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2011年7月27日のブックマーク (4件)

  • アークティック・モンキーズ - Wikipedia

    アークティック・モンキーズ(Arctic Monkeys)は、イングランド、シェフィールド出身のロックバンド。2002年に結成。 メンバー[編集] 現メンバー[編集] アレックス・ターナー ジェイミー・クック マット・ヘルダース ニック・オマリー アレックス・ターナー(Alex Turner, 1986年1月6日 - )ボーカル・ギター (2002年-現在) バンドの作詞家。ストーリー性が色濃く、かつシニカルで情景描写の豊かな歌詞が特徴。60年代のオールディーズミュージック、ヒップホップ、ビッグビートなども好み、ロック以外にも造詣は深い。ポーカーフェイスで有名。ラスト・シャドウ・パペッツにおいても活動。 ジェイミー・クック(Jamie Cook, 1985年7月8日 - )ギター (2002年-現在) ギタリスト。バンドのメンバーとして以上に、アレックスとは無二の親友。ヘビーなサウンドのロ

    アークティック・モンキーズ - Wikipedia
  • 悪徳の栄えその他 - どうにもこうにも:t_masamuneの日記

    昨日の続き、マルキ・ド・サド、澁澤龍彦訳『悪徳の栄え』(上・下)了。 美徳の正しさを信じて不幸に落ちていく妹・ジュスティーヌとは反対に、悪徳に身を委ね、初めは単なる情欲から、やがては悪と自然の哲学によって悪事の限りを尽くし、波乱万丈(だけど概して美味しい(笑))の人生を歩むジュリエットの物語。 公平な正義などないが悪の前には何もかもが誰もが平等である。納得。実は所謂「すうすうはあはあ」だとか冗長な部分を主に除いて、サドの「哲学」部分に重点を置いて訳した抄訳。全6冊のものを2冊に。最初は勿体ないと思ったが、確かに、余りの残虐非道邪智暴虐凶暴無比のため、最後の方はもう目がチカチカして頭がクラクラしてきたから、これでいいのかもしれない。それに、サドの言わんとすることが効率よく伝わってくる。この人が訳してくれてよかった(裁判のことは知りませんが、今はこんなに簡単に読めるとは…)。 少なくとも確実に

    akihiko810
    akihiko810 2011/07/27
    澁澤龍彦訳『悪徳の栄え』
  • サド公爵と見る「マルキ・ド・サドのジュスティーヌ」

    えー、みなさんこんにちは。 モンド・H・カリガリ~人間教養講座「文学と映画の幸福な出会い」の お時間がまいりました。 この「文学と映画の出会い」は、今回が第一回目という新シリーズですので、 若干、番組の内容をご紹介いたします。 番組は毎回、古今東西の有名な文学作品をベースにしてつくられた映画作品を、 その原作者の方をお招きして、一緒に見ていこう、というものです。 みなさんご存じのとおり、文学作品を原作にもつ映画作品は、 とても多いのですが、 原作の一文一文をただなぞって映像に置き換えただけでは 映画作品とは呼べないのではないでしょうか。 つまり、ウラを返せば、映画の製作者は原作を全体として解釈し、 そして新たな、別物の芸術作品として映画を作る、 そういう営みがあってはじめて、映画は作品として成立すると思われるのです。 したがいまして、原作をもつ映画作品を鑑賞する場合、常に、 次のような問

    akihiko810
    akihiko810 2011/07/27
    美徳の不幸「ジュスティーヌ」
  • 『あの花』の最終回は、あの伝説的テレビが元ネタ!?

    人気アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の最終回は、涙なしには見れない。 自分たちは当に、めんまの幸せを願えているのか――。キャラクター一人一人が罪悪感を吐露し、涙と叫びでついに感情を爆発させる、最終回。序盤の展開は、10代の若者たちが等身大のテーマを討論する伝説的テレビ『真剣10代しゃべり場』(NHK教育)を意識したと、脚を手がけた岡田麿理さんはいう。 「めんまの成仏にむけて、仁太たちを一度『当の仲間』にする必要があるなって思ったときに、どうしても11話では尺が足りなかった。そのときに『しゃべり場があるじゃないか!』って(笑)。初めてテレビで『しゃべり場』を見た時の衝撃たるや、もう、ひどい! こんなの、どっかのカラオケボックスでやってくれっていう。思春期の少年少女が、こうして自我をぶつけあっているのを見るのは気持ち悪いものだなあって。いろんなものがあまりに未完成すぎて

    『あの花』の最終回は、あの伝説的テレビが元ネタ!?
    akihiko810
    akihiko810 2011/07/27
    納得 >初めて『しゃべり場』を見た時の衝撃たるや、思春期の少年少女が、こうして自我をぶつけあっているのを見るのは気持ち悪いものだなあって。いろんなものがあまりに未完成すぎて、生っぽすぎて、