Unknown (kounit) 2008-02-03 19:09:12 「自らの心の修養レベルに応じた解釈」確かにそのとおりですね。漱石が禅寺を訪れたときに、釜戸の火明かりで碧巌録を読んでいた若い僧にこれと同意味の言葉でたしなめられています。私は、それは読書の神髄であると信じて来ました。そうであればこそ読書の醍醐味もあると言えるでしょう。次に続く「その教えを役立てることができる」という貴兄の言葉は非常に大切だと思います。そこからが修行というものであるように自分には思われます。でないと思考の遊びに終わってしまうように思います。今の自分がそのいい例であります。 返信する 感謝します (zazen256) 2008-02-05 04:59:38 コメントをありがとうございました。 人生経験豊かなkounit先生が私と同じ考え方をしておられることは、非常に力づけられました。ありがとうございます。
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