経済に関するakita_kiaのブックマーク (3)

  • ポラニー的不安 - 池田信夫 blog

    大不況に便乗して、ここぞとばかりに「市場原理主義」を攻撃するが山のように出てきた。書は、この種の際物の典型である(リンクは張ってない)。『大転換』というタイトルに示されるように、カール・ポラニーの有名なを踏襲して「市場の暴力」を批判するのが、こういうのお決まりのパターンだ。中谷巌氏もポラニーを引用して、市場が「悪魔の挽き臼」だという。 しかし伝統的な社会には「非市場」しかなく、19世紀の欧州で初めて「自己調整的」な市場が登場した、というポラニーの理論は、歴史的事実によって支持されない。ブローデルも批判するように、どんな「未開」な社会にもバザールのような市場は必ずみられ、それは共同体と共存している。古代ギリシャのアゴラも、もとは市場だった。 ポラニーは市場の外側に来的な「社会」なるものを想定するが、ハイエクも批判したように、こういう場合の社会とは国家の別名にすぎない。ポラニーの

    akita_kia
    akita_kia 2009/04/17
    今は「ポラニー」と呼ぶのが普通なのか。弟のマイケルのように。経済史の文脈では「カール・ポランニー」だと思っていたけど。/id:finalvent 『ブダペスト物語』にも出て来ましたね。
  • [書評]プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(マックス・ヴェーバー): 極東ブログ

    「プロテスタンティズムの倫理と資主義の精神」(参照)、通称「プロ倫」についてなにかを書こうと思うような日が来ようとは思いもかけなかった。「プロ倫」はただ百遍読めばいいのである。 しかし、馬鹿につける薬はないな、プロ倫を百遍読めとばかりも言えないかもしれないご時世でもある。ま、かく言う私自身がその馬鹿の部類でもあろうから、たまに恥をさらしておくのもいいだろう。 とはいえ、このがなんであるかについてはさすがに省略する。ブログを書く手間はあるが、プロ倫を解説する手間はさすがにない。なので、いくつかティピカルなポイントだけ簡単に記しておく。 カルヴァン的なプロテスタンティズムの「神の選びの教義」とは何か これを、「神が現世における人間の努力やその成果によって人間を選別し、勝利者を救済し、弱者を地獄に落とす」と理解している人は、およそ社会学なり現代社会・政治を論じるに足りない。昔なら、岩波文庫で

  • 「日本に謝罪」…かつて対日批判急先鋒の米ノーベル賞教授 : 経済ニュース : マネー・経済 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    【ニューヨーク=山正実】「私たちは、日に謝らなければならない」――。2008年のノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン米プリンストン大教授は13日、外国人記者団との質疑応答で、1990~2000年代にデフレ不況に陥った日政府や日銀行の対応の遅さを批判していたことを謝罪した。 教授は、「日の対応が遅く、根的な解決を避けていると、西欧の識者は批判してきたが、似たような境遇に直面すると、私たちも同じ政策をとっている」と指摘。「上昇する米失業率を見ると、失われた10年を経験した日より悪化している」と述べ、経済危機を克服するのは予想以上に難しいとの見方を示した。 クルーグマン教授は、日のデフレ不況時に、日銀に徹底的な金融緩和を促す論陣を張るなど、日批判の急先鋒(せんぽう)に立っていた。

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