「漫画家になってよかったことは?」と聞かれると オレはいつも「仲間ができたこと」と答えている 1978年5月― 横浜は鶴見の 家賃8千5百円の四畳半に、 新潟から漫画家を夢みてやってきた小林まことという19歳の若者がいた。 案に相違して原稿を持って巡った出版社ではことごとくボツをくらい、 あげく2日前に腐ったえびチャーハンを食べて、現在進行形で食中毒で死にかけている彼の 長い長い漫画家人生は、一本の電話から始まった。 『おめでとう!!入選だよ 賞金100万円!!』 「ええ~~~っ!!」 それは半ば やぶれかぶれで持ち込んだ少年マガジン編集部で、 小林の漫画を初めて評価してくれた編集者・工富氏からの吉報だった。 サラリーマンになった同級生の月給が6万円台だった時代である。 その100万は、今の100万とは比較にならない価値があり、 だからこの瞬間、上と下から出すものを出し尽くし、40度の高熱
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