大好きなフォーク・シンガーのピート・シーガーを目標にして歌手になる決意を固めた高田渡が、「日本人として、日本語の表現を突き進む」と日記に書いたのは17歳の時だった。 中学を出てから東京・代々木にある印刷工場で働いた高田渡が、ブラザース・フォアのレコードを聞いたことでフォークソングに開眼したのはその1年前のことだ。 はじめはメロディの心地よさに惹かれたが、楽器のバンジョーに興味をもったことから、名手だったピート・シーガーを知って傾倒していった。 ピート・シーガーは先祖たちが残した歌を調べるためにアメリカ中をまわり、発掘したフォークソングを歌い継ぐことでそれらを世に広めた。 高田渡が残した1966年3月の日記には、ピートについての思いがこう記されていた。 彼のうたう歌には、うたい方には、[自分を出そう]というものがないのです。どことなくすいこまれていく、そして、歌そのものに魅力を感じさせるもの