羽田空港の入口で、装甲車の燃える煙が上空を覆うのを見ながら〝ロックンロールだ〟と思っていた。学校に泊まり、新宿のジャズ喫茶で夜明かしをし、横浜にGSを見に行く。そんな日々を過ごしていた。――田家英樹『読むJ-POP1945-2004』 (朝日文庫、一〇七頁) GSブームは六八年をピークとし、六九年には沈静化してゆく。 それは六九・一・一八、東大安田講堂の陥落を境に学生運動が下降へ向かうことと並行していた(安田講堂陥落時、日劇ではウエスタン・カーニバルが開催されている)。 のちに「六八年革命」と呼ばれる政治的/文化的運動と、「日本ロックのピークは六八年」(黒沢進)とされるGSの共振。 GSはカウンター・カルチャーだった。 六八年六月にモップスは東京文化会館で現代音楽家の一柳彗と武満徹が企画・構成した『Orchestral Space』に出演、寺山修司は大阪のGS・リンド&リンダーズへ詞を提供