1 名前:出世ウホφ ★[] 投稿日:2007/10/04(木) 16:53:09 ID:??? <取材日記>教科書問題 日本の二重基準 ♯1.2005年4月7日、日本の町村信孝外相は向かい合って座った潘基文(バン・キムン)韓国外交部長官から激しく抗議を受けた。 当時、扶桑社の中学校歴史・公民教科書の独島(ドクト、日本名・竹島)関連部分が検定の結果、「韓国が不法占拠している竹島」という表現で記述されたからだ。 また「従軍慰安婦」表記はすべての教科書から消えた。 町村外相は潘長官の追及に「日本の教科書検定過程は韓国と違う。一連の過程を経た個別の記述については、政府が削除や修正を要求したり修正したりすることはできない」と言って対抗した。 その数日後に日本を訪れた韓国国会議員団に対しても「ご存知ないようですが、(修正が)できなくなっているシステム」と短く語った。
戦時慰安婦はこうして銃後の平安を守った 村に共産軍がやってきた 呉 崔さんのご出身は、北朝鮮との軍事境界線近くの村だそうですね。それで小学生のころに朝鮮戦争が勃発し、村にやってきたアメリカや韓国の兵士たちが村の女性たちに対して性的な暴力をはたらいたということ、それに対して売春婦たちが村に入ってきて村人たちの防壁の様な役割を果たしたということ、そうしたことを直接ごらんになった体験を、ご著書のなかでお書きになっています。 そのあたりのことは、まったく別次元の問題かもしれませんが、私が日本で仕事をする韓国人ホステスの問題について書いたことと、なにか通じるようなものがあると思うのですが。 崔 そうなんです。呉さんと私の接点はそこにあるように、私も感じています。 呉 たいへん興味深いお話なので、ここでお話いただけるとありがたいのですが。 崔 当時私は一〇歳で戦争を体験したわけですが、半分は怖くて、半
朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度があったことが23日、立命館大学(京都市北区)で開かれている「東アジアの平和と人権」国際シンポジウム日本大会(朝日新聞社後援)で明らかにされた。韓国軍慰安婦について日本で公になったのは初めて。発表した韓国・慶南大客員教授の金貴玉(キム・ギオク)さん(40)=社会学=は「日本軍の慰安婦制度をまねたものではないか」とみている。 「軍慰安婦は日・米・韓にまたがる問題。米兵の慰安所利用実態も明らかにしたい」と話す金貴玉さん=京都市北区の立命館大学で 金さんは96年、離散家族のインタビューの中で、「50年10月、韓国軍の捕虜になり、軍慰安隊の女性と出会った」という男性の証言を得た。以後5年間インタビューを重ね、「直接慰安所を利用した」「軍に拉致されて慰安婦にされかかった」という男女8人の証言を聞いた。 さらに金さんは、韓国の陸軍本部が56年に編さんした公文書『後方戦史
ロン・モロー(バンコク支局長) 今から33年前の1967年4月1日。グエン・バン・トイはびくびくしながら、ベトナム中部フーイェン省の水田で働いていた。 当時、この地域では韓国軍が大規模な作戦を進めていた。韓国兵は農民を力ずくで追い立て、南ベトナム政権の支配下にあった沿岸部に無理やり移住させていた。 だが、多くの村人は移住を嫌がった。トイのビンスアン村を含む5カ村からなるアンリン郡の農民も、先祖代々の土地を捨てるのは気が進まなかった。 トイが農作業を続けていると、いきなり機関銃の銃声と手榴弾の爆発音が響いた。音がしたのはビンスアン村の方角。トイはあわてて身を隠し、あたりが暗くなるまで動かなかった。 村に戻ったトイが目にしたのは、身の毛もよだつ光景だった。家は黒焦げになり、少なくとも15人の村人が血の海に倒れていた。多くの遺体は銃剣で腹を切り裂かれていたと、トイ(71)は言う。 そ
ベトナム戦 24周年にして見た、私たちの恥部, ベトナム戦犯調査委のおぞましい記録 (写真/ベトナム戦でベトコンの陣地を捜索・破壊するという作戦上の名分が大量虐殺を正当化した.) 戦争はこんな所でも起きたのだろうか. 丸いひさしの尾根、そして緑の野原, その上に白く降り注ぐ陽差し, 椰子の樹とマンゴ―とパパイヤ, バナナの樹…. 窓の外に流れる風景には、見える限り熱帯の和やかさだけが広がっている. 太陽が灼けつく裏山には、腰を地につけるように田畑を耕すベトナム女性たちの編み笠だけがちらほらと島のように動いている. 真昼の太陽に熱せられて飴のように曲がってしまいそうな道には、腰をまっすぐに伸ばして自転車を走らせる女学生たちの真っ白いアオザイの裾が、重い風の中を雲のように飛び交う. 果して、わたしたちはあのとき、このような女性たちにまで銃口を向けたのだろうか. 理性はなく、狂気だけが残った人間
「15分以内にメールを返さなければ友達じゃない」「懐石料理の準備待てない」…5分でイライラ。待てない人々、増加 1 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ 投稿日:2007/11/13(火) 10:29:47 ID:???0 週末の夕方。東京都内の広告会社で営業を担当する佐野裕美子さん(23)=仮名=は、仕事を終えると気の合う友人2、3人に携帯メールを送る。「いま何してる?」 送り終わると、すぐに返信確認。1分、2分、3分…何度も操作を繰り返す。返事が来たら食事に誘う。5分も返事が来なければイライラする。「早く決めたいから、すぐ返信がほしい。自分が待てなくて嫌な思いを しているので、わたしはいつも即レス(即答)です」 便利なはずの携帯電話を手にして、イライラと格闘するのは彼女ばかりではない。「返信が 気になる。地下鉄に乗れば一駅ごとに『センター問い合わせ』をしてしまう
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