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ララビアータ:小林秀雄のドストエフスキー論(つづき) - livedoor Blog(ブログ)
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ララビアータ:小林秀雄のドストエフスキー論(つづき) - livedoor Blog(ブログ)
小林秀雄と山城むつみ氏がともに重視しているのが、セミョーノフ練兵場におけるドストエフスキー自身の... 小林秀雄と山城むつみ氏がともに重視しているのが、セミョーノフ練兵場におけるドストエフスキー自身の疑似死刑体験である。小林氏はドストエフスキーに成り代わってそのことを書き記している。 私のような経験をしてきたものの眼には、〔死に臨んだ〕「ある一点」から逆に歩いたことのある男の眼には、不幸なことだが、人生には荒唐無稽なことしか起こってはいないのだ。 (小林秀雄「「白痴」についてⅡ」p−204) 山城氏は同じ個所について次のように記している。 ある日、突然の赦免によって「ある一点」から「生」に向かって歩くことを命じられ、歩き始めたその逆方向の「生」から振り返ってみたとすれば、どうか。…「ある一点」は、小林に「死」ではなく、もはや逆向きに、したがって「荒唐無稽」なものとしてであるが、「生」を強いるようになったということだ。(山城むつみ『小林秀雄とその戦争の時』197) もし『白痴』の中でムイシュキ