メジャーにきてから、新たに取り組んだことも多い。 5月中盤頃からスライダーも配球に組み入れ、100マイル(160キロ)前後の直球を核に、スライダー、カーブ、スイーパー、カット、そして武器のフォークの6球種で打者に向かった。 データの活用もその一つだ。 「漠然と投げていた日本時代と違って、(データを使うことで)何をしなくちゃいけないか、何をしちゃいけないか割り切れるようになったので、マウンド上での切り替えがしやすい」 メジャーへの環境への適応に加え、5月前半以降、4点台だった防御率が減ったのはデータの活用も関係しているだろう。 千賀自身、「いろんなことを試し、挑戦しながら入ったシーズン」と表現するが、自身の投球の核は変えず、しかし必要なことに柔軟に対応し、適応する姿勢も1年目で結果を残せた要因だ。 チームを指揮するショーウォルター監督は「言葉で表現できないくらい素晴らしい選手だ。結果はもちろ
中日・根尾昂の5年目が終了した。投手に転向して2年目。同学年が大卒ルーキーとしてプロ入りしてきた今シーズンは、先発として飛躍が期待されつつ、経験値を上げるためにまずは二軍での登板を重ねてきた。一軍初登板となったのは9月18日の広島戦(バンテリンドーム)。味方打線が序盤から活発に得点を重ね、6点リードして終盤に突入した。根尾は6回まで無失点。7回に失策がからんで1点を失った2死満塁で降板した。ところが後を託したリリーフ陣が打たれ、さらに失策も重なり何と6点リードを追いつかれてしまった。 プロ初勝利は泡と消えて… 中日打線が6点も取ることがレアなら、中日のブルペンが一気に6点取られることもレア。すぐそこに見えていたはずのプロ初勝利は、泡のように消えてしまった。それでも6イニング3分の2を4安打。結果として4失点とはなったが、自責点は0だった。
セ・リーグは阪神、パ・リーグはオリックスが優勝。さぁクライマックスシリーズはどこが上がってくる? というのが9月のプロ野球でした。一方でそうした風景とは別に注目してしまう球団があった。中日ドラゴンズです。なんといってもアレです。阪神の優勝ではなく「令和の米騒動」のことだ。 8月下旬以降、中日は好事家たちの視線を独占していたと言ってもいい。我が「月刊スポーツ新聞時評」としてもスルーできない。では報道の経緯をおさらいする。夕刊フジが8月23日に報じた「令和の米騒動」は立浪和義監督が突如、炊飯器を撤去し白米の提供を禁じたというものだった。細川成也外野手が夏場に入り調子が落ちてくると、 《「立浪監督は『ご飯の食べ過ぎで動きが鈍くなったからだ』と考え、改善策としてご飯の準備をやめさせた。そうしたら成績がまた上がってきたから、他の選手も…となった」とチーム関係者。》(夕刊フジ) しかし絶対的守護神のラ
9月27日の引退セレモニーから数日後、横浜DeNAベイスターズの藤田一也は、当日を振り返り、安堵したような表情で言った。 「最高に幸せな時間でしたよ」 誰がハマスタに来ているのかは、わかっていました 19年間の現役生活を今季かぎりで終える。シーズン終了に先だって行われたセレモニーは、感傷的ではあったが、心温まる時間が流れていた。セレモニー中、「藤田、ありがと~!」というファンの声が、いつまでも飛び交い絶えることはなかった。「あの日、あの瞬間、世界で一番感謝を伝えられた人間だったんじゃないですか?」と問うと、藤田はうれしそうな表情を見せた。 「きっとそうだと思います。本当にありがたいことですよね」 そう言った次の瞬間、藤田は少しだけ苦笑した。 「いや、でもまあドキドキでしたよ。それにめちゃくちゃ大変やったんです。引退会見をして、セレモニーの日が決まると、これまでお世話になった全国各地の知人か
ソフトバンク・近藤健介の三冠王獲得の可能性がシーズン大詰めにきて、再び膨らんできている。 11年間で52本塁打→今季すでに24本 9月28日終了時点でトップに立っているのは打点部門(84、2位はソフトバンク・柳田悠岐の80)のみだが、打率.2987でリーグ3位(1位はオリックス・頓宮裕真の.307)につけており、本塁打24本は同4位だが、トップ3人(楽天・浅村栄斗、ロッテ・ポランコ、日本ハム・万波中正)にわずか1本差と十分射程圏内につけている。 今春のWBCでヌートバーと大谷翔平の間に座る2番打者として世界一に貢献した近藤が好打者なのは、誰もが認めるところ。だが、まさか今季のホームラン王争いに絡むとは誰が想像しただろうか。 昨季までの日本ハム時代の11年間で通算52本塁打。キャリア最多は2021年シーズンの11本塁打だった。今季はもう、その倍を超えている。 たしかに広くてフェンスの高い札幌
春のWBCで日本を優勝に導いたダルビッシュ有とラーズ・ヌートバーが9月下旬のサンディエゴで顔を合わせた。話は自然と右肘に2度目のメスを入れた大谷翔平へも及び、ふたりの侍戦士は術後のリハビリを含め温かい言葉を贈った。 「このレベルになってくると、それだけ100%以上の力を出さなきゃいけなくなってきたりしますし、いろんな要因があって怪我が増えると思うので、でも本人も1回(トミー・ジョン手術を)経験していますから、その経験が大きく生きるんじゃないかと思いますけど」(ダルビッシュ) 自身も15年にトミー・ジョン手術を受けたダルビッシュは37歳のベテランらしい落ち着いた口調だった。その一方でヌートバーはいつものように熱くポジティブだった。26歳の米国人でありながら、心はまさに日本人。ハートフルな“たっちゃん節”は健在だった。 ヌートバー「野球界の誰もが見たくないはずだ」 「残念なことだが、手術を受け
大盛り上がりした阪神タイガースに比べ、オリックス・バファローズは、落ち着いた雰囲気の中で優勝の歓喜を迎えた。リーグ3連覇、そして2位を10ゲーム以上引き離したのだから、無理もない。今季の投打の振り返りをしておこう。 吉田を中心にした打線からどう変わったか まずは打線から。昨年と今年の代表的なオーダーと成績を比較する。*は左打、+は両打、RCは打撃の総合指標であるRuns Create。 〈2022年〉 1(中)福田周平*118試448打120安0本24点9盗 率.268 RC47.45 2(三)宗佑磨*130試469打127安5本43点4盗 率.271 RC57.74 3(左)中川圭太110試424打120安8本51点11盗 率.283 RC63.06 4(指)吉田正尚*119試412打138安21本88点4盗 率.335 RC102.56 5(右)杉本裕太郎105試379打89安15本5
驚きは試合後だった。 監督会見が終わり、クラブハウスに向かうと、大谷は既にロッカーを整理して球場を後にしていた。バット、グラブ、スパイク、帽子など野球道具一式がなくなり、荷物がぱんぱんに詰められた今夏の球宴仕様のロゴ入りボストンバッグが置かれていたのみ。 練習用Tシャツ約10枚、ユニホームの下、赤い5本指靴下、サンダル、ボール一つは残されていたが、自身が契約するニューバランスの大量の靴箱、サッカー元日本代表の吉田麻也のロサンゼルス・ギャラクシーのユニホームなど大谷個人の私物とみられるものは全て片付けられていた。 当初、エ軍広報は「分からない」と詳細を伏せた。その後も釈然としない説明が続き、スポーツサイト「ジ・アスレチック」のサム・ブラム記者が「大谷は野球界だけでなく、スポーツ界のスーパースターなんだぞ」と詰め寄る場面もあった。 その後、広報はクラブハウス裏でペリー・ミナシアンGMら上層部と
残暑厳しい9月21日、中日二軍の本拠地であるナゴヤ球場で、3選手がファンに別れを告げた。中日一筋17年の福田永将、チーム最年長で、日本ハムに在籍していた2016年の日本シリーズでは胴上げ投手になった谷元圭介、そして同じく日本ハムからFAで移籍してきた大野奨太である。 中日での6年間は「最大の親孝行」 「北海道日本ハムファイターズで9年、中日ドラゴンズで6年、合計15年やらせていただきました。中日に来てからなかなか結果が出ず、二軍生活が多い中でナゴヤ球場のみなさんの声援が本当に力になり、ここまでやることができました。本当にありがとうございました。今日、(一軍にいる)堂上(直倫)はいないですが、この4名が今年限りで引退します。これからまだまだ若い選手が伸びて、ドラゴンズの未来を背負っていってくれると思いますので、これからも温かい声援よろしくお願いいたします。15年間、本当にありがとうございまし
「ここ(一軍)で野球をしなければいけないなって、改めて感じています」 横浜DeNAベイスターズのリリーバーである宮城滝太(だいた)は、目に力を入れ、実感を込めてそう語った。 5年目で一軍デビュー「長かったですね…」 入団5年目。宮城は3年半の育成契約期間を経て、昨年7月に支配下登録された。晴れて一軍への挑戦権を手に入れたものの、初昇格できたのは今年の8月13日のことだった。 「長かったですね……」 そう言うと、宮城は苦笑した。 2019年に滋賀学園高から育成ドラフト1位で入団した、23歳の若き本格派の右腕。数年前、育成時代に話を訊いたとき「自分の目標は支配下登録ではなく、一軍の戦力になることです」と、語っていたことを思い出した。 「うれしい」より「悔しい」だった、1軍登録 高い意識の持ち主は実際、ようやく一軍から声が掛かったとき、どんな思いが胸に去来したのだろうか。 「正直、うれしいという
新井カープが4年連続Bクラスからのクライマックスシリーズ進出に向けて、最後の力を振り絞り戦っている。 昨季から戦力に大幅な上積みはなく、多くの若手が台頭したわけでもない。全国区のスター選手は少なく、投打に抜きん出た選手もいない。 スタメン出場した9人だけでなく、ベンチ入りした25人で戦ってきた印象が強い。特に今季は新井貴浩監督の攻撃的な采配で、勝負どころでは積極的な選手起用が目立つ。ベンチ入り野手を全員起用した試合は3度あり、8月27日ヤクルト戦では野手だけでなく、投手も全員を使い切った。 一軍登録日数145日(9月24日時点)で出場25試合の磯村嘉孝も、欠かせない戦力だった。 中京大中京高から2010年のドラフト5位で入団し、2年目の12年に一軍デビューを果たした。3連覇した18年には37試合に出場し、石原慶幸(現広島バッテリーコーチ)と會澤翼に次ぐ地位を確立。19年は右の代打としても存
球史に残る大投手の「生涯ベストシーズンの成績」を比較して、日本プロ野球史上No.1投手を探る旅。沢村栄治、江川卓、野茂英雄らに続く第13回は、“甲子園史上最強投手”松坂大輔(西武-レッドソックス他)だ。当企画の現チャンピオン・山本由伸と比較した。 「甲子園史上最強投手」に松坂大輔を上げる人は多いだろう。実際、Number Webが今年8月に実施したアンケート企画「あなたが選ぶ夏の甲子園“史上最強ピッチャー”」でも、3位の江川卓(作新学院)、2位の桑田真澄(PL学園)に大差をつけて、1位に選ばれている。 甲子園で激闘後…じつはボウリング場で遊んでいた 思えば横浜高時代の松坂は、記録にも記憶にも残る“怪物”だった。高校2年夏の神奈川県大会。横浜商業との準決勝で、自らの暴投で9回裏に逆転サヨナラ負けを喫して「3年生たちに申し訳ない」と号泣。それ以来、「これから僕の投げる試合では絶対に負けない」と
「大谷と球団のバランスは、いつの間にか釣り合わなくなっていた」――打者として打率.304、44本塁打、95打点。投手として防御率3.14、10勝5敗、167奪三振。MLBの歴史に残る大谷翔平の伝説的なシーズンは、右肘の負傷によって幕を閉じた。その過程で番記者が目にした、大谷とエンゼルスの“すれ違い”とは。「世界一の選手」と9年連続でプレーオフを逃した球団は、果たして対等なコミュニケーションをとれていたのか。激動のシーズンの裏側に迫った。(全2回の2回目/前編へ) 「翔平が一番体のことを分かっている」 今季のエンゼルスは、とにかく今オフにフリーエージェントとなる大谷翔平を残留させるために必死だった。 だが、再契約を勝ち取るという球団の一番の優先事項が、両者の関係にひずみを生んだように見える。 ペリー・ミナシアンGMも、フィル・ネビン監督も常に「翔平が一番体のことを分かっている」「体調管理の面
「大谷と球団のバランスは、いつの間にか釣り合わなくなっていた」――打者として打率.304、44本塁打、95打点。投手として防御率3.14、10勝5敗、167奪三振。MLBの歴史に残る大谷翔平の伝説的なシーズンは、右肘の負傷によって幕を閉じた。その過程で番記者が目にした、大谷とエンゼルスの“すれ違い”とは。「世界一の選手」と9年連続でプレーオフを逃した球団は、果たして対等なコミュニケーションをとれていたのか。激動のシーズンの裏側に迫った。(全2回の1回目/後編へ) 広報から転送された「代理人の声明文」 9月19日、14時37分。エンゼルスの広報担当者から1通のメールが届いた。正確にいえば、大谷翔平の代理人ネズ・バレロ氏の声明文が転送された。 文面には大谷が19日朝に右肘の手術を成功させたことと、執刀した医師ニール・エラトロッシュ氏のコメントが記されていた。 そして、エンゼルス側は文末にわずか
プロ野球のレギュラーシーズンも最終盤に入った。優勝を決めたチーム、躍進著しいチーム、低迷するチーム……。選手たちを率いて戦う指揮官の1年間の“採点”が出揃う時期でもある。あえてこの時期に問いたい「名監督とは何なのか」ーー。今年8月に発売された故・野村克也氏の“門外不出の野球ノート”とも言える著書『野村克也 野球論集成 実技講座』(徳間書店、2023年8月発行)から抜粋して紹介する。(全2回の2回目/1回目から読む) 野球には「名選手、名監督にあらず」という意地悪な言葉がある。 実際には、現役時代に名選手であっても、平凡であっても、指導者になった後の成長や個性は千差万別だし、一長一短があると思う。 選手を過小評価しがちな「名選手」出身監督 「苦労人」と呼ばれたような指揮官は、ベンチの控え選手の気持ちを思いすぎる傾向がある。レギュラーに育てたい若手が低迷してくると、ベ
補強選手は活躍も…なぜ? ただ、大補強自体は決して失敗ではなかった。「推定・7年総額50億円」で入団した近藤健介は本塁打と打点ですでにキャリアハイをマークし、打率もリーグ上位。打撃三冠王に輝くのも夢ではない成績を叩き出している。「推定・1年6億5000万円」のロベルト・オスナは防御率1.00(9月21日終了時点)の安定感で守護神の役割を十二分に果たしているし、「推定・3年15億円」の有原航平は出遅れこそしたものの、6月以降は先発ローテに定着して最も信頼のおける柱として活躍を見せた。 そもそも、今年のソフトバンクははじめからCS圏内を争う位置に停滞していたわけではない。 7月6日時点では貯金15をつくり、パ・リーグの首位に立っていたのだ。 潮目が変わったのはその翌日。七夕の夜から連敗地獄がはじまり、奈落の底へ転がり落ちていった。 その戦いの足跡は次のとおりだ。 分岐点は「悪夢の12連敗」 7
おっと。これは知らない様子。 「あの、ショウヘイ・オオタニの本はありますか?」 「スペルを言ってください」 そう言われて大谷の名前のスペルをゆっくりと口にすると、案内係の女性はコンピュータのキーボードをカシャカシャと叩き、あっという間に本の場所を探し出した。 「こちらにありますね」 何と……あった。 自分で聞いておきながら、正直、あると思っていなかった。 ニューヨークはやはり野球が人気 案内カウンターのすぐ裏側にスポーツ本のコーナーがあり、係の女性は本棚の方へ向かうとまったく迷うことなく大谷本の場所をすぐに見つけた。その本は、オレンジカウンティ・レジスター紙のエンゼルス番記者ジェフ・フレッチャー氏の著書『SHO-TIME 大谷翔平 メジャー120年の歴史を変えた男(日本語版タイトル)』だった。米国ではハードカバーが昨年7月に出版され、今年に入って加筆されソフトカバーになったバージョンが新た
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