タグ

ブックマーク / blog.livedoor.jp/easter1916 (3)

  • ララビアータ:小林秀雄のドストエフスキー論(つづき) - livedoor Blog(ブログ)

    小林秀雄と山城むつみ氏がともに重視しているのが、セミョーノフ練兵場におけるドストエフスキー自身の疑似死刑体験である。小林氏はドストエフスキーに成り代わってそのことを書き記している。 私のような経験をしてきたものの眼には、〔死に臨んだ〕「ある一点」から逆に歩いたことのある男の眼には、不幸なことだが、人生には荒唐無稽なことしか起こってはいないのだ。 (小林秀雄「「白痴」についてⅡ」p−204) 山城氏は同じ個所について次のように記している。 ある日、突然の赦免によって「ある一点」から「生」に向かって歩くことを命じられ、歩き始めたその逆方向の「生」から振り返ってみたとすれば、どうか。…「ある一点」は、小林に「死」ではなく、もはや逆向きに、したがって「荒唐無稽」なものとしてであるが、「生」を強いるようになったということだ。(山城むつみ『小林秀雄とその戦争の時』197) もし『白痴』の中でムイシュキ

  • ララビアータ:村上春樹氏の『風の歌を聴け』 - livedoor Blog(ブログ)

    ゼミの学生からの希望で、村上春樹氏の『風の歌を聴け』を読むことになった。私はまだ彼の小説を一つも読んだことがないので、何の予備知識もなくこの小説を読んだ。もちろん、若い学生諸君がこの小説をどのように読んでいるのだろうか、興味もあった。 「主人公の女が妊娠中絶しますよね? あれどう思いました?」と私が、この小説を取り上げることを希望した学生に聞いてみると、「えっ!そんなところありました?」と驚く(!)。この小説は、ご存じのようにこれといった事件が起らない小説だ。その中でほとんど唯一と言っていいような事件が女の妊娠中絶である。その中心の筋さえも気づかないで、どうしてこの小説の愛読者になれるのであろうか?私のような古いタイプの小説愛好家にとっては、なんとも不思議である。以下、私の読後感想を思いつくままに書きつけておこう。 小説は、1970年8月8日から8月26日まで19日間に起こった事件からなる

  • ララビアータ:田島正樹(哲学者)

    山形新聞への投稿 「高名な楽人はこう歌ったが、オデュッセウスは打ち萎れて、瞼にあふれる涙は頬を濡らした」 (『オデュッセイア』第8歌) 10年に及ぶトロヤ戦争に勝利したのち、ギリシア方の司令官の一人オデュッセウスは、故郷イタケーに向けて帰路に就くが、さらに10年にわたって流浪する運命にあった。その最後の流浪地がパイアケス人の国である。引用は、その宮殿にもてなされた彼の前で、吟遊詩人がトロヤ戦争のことを歌い、それに聞き入った彼が思わず落涙する場面である。 面白いのは、ここで歌われているのがオデユッセウス自身の体験してきた冒険だということだ。ここには、英雄の偉業を詩人が歌うというギリシア人の根経験が、くっきりと刻まれているばかりではない。当の主人公が、それを聴くことで深い感慨を催す点に、ギリシア人にとっての叙事詩の意義が示されているのだ。時とともに風化し、移り過ぎてゆく儚い人生を、ただ流れる

  • 1