大阪大学の工学部情報システム工学科を卒業し、松下電工(現パナソニック)に入社した青野慶久氏。仲間3人と松山市にある2DKのマンションを家賃7万円で借り、サイボウズを起業したのは1997年8月のことだった。創業から約3年で東証マザーズに上場。本社も松山市から大阪市、さらには東京へと移転し、人員も急拡大した。だが、人生初の挫折を味わったのも上場後だった。 ◇ ◇ ◇ 私はそれまで、どこか楽をして生きていました。みんなが一生懸命に受験勉強している時でも、授業中にプログラムを書いて、それでも希望する大学に入れた。教授推薦で松下電工にも入社できたし、創業したら3年で上場ですから、心のどこかで「人生楽勝だ」と思っていたかもしれません。「俺って、すごい強運の持ち主なんじゃないか」とも――。 サイボウズの社長に就任したのは、2005年春のことでした。その約2年前、会社は創業以来初の減収減益と
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