった先日の東アジア選手権は何だったのかと言う思いもあるのだが。山と山瀬が並ぶ攻撃的MFなどちょっと見たいとか、小笠原と遠藤の口論など面白そうだなと思ったりして。とは言え、このような大人の試合振りは、正にこのクラブの伝統。その後もペースを確保し続け、しっかりと試合をクローズする...はずだったのだが。全くの余談だが、最近の山、小笠原、遠藤、播戸、加地、永井と言ったあたりを見ていると、彼らが全盛期のうちに1度でいいから、ナイジェリアワールドユースOB会でちゃんとした試合を観たくなる(どうせ

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