大不況に便乗して、ここぞとばかりに「市場原理主義」を攻撃する本が山のように出てきた。本書は、この種の際物の典型である(リンクは張ってない)。『大転換』というタイトルに示されるように、カール・ポラニーの有名な本を踏襲して「市場の暴力」を批判するのが、こういう本のお決まりのパターンだ。中谷巌氏もポラニーを引用して、市場が「悪魔の挽き臼」だという。 しかし伝統的な社会には「非市場」しかなく、19世紀の欧州で初めて「自己調整的」な市場が登場した、というポラニーの理論は、歴史的事実によって支持されない。ブローデルも批判するように、どんな「未開」な社会にもバザールのような市場は必ずみられ、それは共同体と共存している。古代ギリシャのアゴラも、もとは市場だった。 ポラニーは市場の外側に本来的な「社会」なるものを想定するが、ハイエクも批判したように、こういう場合の社会とは国家の別名にすぎない。ポラニーの