「魔女の物語──シルヴィア・フェデリーチへのインタビュー」(小田原琳、後藤あゆみ 訳) イントロダクション イタリア出身のフェミニスト、シルヴィア・フェデリーチは、その著書『キャリバンと魔女──資本主義に抗する女性の身体』(以文社、2017年)のなかで、魔女殺害を、女性を飼い慣らし、労働力の再生産をまったく報酬のない強制労働として女性に課す、資本主義システムの基礎として考察している。この再生産労働の発展の様相に、フェデリーチは女性運動にとっての闘いの中心を据えているのである。 これはおとぎ話ではないし、魔女にだけ関わるのでもない。魔女は、他の女性たち、魔女と密接に関わっているキャラクターたちへと敷衍される。異端者、治療者、助産師、反抗的な妻、一人で生きようとする女、オービア(秘密の魔術)を操って、主人の食べ物に毒を入れ、奴隷たちを反乱へと駆り立てる女。これらの女性たちを、資本主義はその起源
シンガポールの研究チームが行った実験から、両親が物理的に近い距離で子どもの声などを聞くことで、2人の脳活動が同期しやすくなることが判明しました。この結果から、親である配偶者同士が物理的に近い状態で一緒の時間を過ごすことで、子育てが上手くいく可能性があると研究者らは主張しています。 Physical presence of spouse enhances brain-to-brain synchrony in co-parenting couples | Scientific Reports https://www.nature.com/articles/s41598-020-63596-2 Physical presence of spouse alters how parents’ brains respond to stimuli from children, finds NTU Si
10月、菅首相が日本学術会議に推薦された会員候補のうち6人を任命しなかったことが問題となった。任命されなかった6人は、安全保障関連法や特定秘密保護法などで政府の方針に異論を唱えてきた。 男女共同参画会議でも、実際にフェミニストが政策決定の過程から排除されていった経緯がある。 本連載の目的は、内閣府男女共同参画局・男女共同参画会議(以下、男女共同参画局/会議)の成立がジェンダー平等につながらなかった原因を探ることだ。 第1回の記事では、男女共同参画局/会議成立までの歴史を紐解き、国際的なフェミニズム運動による外圧と国内での橋本行政改革の合流地点で起こった「多元化」と「集権化」の相克こそがその性格を決定づけたことを示した。 第2回からこの第3回の記事では、男女共同参画局/会議の成立以降、その性格がどのようにバックラッシュと停滞に繋がったかを見ていきたい。これについては、男女共同参画局/会議の「
男女共同参画第二次計画策定の時に、自民党の右派議員は「自民党過激な性教育・ジェンダーフリー性教育調査検討プロジェクトチーム」を発足し、介入した。写真は同PT 事務局長の山谷えり子(右)。ちなみに、座長は安倍晋三前総理(時事通信社) 本連載の目的は、内閣府男女共同参画局・男女共同参画会議(以下、男女共同参画局/会議)の成立がジェンダー平等につながらなかった原因を探ることだ。 本連載 第1回では、男女共同参画局/会議成立までの歴史を紐解き、国際的なフェミニズム運動による外圧と国内での橋本行政改革の合流地点で起こった「多元化」と「集権化」の相克こそがその性格を決定づけたことを示した。 この第2回と、次回第3回の記事では、男女共同参画局/会議の成立以降、その性格がどのようにバックラッシュと停滞に繋がったかを見ていきたい。これについては、男女共同参画局/会議の「政策への影響力」と「政策へのアクセス」
「女性はいくらでも嘘をつけますから」と性暴力被害者蔑視発言をした杉田水脈議員が自民党の女性局次長に就任したことが話題になった。バックラッシュ的な見解を持つ女性の意見で「女性の声」を「乗っ取る」という事態が起こっていることが垣間見える。 しかし、こういった「女性の声」の「乗っ取り」は今に始まったことではない。そう、ずっと前から男女共同参画は「乗っ取られ」てきたのだ。 2001年、日本における初の本格的な女性政策機構として内閣府男女共同参画局・男女共同参画会議(以下、男女共同参画局/会議)が生まれた。これまで、欧米各国でのこういった女性政策機構の成立はジェンダー平等を推し進めることにつながり、とりわけ政府の中核(日本でいう内閣府)に置かれることが、重要とされてきた。 ところが、女性政策の躍進の時期であったといわれている1990年代に対して、2000年代はバックラッシュと停滞の時期といわれている
記事:筑摩書房 書籍情報はこちら 本書は、筑摩書房のPR誌「ちくま」に2017年から18年まで連載された原稿に、大幅加筆したものである。初出時のシリーズタイトルは「とびだせ教養」、続編は「ひっこめ教養」で、私はこのタイトルが気に入っていた。というのも、これは少年ならぬトダヤマ中年が、教養とは何かを探り(とびだせ!)、そしてそれに疑念を抱き(ひっこめ!)、最後に教養人の生き方を「自己のテクノロジー(魂への配慮)」として示す物語だからだ。そう、これは「教養のビルドゥングスロマン」、つまりゲーテ顔負けの「教養についての教養小説」なのだ。 本書で最も目を引くのは「書物」の重要性だ。トダヤマは監視社会の古典的ディストピア『華氏451』『一九八四年』、そしてクソ映画『デイアフタートゥモロー』を引き、書物が焼かれ、ことばが切り詰められる世界の脅威を描く(「切り詰め」とは、類似のことばを一つにまとめてしま
時間の停止した世界で 昨年は、数年に一回とも言えるほどにたくさんの仕事をした年だった、と1年前のブログには書かれている。そして、「どうせなら、いい時間にしたい」という、人生観の変わる年であったとも。おそらく、とても充実していたのだろう。 その点について言えば、今年も、ほんとうに充実した年だった。ただし決してポジティブな意味ではない。2月頃からコロナ禍が国内でも顕になり、そのタイミングで学部執行部の仕事を引き継いだ。最初に行ったのは、600名以上いる新入生のガイダンスをオンライン化すること。そして、1年生の必修科目の教材のオンライン化だった。 4月の緊急事態宣言のさなか、こうしたオンライン化を乗り切れたのは、偶然がいくつも重なったからだ。昨年度までにノーコードでスマホサイトを構築するノウハウはできていたし、「THE FIRST TAKE」に感化されて1月には買い揃えていたレコーディング機材も
3月初旬。学生の姿もまばらな関西学院大学のキャンパスに、鈴木謙介さん(33)を訪ねた。メッシュの入った茶髪にあごヒゲという出で立ち。重厚な研究室がまったく似合わない。 それもそのはず。気鋭の社会学者は、TBSラジオ「文化系トークラジオ Life」、 NHK「青春リアル」でメイン・パーソナリティーを務め、若者の間では「チャーリー」の愛称で親しまれている。難解な社会学用語を駆使する一方で、誰にでも分かる言葉でも語りかけてくれる、頼れるアニキのような存在なのだ。 自らDJをやっていた経験もあり、サブカルから政治哲学まで、その守備範囲はとてつもなく広く、鈴木さんの師匠である宮台真司氏を彷彿(ほうふつ)とさせる。全3回でお送りする鈴木謙介さんへのインタビュー第1回目は「閉塞感」について。 閉塞感に直面する日本 「銘々が自分の都合のいいイメージの中で社会というものをとらえて、例えば自己責任論にはまり込
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く